宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」を観ました。
鈴木博之さんの「私的全体性」のことを想いました。
対象を分析する(説明する)には要素に分けていけば良いけど、要素(部分)を集めて全体をつくる行為の本当のところは説明できない。(普遍化できない)
宮崎駿さんの「君たちはどう生きるか」はコルビュジエのラ・トゥーレットのようなものだと思いました。
コルビュジエは膨大なテキストを残しています。
しかし、コルビュジエの建築が色褪せないのは、同時に説明できない(本人にも)、説明不可能性にあると思います。
そして、その説明できない部分に圧倒的な奥行きを感じます。
そういう芸術的で巨人のようなデミウルゴス的なものづくりは現代ではもう無いだろうなとも思いました。
この時代になっても宮崎駿さんの作品にリアルタイムで触れることができるなんて幸運かもしれません