この日泊まったビジネスホテルの部屋は心なしかちょっとセピアだった。ー映画『キリエのうた』鑑賞感想(ネタバレ無し)ー
※このブログは映画『キリエのうた』公開3日後に鑑賞した後に書かれたものである。何故この日まで寝かせていたのか。誰も知る由もない(怠惰)。
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映画『キリエのうた』公開の3日前、私は盛大に悩んでいた。
公開日の13日にどうしても見たい、しかしその日は仕事。3連勤の初日。
終わる頃にはレイトショーの枠しか残っていない。
行先の映画館は、仕事先の近くか、帰宅途中にあるところの2択。
どちらにせよ終電逃しはほぼ確定。
となると、家に帰らずに翌日の仕事を迎えることになる。
私のバイタリティでは到底敢行出来ないスケジュールである。
悩みに悩んだ挙句、3連勤後のレイトショーで鑑賞することにした。
エンドロールが始まったら全力ダッシュで終電に乗れば良い。
まあ要するに、「キリエのうた」という映画を、いつも映画を観に行くときのような心構えでしか捉えていなかったのである。
ところがどっこい、観に行くとどうだ。
あまりにも小説。
私は今、小説を読んでいるときのような没入感に襲われている。
恥ずかしい話、公開前に上映時間を知った私は思わず御手洗のことを考えてしまっていた。そのくらいボリューミーであった。
だが、それすら忘れるほどに、上映時間はあっという間に過ぎ去っていった
現X(旧Twitter)で拝見した尿意対策*1を講じたことも一役買っただろう)。
閑話休題。
私は、昔から小説を読むときに周りの音や時間感覚が無くなるといった没入感に襲われることが多々あった。
小中学生時代の朝読書の時間、
授業休みの10分休憩、
朝クラスの誰よりも早く登校していた中3の秋冬。
家にいる時間は言うまでもない。
本を読んでいるとき、そこには物語と私しか居ないのだ。
学校のチャイムが鳴ったとき、本を読み終わったとき、
ふと意識が戻ってきたときに、頭が物語の世界から抜け出せずに行動不能に陥る。
私はその感覚、没入感が大好きだ。
それを、久方ぶりに、映画で体感してしまった。
文章をなぞるような丁寧な心理描写、演技、映像、音。
映画を観るときに使う五感の全てが、物語に埋まってしまった。
もちろん終電は逃した。あえてだ。
物語に埋まった私は、即座に抜け出し、駅へと駆け込むことを拒否した。
もっと浸っていたかった。
もっと彼らのことを、1人で考えていたかった。
彼らの物語に向き合いたかった。
それが、彼らの人生を垣間見た私に表せる、唯一の敬意であった。
終電への執着心なぞとうに放り捨て、私はホテルへ向かうべく寝静まった夜の街へと繰り出した。
道すがら込み上げてくる感情に、足元を掬われないよう、自意識をかき集めながら。
余談だが、これを書いているのは鑑賞の翌日。ホテルから帰宅し1時間で支度を済ませ、ディズニーへと向かう電車の中である。情緒どないすんねん。*2