松江哲明の“いま語りたい”一本 第30回
「お見事!」と言わずにはいられない 映画作りの苦楽が詰まった『カメラを止めるな!』の面白さ
連日劇場が満席となっているようなので、「期待するな」という方が無理があると思うんですが、『カメラを止めるな!』は期待しないで観た方が絶対に面白いと思います。いずれにせよ、「なにかあるぞ」と思いながら冒頭から観て、作品のとある“仕掛け”に「やられた!」となることは間違いないです。何も情報を入れないで観た人ほど、作品の持つエネルギーにやられてしまうはず。観た後に誰かと語りたくなる、そして思わず「面白い!」と言ってしまう、そんな作品です。その意味では、すでに観に行くと決めている方はここから先は読まないでください(笑)。
冒頭の約30分間は、完全ワンカットの“ゾンビホラー映画”です。チラシやポスターなどにある通り、ゾンビ映画の撮影を行っていたところに、本物のゾンビが現れ……というある意味定番のネタなのですが、このホラー映画には、ところどころに違和感を覚える“失敗”がありました。予算やスタッフの不足などから、自主映画の中にはどうしても粗が出てくることが多い。その粗もある種、愛でるような心持ちで自主映画を観ることが無意識的にあったのですが、そういった観客が思ってしまう自主映画への感情も、この映画は見事に“コントロール”して利用していたんです。冒頭のホラー映画の“失敗”に覚えた違和感は、後半を観たときに解消されました。映画を観終わったとき、上田慎一郎監督に「お見事!」と言わずにはいられません。
前半のゾンビホラー映画パート、後半の映画作りパートと、非常に緻密な脚本と演出の上に成り立っている作品なのですが、お堅い感じがまったくないのもすごい。むしろ、映画を包む空気は限りなく緩いです(笑)。作品を観終えた今、それさえも演出なのかな、と思います。そういう意味では全体が完璧にコントロールされているとも言えるでしょう。油断していた人ほど、ガツンときますよ(笑)。
実はこの映画の構成自体は、元々あまり好きなタイプのものではないんです。映画開始から37分間、全編ワンカットのゾンビホラー映画を見せます。その後、どうやってそのホラー映画が作られたのか、ホラー映画の中の“失敗”はなぜ起きたのか、その理由が判明していきます。いわゆる「答え合わせ」ですね。この、1回映画の中で流れた時間を巻き戻して、「実はこうでした」という構成の作品は、「答え合わせ」だけに留まってしまうことが多々あります。だからどうしても後出しジャンケンのような気になってしまう。ところが、本作はただの「答え合わせ」には陥らず、後半パートで見事にカタルシスを生み出していました。
なぜカタルシスが生まれたのか。それは前半パートが、後半パートのためだけの作品にはなっておらず、独立した面白さがまずあること。そして、単に同じものを別角度から見せているだけではなく、扱っている題材自体をまったく別のものに置き換えたところにあります。前半は、どんな環境に陥っても映画を撮り続けるという映画監督の狂気と、限られた空間でゾンビに囲まれてどう生き抜いていくかという正統派サバイバル映画としての面白みがありました。一方、後半パートは、映画を作ること、みんなで何かを作り上げることの面白さが大きなテーマとなっています。この語り口の変化にはヤラレました。そしてこの大胆な演出の変化でも観る人が付いて来れるという自信と、観客への信頼に感動しました。映画をテーマとした映画でここまで秀逸な作品は近年なかったと思います。
本作の後半の展開は映画関係者、特に低予算映画に関わる人ならば「分かる!」と思わずにいられません。その理由は“業界あるある”が詰まっているところにもあると思います。主人公となる日暮監督(濱津隆之)は、前半パートでは狂気の映画監督で、後半パート、いわゆる素の日暮監督は何事にも流されがちな穏やかな人物として描かれています。後半パート開始早々に判明する出演者たちのギャップがまず面白いのですが、日暮監督がプロデューサーから指示される無茶な要求は結構リアルなんです。前半パートのゾンビ映画のテーマである「全編ワンカット撮影&生中継」という誰がやっても一筋縄ではいかない撮影手法も、どれだけ準備が大変かもわからずに思いつきだけで提案してくるところとか(笑)。本当にいますからね、ああいうことを言うプロデューサーは。出演する役者の意見や、所属事務所の意向などで変更せざるを得ない部分が出てくるところ、キャスト・スタッフが急に欠員してしまうことなど、映画作りに携わったことがある方は、多かれ少なかれ経験したことがあるのではないでしょうか。