日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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9月3日 明治の脱獄王5寸釘の寅吉こと西川寅吉仮出所

9月3日、70歳のある男が釈放されます。
彼の名前は、西川寅吉。
脱獄6回という最高記録を持つ男で
別名「五寸釘の寅吉」です。
(5寸釘の寅吉)
西川寅吉は、刑務所から脱獄するときに五寸釘が刺さった板を足で踏んでしまいますが、そのまま約十二キロ逃走したことから「五寸釘の寅吉」と呼ばれるようになりました。
5寸というと約15.15センチメートルですから、足を突き抜けた可能性がありますし、この状態で歩くのは、かなりキツそうです。

(6回の脱獄)
 寅吉は、幕末の安政元年(1854年)3月15日、三重県多気郡で貧農の家に生まれます。

寅吉の脱獄は書籍や文献で数多く紹介されていますが誇張やフィクションも入り交じって様々な説があり、また収監や脱獄の日時も資料によって違うので、下に記述したのは数ある説の1つとしてお読み下さい。

寅吉は、少年時代から強盗や傷害事件をくり返し、監獄署のお世話になっていました。
寅吉の最初の脱獄は1884年明治17年)11月、三重監獄で看守の鍵を盗んで牢から出て、肥桶の中に隠れ脱獄します。しかし、すぐに捕まります。

寅吉は翌年3月、囚人たちがケンカをしている騒動に乗じて脱獄しますが、2日後に警官に捕まります。(2回目の脱獄)

1886年明治19年)寅吉は、北海道の、市来知(いちきしり・現在の三笠市)の空知集治監に移されました。ここで、寅吉は、仲間の囚人に看守を羽交い締めさせ脱獄に成功します。しかし、ここでも、すぐにつかまります。(3回目)

そして1887年(明治20)年の秋、北海道の樺戸収監所に異動します。この樺戸では3回脱獄します。

樺戸では囚徒たちは、上水道の堰堤補修の工事についていました。この作業中に寅吉たちは作業に使用していた棒で看守を襲い、その混乱のさなか逃走します。しかし5日目につかまり、結局、監獄に戻されました。(4回目)

連れ戻された寅吉は、独居房に入れられ、足に鉄球をつけられました。

しかし、寅吉は、鉄球がつけかえられる合間を狙い、看守を蹴り、すばやく房を飛び出し外に出ます。
そして獄衣を脱いで濡らし、その服を目の前にある約5.5メートルの高屏にたたきつけます。壁に張り付いた濡れた服を足場に屏を登り、屛を越えます。さらに対岸にカゴを渡すための張られていたケーブルをサルのように伝って渡ります。こうして彼は、樺戸の監獄から2度目の脱出に成功したのです。(5回目)脱獄した寅吉は半年後に捕まり樺戸監獄に入れらます。

樺戸に戻った寅吉は、またしても脱獄防止のために足に鉄球をつけられます。しかも重さがこれまで以上に重くなります。
しかし寅吉は、野外作業中に、柔らかい土を持ち帰り、その土で看守の鍵を鋳型を取り、和紙を固めて合い鍵を作ります。その合い鍵は強度を出すために何度も米粒で塗り固めるという念の入りようです。
そして、この自家製の鍵を使い脱獄に成功します。(6回目)
脱獄後、本州、そして九州に渡りますが、福岡で捕まります。
(模範囚に)
1890年(明治23年)3月、寅吉は網走刑務所に収監されます。ここで寅吉は改心し毎日網走刑務所の正門を清掃するなど模範囚となります。また刑務所での作業で得たお金を妻子に送金していました。
そして1924年大正13年)9月3日、70歳(数え72歳)の時に網走刑務所を仮出所します。脱獄ではなく出所です。
(五寸釘寅吉劇団)
出所した西川は劇団を結成します。その名も「五寸釘寅吉劇団」。
寅吉は頭を剃り、僧衣に数珠を持ち、「雲外居士」を名乗って劇団の団員と全国を回って勧善懲悪を説き獄中の話などを講演しました。
ブロマイドが発売されるほどの人気でした。
そして1941(昭和16年)、87歳で生涯を閉じました。

 

・・ということで9月3日は
明治の脱獄王・五寸釘寅吉が仮出所した日です。

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