“朝ドラのヒロインではない私たち”を描いた『舞いあがれ!』 優しさの牢獄からの解放

『舞いあがれ!』優しさの牢獄からの解放

「それでは、快適な空の旅をお楽しみください」

 という福原遥演じるヒロイン・舞の言葉、並びに幼少期の舞(浅田芭路)たちが乗った飛行機を大人になった舞が操縦しているという彼女の夢から始まった朝ドラ『舞いあがれ!』(NHK総合)が、最終話を迎えた。

 舞が「空飛ぶクルマ」を操縦するのを彼女の人生に関わった人々が見届けるラストは、「舞が空を飛ぶ」という点で一致はしているものの、冒頭と終盤が見事に一致しているとは言い難い。しかし、この描き方がなにより、本作らしさを物語っているように感じた。子供の頃に描いた未来予想図どおりの未来に辿りつく人はそういないという意味で、人生のままならなさを描くと同時に、これまで辿ってきた彼女の足跡を詰め込んだかのような、最も「舞らしい」飛び方で空を飛んだという意味で、本作の、「自分らしい生き方の肯定」という1つのテーマを貫いていた。

 また、前述した初回冒頭の場面において、「へえ、機長さん女の人なんや」「珍しいなあ」というめぐみ(永作博美)と浩太(高橋克典)の会話が象徴しているように、ここで描かれた夢の中の舞の姿こそが、「従来の朝ドラヒロイン像」だと言える。女性事業家、女性興行師、女性アニメーターなど、「何者か」になるヒロインたちは、いつも一直線に夢を追いかけ、女性が珍しい職場において奮闘し、結婚、育児における葛藤を乗り越えながら、道なき道を切り拓いていった。

 実際、本作においても、身長の条件を満たせなかったために航空学校進学が果たせず、アメリカで訓練を受けてパイロットになろうと試みる「なにわバードマン編」の由良(吉谷彩子)や、女性の生きづらさと、それに抵抗するための「パイロットへの夢」を語った「航空学校編」の矢野(山崎紘菜)こそが冒頭の夢を地でいく「従来のヒロインたち」であり、彼女たちの成功もまた、後日談として描かれていたりもする。だが本作が描きたかったのは、そこではなく、その先だったのではないだろうか。単に女性の成功を描くのではなく、もっと普遍的な「朝ドラのヒロインではない私たち」が、家族や周りの人々を大切にしながら、「自分らしさ」を損なわず生きていく方法を考えるドラマだったように思う。

 かつて寺山修司が、『家出のすすめ』(角川文庫)において、若者は家出すべきだと説き、若者の未来の自由は、親を切り捨て、古い家族関係を崩すことから始まると言った。舞はじめ、本作の若者たちはその逆を行く。浩太と共に東大阪の景色を見た、幼き日の舞はその景色を「キラキラしている」と表現したし、実際彼女は東大阪の町工場のいいところを見つけ出し、繋げ、活かしていく仕事をするようになった。

 「でらしね(根無し草)」的な生き方に魅了されたかのように、時折旅に出ることを余儀なくされる貴司(赤楚衛二)もまた、根っこは常に舞、並びに家族のところにあるために、最終的には一つ所に戻るキャラクターである。特に印象的なのは、舞、久留美(山下美月)の、父親との関係性だろう。自分の夢を投げうってまで、亡き父が抱いていた夢に固執する舞。潰れかけた会社を母娘で再建するだけでなく、父親の夢だった飛行機部品の開発を一時自分の夢として抱き、邁進していた。

 久留美は、定職につけない父・佳晴(松尾諭)を巡って、一旦婚約したものの破談になるなど苦労が絶えず、それでも自分を「十分幸せ」だと言い聞かせる。佳晴も「久留美にとったら俺は呪いみたいなものなんや。俺から解放されな、久留美は幸せになれへん」という台詞からして、そのことに気づいている節がある。そんな、愛する人と場所のことを思うあまり、自分自身を窮屈な世界に閉じ込めてしまっている人々の物語なのではないかと思う時期もあった。そしてそれは、現代の優しい若者たちの閉塞感を示したものでもあるように感じた。

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