久我山村の鎮守です【駅ぶら】06京王電鉄456 井の頭線87
※2024年3月撮影
トップ画像は「久我山駅」から徒歩5分ほどの「久我山稲荷神社」社殿。太陽光が射しているのは、別の日に撮影したためです。
御眷属のキツネ様が狛犬です。明治28年(1895年)に造られたキツネ様ですが、生きている様な存在感があり、台座の彫刻も素晴らしいです。
※2024年3月撮影
しっかり狛犬の役目を果たしています。
※2024年3月撮影
手前の案内の内容を写しておきます。
「久我山稲荷神社は、「新編武蔵風土記稿」の多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社として掲載され、「除地二段五畝十五歩堂屋舗二アリ 小社ニテ上屋九尺二二間、拝殿二間二三間 南向 前二鳥居ヲ立ツ 石階鳥居ノ外二三級内二二十級アリ 村ノ鎮守 例祭十一月ニテ日定ラズ 光明寺ノ持」と記されています。創建の由来については明らかではありませんが、古来から久我山村の鎮守で、祭神は保食命(うけものみこと)です。
明治40(1907)年4月に字北原にあった天祖神社(祭神大日孁貴命おおひるめむちのみこと)が合祀され、昭和16(1941)年2月に村社となりました。境内末社には八雲神社・天満神社があります。
例祭日は10月1日ですが、本社では7月24日に夏祭りが行われ、「湯の花神楽」が奉納されます。湯の花神楽は、大釜に熱湯を沸かし、小笹を浸して打ち振りながら行われます。杉並区内では極めて珍しい行事で、その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病が止んだという故事によるものです。
境内には明治32(1899)年に氏子が奉納した、金玉均(きんぎょくきん 日本に亡命した朝鮮の李王朝末の政治家)の筆跡を刻んだ「人心同」の碑があります。金玉均は、久我山に生まれて幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作右衛門から、「遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不孝をわびる石碑を建ててくれ」と頼まれ、その心根に強く打たれてこの筆跡を残しました。
なお境内には元禄16(1703)年造立の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられています。
また昭和57(1982)年に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。
令和6年3月 杉並区教育委員会」
これで神社のあらましが分かりました。
この石灯籠も古くてなかなか風合いがあります。
※2024年3月撮影
対の石灯籠。
※2024年3月撮影
後には「安政四丁巳年二月吉日」と刻まれています。1857年、大老井伊直弼による安政の大獄の前年です。
※2024年3月撮影
御祭神保食命にご挨拶します。
※2024年3月撮影
境内社にも詣ります。最初に左の手水で手と口を浄めました。
※2024年3月撮影
八雲神社・天満神社にお詣りします。
※2024年3月撮影
奥に北側の鳥居が見えます。
※2024年3月撮影
次回も「久我山稲荷神社」境内を御案内します。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)