《第31回東京国際映画祭・TIFF マスタークラス》岩代太郎 – 映画音楽人生論 「嬉しい時、悲しい時、ドキドキする時、これをすべて音楽で表現したい」

第31回東京国際映画祭も盛況に終わったが、TIFF マスタークラス、「映画音楽人生論」と題し、作曲家の岩代太郎が登壇。今年は演劇にもチャレンジ、奏劇「ライフ・コンチェルト」を上演した。

岩代太郎は「(関わった映画は)50本ぐらい・・・・・映画を通じて多くのことを学びました。(かれこれ)25年?かな?」と語り、一番困る質問は「どうやって作曲するんですか?」だそう。基本的に依頼があり、創作活動を行うわけであるが、当然締め切りというものが存在する。現在も締め切りを抱えているそうで「3週間で35、36曲?1日1曲から2曲は書かなくてはならない」と言い、曲は「締め切りによって生まれる(笑)」、一番大切なことは「体力!」と言い、「20代なかばから様々な仕事をやってきました」とコメント。そして売り込む際には「その脚本ならではの音楽を追求したい、その脚本にしか存在しない音楽を創りたい」というそう。二つめに大切なことは「どこにどう音楽を入れるかのアプローチ・・・・・一つ一つプレゼンテーションする。音楽を入れたくないところもある」三つめは「脚本から導かれた音楽は何を担うべきか」作品テーマを表現するための音楽、つまり、その映画、その世界観にしか存在しえない音楽を創造する、ということである。また2時間強の映画の中で「クライマックスは2回」という。これに関しては作曲家によって変わってくるところであろう。まずは「観客の心を一番揺さぶるところ」と言い、ここを一つめのクライマックス、そして二つめは「エンドロール、誰でも余韻に浸りたい・・・・・・・エンドロールの始まりに注意を払っている」と語る。

数多くの作品に携わってきた岩代太郎であるが、映画音楽は「何もないところから創る」そして脚本が届き、そこから来るイメージ、「こんな感じかな?」と作曲し、クランクインの前に監督に渡すそう。そして「春の雪」(2005年 行定勲監督)の映像が流れた。それから撮影前に作曲した曲をピアノで披露、実際に映画のシーンで流れた曲とは異なっており、つまり役者の演技で印象が変わる、曲をがらりと変える、より『映画に寄り添う』形になる、ということ。また作曲家と監督の信頼関係も要である。

次に流れた映像は「闇の子供たち」(2008年 阪本順治監督)、過酷な内容なので受けることに躊躇したと語る。「この作品に関しては他人のフィルターを通さずに自分が思うがままに届けたかった」と自身で演奏した理由を語った。岩代太郎のこだわりを感じるエピソードである。

また「音楽でその作品のバックグランドを描きたい」ということで、流れた映像は「あゝ、荒野」(2017年 岸善幸監督)。朝鮮の民族楽器チャングを使用している場面、ここでの太鼓の音について「直接的には要らないのかもしれない」と言う。二木建二というキャラクターが登場するが、演じている俳優はヤン・イクチュン、彼に合わせてキャラクターの設定を韓国人とのハーフに変更している。「ストーリーとは直接関係はないけど、その生い立ちを表現したい」ということでチャングを使用。その「音色の意味」、また「殺生しないとできない楽器」、日本では三味線がそうであるが、このチャングは羊や馬の皮を使っている。ここに岩代太郎は注目し、こういう音色が持つ魂「命をいただくことで成立する」と言う。「命の片鱗を感じさせるメロディー」とコメント。また印象深い仕事として「許されざる者」(2017年 李相日監督)「人間の情ではなく、業に訴えたい、それには太郎さんしかいない」と監督に言われたそうである。

トークも1時間ぐらい経過したところでゲスト登場、朝の連ドラ「まんぷく」で音楽を担当している川井憲次、大きな拍手が起こった。映画音楽の話になり、川井憲次は「映画監督さんって自分の世界をすごく持っている」と語る。そして方法論など全ての面において「監督によって全て違う」とコメントした。そして「細かく言ってくれた方が助かる」と語る。そして制作の裏話など楽しいトークが繰り広げられ、客席は時折笑いに包まれた。岩代太郎は「監督によって違うので、その現場の空気感を知りたい」ということで現場に行くこともある、と語り、「待ってたら呼ばれないので、もちろん、呼ばれる時もありますが、呼ばれなくても行く(笑)」と語った。

それから再び、岩代太郎のトークタイム、「蝉しぐれ」(2005年 黒土三男監督)の映像が流れた。「作曲は基本、お仕事をいただく」と語る。しかし「たまに一つか二つは自分からやらせて欲しいと頭を下げにいくこともある」と言う。この「蝉しぐれ」は藤沢周平原作、岩代太郎は原作ファン。「どうも『蝉しぐれ』が映画化されるらしい」と聞き、「これは僕だろう」と思ったそう。ここでピアノでメロディを弾き、「このメロディを持って・・・・・頼まれてもいないのに『蝉しぐれ』ってこういう音楽だよねって・・・・・。日本で公開の後にソウルで試写会が行われました。満席の試写室・・・・・・この映画の後半です、夜道を逃げるシーンがある、赤ん坊を抱えていて、その赤ん坊が急に泣き出す。日本人でしたら、涙無くしては語れないシーンなんです。ところが試写会で、ここで笑いが起きたんです。『なんでここがおかしいんだろう?』と。わかりません。国民性による笑いのセンスってこうも違うんですよね」と体験談を語った。「笑いのセンスに関しては最も気を使うところです」とコメントし「自分から仕掛けて(仕事が)取れないっていうことも、もちろんあります。幸いにしてこの『蝉しぐれ』はご縁があった」と語った。

そして「映画音楽というのは観ている人にとっては一つの答えになる、そのつもりで書いています。観客にとって一つの答えになりうるのが映画音楽の存在」という。確かに音楽が流れることによってイメージが膨らむ、そして「観客にどう観てもらいたいのか(音楽は)その答えを与える」といい、しかし「でも、観る人によって印象は変わる」と語る。そこは千差万別。それが「映画音楽の役割、そして答えをあげた方がいい、(音楽で)わかりやすくする」と語る。「つまり、どう受け取ってほしいかをサウンドトラックは知らず知らずのうちに皆さんに答えをお届けしているんです。これを悪い言い方をすれば、答えを決めなければならない」つまり「この映画をどのように仕上げたいのかっていう、料理にたとえるとスパイスです・・・・・・・プロデューサーが作品をどう考えているのか、作家性をきちんと表現したいと思っている・・・・・・みんながみんな同じ印象を持つ、それはのりやすい映画ですよね。映画の『わかりやすさ』は多くの人にとって魅力のあるものになる。見やすければ見やすいほど、入りやすいものになる。人によって『どうなんだろう』っていうものよりも・・・・・最後のダビングの時に『ここはもっとわかりやすくしなきゃ』って・・・・・最後でわかりやすくしあげよう、なるべく空気感を伝えたい、ある種の答えを出さなきゃ」と語る。映画音楽の役割はその作品そのものがどういうものかをある種決定づけるものとなりうるわけである。

ここで中国から来たディレクターを紹介、日本と中国の架け橋になるような合作映画を作ろうとしているそう。「監督に寄り添うのが筋が通る、監督のものなので・・・・・・岩代さんの曲はピュアで美しいのが印象的」とコメント。

「プロデューサーとディレクターは時代によって変化する」と岩代太郎。また「サウンドトラックの時代性、今を感じさせるものを入れていかないと・・・・・・今を感じさせるものを求められています。その、今、求められているものはモチーフではなくて音響デザイン的なもの、一つの時代性だと思うんです・・・・・・・また僕しか書けないものを、しかし、今を感じさせながらも普遍的なものも入れる。そのバランス感覚」と語る。

ジョン・ウー監督との話になり、ジョン・ウー監督は岩代太郎が手掛けたアニメ映画「るろうに剣心」を見たそう。作品を通じての人と人とのつながり、縁を感じさせる。「感無量です。僕らの仕事は常に『人』からなのです」と力を込めてそう語る。仕事で出会い、そこで収入を得て次の仕事にいく、というわけだ。「レッド・クリフ」(2008年 ジョン・ウー監督)の製作の話になり、映像が流れた。規模は「日本の映画なら4本分」監督は「この映画で撮りたいのはバトルシーンじゃないんです」といい「なんで一緒にやりたいのか?」と。スタッフには様々な国籍の人々がいたが「みんな戦いあっていた、ほんの数十年前まで殺しあっていた民族が、一つの志のもとに作品を作ろうとしている。これが私のやりたいことなんです」と監督は言ったそうである。さらに「戦争に勝者はいないのです。でもそんな反戦映画を作りたいって言ったらお金は集まらない、でも、本当にやりたいのはそこ。バトルがかっこいいというメインテーマは必要ない」と監督は語ったそう。そこで岩代太郎はピアノを弾いたが、それを受けての音楽。「最後のラストシーン、『勝者はいない』、監督は何を表現したかったのか、ということ」そしてまたピアノを弾いたが、「西洋の理論と東洋の感性が交わった音楽」だから「(音楽は)日本人でなければならないんだ」と監督に言われたそうである。

制作現場は多国籍、アジア、中国、韓国、モンゴル、みんなで集まって作る、「昔、戦いあっていた人間たち、志を一つにする、それをやりたいんだ」と言ったそうで「彼のライフワークです」と岩代太郎。続けて「ここで人生を学びました。価値観、常識がシェアできない者同士が志を一つにする。映画がおわってみんな友達になった」異なった価値観、異なった言葉、異なった文化の人間がいかにわかりあうには映画業界にとっては大切なことです。・・・・・・だから日中合作映画、本気で動いています。おそらく、異なった価値観の人間とどうやって信頼関係を結ぶのか、最初のキーワードは『慈しみ』だと思います。愛ではない、愛というのは、求めていたものが愛でないと。僕は一人暮らしが長かったので一人でお茶を入れていました。家内が言うんです『結婚したんだからお茶ぐらい入れてあげたい』と。のろけではないです(笑)」という。「愛情というのは相手が求めている形でないとなかなか愛情として受けとってもらえない。慈しむ、敬うという気持ち、これはほぼ100パーセント、誤解なく伝わるんです、『あなたのことを尊重しています』と。「そういう人と人とのコミュニケーション、ありとあらゆる民族が、監督は怒ることがあっても穏やか。彼の現場で最も人生について学んだことです・・・・・音楽は何を担うのか、ジョン・ウー監督の現場で学んだことです。僕なりに30年この仕事をやってきて・・・・・・たった一つの夢があります。それは本当に国境や民族を超えられるような映画をやりたい、作りたい、音楽家ですから・・・・・セリフのない映画を作りたい、セリフがない映画であれば、そこにキャスティングを含めて国籍は関係ない。セリフの代わりになるような音楽をずっと考えてきました。嬉しい時、悲しい時、ドキドキする時、これをすべて音楽で表現したい。だからセリフの代わりに音楽で物語を紡ぎたい。この夢を実現したい」と語って締めた。

また質疑応答の中で岩代太郎は「日本の映画は世界のマーケットではなく国内のマーケットで、という視点で作られている。ところがアニメ制作の現場では最初から世界進出の話が出ます。世界で売るために、です。打ち合わせの段階から思い描いているマーケットが全く異なります。映像音楽に関わる者としては、とても寂しい。例えば、韓国は国内自体のマーケットが小さいから最初から世界を目指している映画製作をせざるをえない。日本国内はそれなりにマーケットがある。だから映画プロデューサーや監督に世界を目指す視点を、一人でも多くの監督たちに持って欲しいな、と。ポシィティヴな話をいたしますと、若い映画監督は、バブルが崩壊した後、資金的に恵まれない環境の中で監督デビューをした。少しでも撮影の必然性を高めるために、音楽がなくても成立するような脚本であれば、よりお金がかからないから。そうなってきた時に、音楽家としては寂しい限りですが、音楽がなくても面白い脚本を見つけようと苦心しながらデビューする監督はたくさんいます・・・・・完成度の高い映画ほど『音楽なくてもいいじゃないか』・・・・・・本音です。今の若い監督は音楽がなくても面白いものを一生懸命作る、たくさん、います。だからといって音楽を演出のスキルとして生かさないのは音楽家としては寂しいですが。本当に脚本だけで勝負しようとする鍛錬をしている若い監督はたくさんいらっしゃるんで、『よし、いよいよ世界に出るぞ』という大志を持ってどんどん羽ばたいていって欲しいなと切に願っております」と語る。

またいつから音楽を志そうと思ったのか、という質問が出た。岩代太郎は「音楽を頑張ってやろうと思ったのは中学3年生から・・・・・・大変遅いスタートです。この夏は原作から手掛けた舞台、奏劇『ライフ・コンチェルト』をやりました。持論ですが、文学をやるにしても絵を描くにしても、音楽をやるにしても、基本、誰でもできることだと思っています。誰でもできることですが、自分にしかできないことを探すのが大原則です・・・・・・表現することは誰でもできる。やりたいと思う衝動。誰でもできることなんだ、そこから頑張り続ける、これがプロとしてやっていけること。それから全ては『人』から始まるんです。まず、覚えてもらう。それから僕の力になってくれそうな人を紹介してください、と。」と語る。それから自身の経験を語ってくれた。出会いから全てが始まる。またなぜ、「闇の子供たち」はなぜ他の演奏家に依頼をせずに自分でおやりになったのですか?という質問が出た。「脚本を見てそのメッセージを見た、その自分の気持ちを誰に伝えたいか、そこは演奏家の人、つまりそれだと人様のフィルターを通すことによって、その人の感性が付加されるわけです。僕はあの作品に関してだけは、人様のフィルターを通さずに、僕はその時に何を感じたか、何を伝えたいか、を思ったをそのままで伝えたい・・・・・・それで『すべて自作自演でやりたいんです』という話をプロデューサーとかにお話をしました」とコメントした。また次世代に向けてのメッセージ、求めていきたいことは?という質問が最後に出た。「映画業界というのはボーダレスです。それはハリウッドでも日本でもそうです。映画業界という世界があって、そこには時代に左右されない、人類にとって最も大事なものを伝えようとしている人たちがたくさんいます。手塚治虫さんの生前のインタビューの中で『地球上で国境がなくなる時はどんな時か?それは将来、宇宙にまで人間が住むようになって、眼下に地球を見ながら生まれ育った人間たちが出てきたら、その時に初めて国境がなくなるんだろう』というような話をされていたことがあるんです。それに大変、感銘を受けました。地球という単位で物事を考え、何を伝えたいのか、何を作っていきたいのか、それは宇宙で生まれていない僕たちでもできることだと信じたい。地球を俯瞰で見た時に何を後世の人々に伝えるか・・・・・・映画から離れてしまうかもしれませんが、国の将来の形、地球の形を作るにに大切なものが2つあると思います。1つは教育と文化です。教育と文化によって国の形、国の将来ができると信じています。地球を俯瞰しながら、どんな世界に僕たちは生きていきたいのか、その理想を、経済や政治ではなく、文化で表したい。ささやかですが、その一翼を僕も担いたい。映画製作を目指す方々にとっては、美しい日本を目指さないで、美しい地球を目指して欲しい。そういう志を持って文化を目指すということは、教育と同じように私たちの、この星、この世界は一体、どこへ向かおうとしているのか、ということの道標になりうる・・・・・・ちょっと大きな話になりましたけど、そういう心がけを持っていただければ・・・・・・ありがとうございます!」と語って締めくくった。

取材・文:Hiromi Koh