ジンジャー・ルートの人生秘話 日本のカルチャーに救われ、「偽物」ではない自分の音楽を手にするまで

ジンジャー・ルート

 
2023年1月、ある冬の日の昼下がり、ジンジャー・ルート(Ginger Root)ことキャメロン・ルーは中央線に乗って高円寺駅へと向かっていた。子どものはしゃぐ声と車内アナウンスの他には何も聞こえない静かな車内には、清冽な日差しが差し込んでいる。彼はiPhoneを取り出し、敬愛してやまない日本の音楽を聴き始めた。電車が駅に止まる。忙しなく乗降する乗客たち。座席に一人座ったままのジンジャー・ルートの頬には透明な涙が伝っていた——。

アメリカ・カリフォルニア州出身のアーティスト、ジンジャー・ルート。中華系アメリカ人の3世である彼は、コロナ禍中に山下達郎、細野晴臣、大貫妙子、竹内まりやを始めとした日本の音楽やアニメ、映画などのポップカルチャーに出会い、心酔。この3年間で日本語も勉強し、今では取材を受けられるまでの流暢さになった。テレビや雑誌などで「昭和レトロを現代に甦らせる外国人」というような切り口で彼を紹介する記事や映像を目にした人も多いだろう。

そんなジンジャー・ルートが9月13日にリリースした3rdアルバム『SHINBANGUMI(新番組)』は、彼の言葉を借りれば「自分を救ってくれた」という日本の音楽やポップ・カルチャーへの深い愛とリスペクトを捧げつつ、ポール・マッカートニーからYMOに至るまで、彼が幼い頃から親しんできた多種多様な音楽からの影響を昇華させた、ジンジャー・ルートを自ら再定義し、宣言するようなマニフェスト・アルバムに仕上がっている。

日本とアメリカの二カ国を跨ぎ、レコーディングされた本作はいかにして「Nisemono(偽物)」ではない、オリジナルでユニークなジンジャー・ルート流のポップ・ミュージックとして結実したのか。また「自分のものではない」日本のカルチャーやイメージを彼がクリエイティブで扱う際に心がけていることとは。初夏に来日し、日本全国を飛び回ってプロモーションとミュージック・ビデオ撮影に勤しんでいたジンジャー・ルートに話を訊いた。




初めて日本を訪れたときの「特別な瞬間」

―お久しぶりです! ジンジャー・ルートさんに直接お目にかかるのは、去年撮影したCHAIのMV(2023年リリースの「Game」。ジンジャー・ルートが監督、筆者は美容室で髪を切られる謎の男役で出演した)のとき以来ですね。いつ日本にいらっしゃったんですか?

ジンジャー・ルート(以下、GR):うわっ、久しぶりですね(笑)! まさか、こんなかたちで再会できるとは。日本には先週来ました。1週間で福岡、広島、大阪、名古屋を訪れて、アルバムとツアーのプロモーションをしました。ありがたいことにラジオ、新聞、雑誌と沢山のメディアに取材してもらって。このあと、もうしばらく滞在して『SHINBANGUMI』の楽曲のミュージック・ビデオを撮る予定です。

―うわあ、大忙しですねえ。ジンジャーさん、本当に日本人から好かれてるし、興味関心を持たれてますよね。来年1月にはジャパン・ツアーも行われますけど、結構な規模じゃないですか。

GR:いや、本当に嬉しいし、ありがたいことです。



―早速アルバムのお話を伺っていきましょう。今回の『SHINBANGUMI』のリリースに際して、ご自身のInstagramのポストに「この作品は3年以上ぶりのフル・アルバムになる。自分がミュージシャンとして、人として、自分の足場を見つける過程に付き合ってくれた、みんなに感謝する」と書かれてましたよね。この3年間のどのような経験が、本作には反映されているんでしょうか?

GR:2020年にリリースした前作『Rikki』は結構、自信がある作品だったんです。世界中のリスナーにジンジャー・ルートを知ってもらえるきっかけになるアルバムだと思っていたんですけど、残念ながらコロナ禍が起きてしまって、ツアーもプロモーションも満足にできなかった。あ、だから、僕はあの作品のことを「失われたレコード」と呼んでいるんですけど(笑)。

その後リリースした『City Slicker』(2021年)と『Nisemono』(2022年)は、公園で子どもが遊んでいるような気分で、自由にただやりたいことをやってみようと思ってつくった作品でした。失敗を恐れずに新しいことに挑戦しよう、と。この2枚のEP制作プロセスを経て、ジンジャー・ルートとはどんな存在で、どんなサウンドなのかがやっと自分の中で固まってきたんです。

―自分自身が何者なのか自信を持って宣言できる準備ができた、と。

GR:まさにそうで。だから、今回の『SHINBANGUMI』は「これがジンジャー・ルートだ!」と改めて堂々と宣言するような作品なんです。まあ、僕は他人のことを書くのが苦手なので、ずっと自分のことについて書き続けてはいるんですが(笑)。例えば、『Mahjong Room』(2018年)は、自分の幼少期や家族に関する“記憶”をテーマにしたアルバムで。自分がいかにものごとを記憶しているか、そして、なぜ忘れてしまうのか……そういうルーツや深層心理に深く潜ることで自分自身を定義しようとしたアルバムだったんです。今作は逆に今、現在の自分自身にフォーカスを絞っています。




―音楽を始めた頃から今に至るまで、人間として特に変わった部分はどこですか?

GR:2017年に初めて音楽をYouTubeにアップロードしたときは、正直、音楽でここまでやれるなんて思ってもみなかったですね。多くの人が僕を見つけてくれてファンになってくれたことで、ここまで続けてこれた。当時の僕と今の僕は全然違う人間だと思います。正直……ずいぶん大人になった気がします(笑)。自分が好きなものや守りたいものが何かがはっきりしてきた気がするし、同時に自分の嫌なところや治さなきゃいけないところにも気づきました。


ジンジャー・ルート名義で初めてアップしたMV「Brooklyn」(2016年の年末公開)

―この3年間の中で特に印象的だったできごとを教えて欲しいです。

GR:一つは、あるバンドのオープニング・アクトを務めたときのこと。僕とは全然音楽性が合わない人たちだったから、ファンの客層もステージから見ていてわかるぐらい違ったんだけど、面白かったのは、僕らの演奏が終わったら冗談抜きでオーディエンスの6割ぐらいが帰っちゃったんですよ(笑)。ライブ中も「Loretta」を大声でみんな歌ってくれて……さっき言ったように僕は『Rikki』のことをロスト・レコード——正直言って失敗作だと思ってたんだけど、僕らがアルバムの曲を演奏し始めたら、熱狂してくれたんです。あれはかなり印象的でしたね。あと、もう一つは………(長い沈黙。目に涙を浮かべている)。

―ゆっくりで、大丈夫ですよ。

GR:すみません、自分の中ですごく大きな出来事だったので、感情的になってしまってちゃんと話せるかどうかわからないんですが……2023年に初めて日本に来た時の話なんですけど、高円寺に行こうと思って中央線に乗っていたんです。お昼ぐらいの時間だったのかな。綺麗な冬の太陽の光が車内には差し込んでいて。とても静かで、時折、アナウンスや子どもの喋り声が聞こえるだけ。僕はiPhoneを取り出して、コロナ禍のときに聴いていた日本の音楽を集めたプレイリストを再生し始めました。何曲か聴いた後で、ハッと雷に打たれたような衝撃を覚えて。「今、僕は普通に“ここ”にいるけれど、これって実はすごいことなんじゃないか」って、思ったんですね。

そもそも、僕が日本の音楽に出会ったのはコロナ禍がきっかけで。タフでハードだったあの期間をなんとかやり過ごせたのは、日本の素晴らしいカルチャーのおかげでした。それから日本語も熱心に勉強するようになって、3年が経ち……今、自分は電車のアナウンスや子どもがふざけあっている会話の内容も理解できるし、日本語で歌われている歌詞に心を動かされている。そして、自分が憧れたこの国には今、自分の音楽を聴いてくれて、ライブを心待ちにしている人さえいる。

過ごしてきた時間や自分の今の状況について考えていたら、すごく感じ入ってしまって……電車の中で涙が止まらなくなってしまったんです——あれは、本当に特別な瞬間でした。自分はすごく幸運な人間だと思ったし、同時に誇らしくも感じました。

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