記者講演録)奈良県山添村の水道水源保全と自治振興を願って~メガソーラー村議会反対決議から3年
巨大太陽光発電計画に反対する看板。白壁の伝統的家屋が見える=2022年11月14日、山添村
【本稿は、山村の人々が望まない開発やこれからの水源地の在り方について「奈良の声」や著書で伝えてきた浅野詠子が2022年11月20日、奈良県山添村大西の村ふれあいホールで開催の「メガソーラー建設反対運動丸3年 講演とトークのつどい」(馬尻山のメガソーラーに反対する会主催、参加者約200人)で、「水と緑の山添村がつくる新しい自治の時代」の演題で講演した際の内容を修正し再構成したものです】
住民投票で単独村選択した村
山添の皆さん、こんにちは。いまを去る19年前、平成の大合併の時代、人口30数万人の都市、奈良市に編入されることを潔しとせず、村は住民投票という民主的なツールを活用して、合併するか否か、村民の意思を問い、多数の人々は単独村を選択しました。
確かな自治が守られました。その後に誕生した二つの条例、村の水道水源を保護する条例、そして土砂の埋め立て規制についての条例は、まさに本日のテーマと関係しますね。村が残らなかったら、こうした条例も存在しませんでした。
条例というと、日本で最初に情報公開条例を制定したのはどこだと思いますか。答えは山形県金山町(かねやままち)です。東日本なので「ちょう」と発声せず「まち」と名乗りますね。
人口数千人の小さな町が国や都道府県に先駆け、住民の「知る権利」に応えようとして制度をつくりました。そこに地方自治の特質を見いだすことができるでしょう。
本日は村に降り掛かったメガソーラー建設計画(81ヘクタール)への反対運動3年という節目に、お話しをする機会を頂きました。私もできることなら一から、皆さんが最初に開発が降り掛かった当時に、どんな思いがしたのか、その気持ちに迫ってみたいと、県庁に開示請求することにしました。
まずは事前協議に関わる公文書です。2019年に開発業者が県に提出した文書にひどい誤りがあったことは、村内でも有名です。開発する事業主体の中に、実際と異なる二つもの会社名が出ていました。2年もたって、開発業者が修正しましたね。
分野はまったく異なりますけど、もしも公共事業のJV、ジョインベンチャーが入札参加申請をしたとき、実際と異なる業者名が届け出られていたら、どうなります。即時、指名停止ですよね。
先日、県庁から電話がかかってきて、その事前協議にまつわる文書のことで、法人名の一部を黒塗りにするかもしれないと話していました。県庁が強い者に有利に、情報公開制度を運用するとは思ってはいませんが、仮に競争上の地位を保全する建前が、県民の「知る権利」より優越し、安易な不開示になるなら、容認できません。考え直してほしいものです。
この事前協議を巡っては、村の水道水源保護条例に照らし合わせて不適切な問題が残されているという指摘が村議、村民からなされ、本年3月、メガソーラー反対の人々から出された請願の審議においても議論されています。
定数10の村議会ですね。請願を採択するか否かの採決の時には、1人が退席、4対4の可否同数となって、最後は議長採決となり、議長が請願反対に回ったため、採択されませんでした。
「静粛に」という議長の言葉がそのまま議事録に残っています。野次を奨励するつもりはないのですが、人々の慟哭(どうこく)、無念、やるせない思いが、行間から伝わってきます。こういう迫真の会議録は最近、見たことがありません。
メガソーラーの計画が浮上したとき、村議会は全会一致の決議をしていました。それから2年3カ月ほどたって、こういう局面を迎えたのですけど、分裂とか分断とか亀裂というマイナスの言葉を内側から信じ込んでしまうのではなく、いまこそ、村民が培ってきた健全な批判精神をもって、これからも争点の発掘、新たな争点の発見に努め、お一人一人の民主主義が鍛えられていく機会であってほしいと願います。
もう一つだけ、県に対して行っている開示請求について少しだけ触れます。計画が浮上して5カ月ほどたったある日、村の農業委員会が職権により開発予定地の農地を一括して非農地として判断し、農地台帳から除外するという出来事がありました。前村政のときの話です。業者が開発しやすいお膳立てのようにも見えます。
これは法令に基づく農地転用ではなく、2018年、農水省が自治体に出した通知に基づいて村の農業委員会が判断したものです。新しい決まりのようなので、村が県庁に相談していないか、たとえ電子メールのやり取りでも、一片のメモ書きでも、組織で供用されていたら公文書に該当することもあるので、県に開示請求したのでした。
「ない」と県当局がいうので、もう一度探してほしいと申し入れました。すると先日、「ありました」という電話がかかってきました。それは、私が予想した、県の助言ではなくて、本日のシンポジウムでこれから登壇される県会議員の阪口さんが早くから注目していて、議会で質問をする通告を受けて、県当局が答弁を作成するため、村から取り寄せていた資料でした。
公文書とは言うまでもなく、県が作成したものだけが該当するのではなく、県が入手したものは、たとえ村が作成したものでも、県の情報公開条例によって開示・不開示の決定がなされます。
安易な文書不存在の判断は改めてほしいです。
これからの町内会、自治会
奈良県庁がある場所は大和川水系の流域に当たります。私も本日、その流域から参りました。山添村のこの会場は、名張川の上流域に当たりますね。淀川水系というわけです。思えば西暦2000年の初め、国民の「知る権利」に応えようとした河川整備計画の範として、今日でも追随を許さない、淀川水系流域委員会を司った元近畿地方整備局の宮本博司さん(元国土交通省防災課長)がこんなことを言っています。
「自分たちの想定が間違っていないかを想定する謙虚さが大事である」と。これは公共事業だけじゃなくて、民間による開発にも応用してほしい理念です。まして民間企業に対しては情報公開を請求する権利はないし、監査請求する権利もありませんね。
異常気象、気候変動といわれる時代。30年、40年前のゴルフ場開発の時代とはまるで違います。国連が掲げるSDGsという持続可能な社会づくりの指標の中に「住み続けられるまち」という目標があります。これがまさに、本日のテーマとも関連し、これまでないがしろにされてきた水源地の人々が安心して暮らせる、水源地にも主権がある、という考え方に発展させていくことは可能だと思います。
本日はソーラー反対運動3年の集いであり、いま何が大事か、19年前の単独村を決した住民投票を思い起しながら、公選の首長、公選の村議会、そして住民による自治、情報公開などのキーワードを語ってまいりました。もう一つ、大事な観点としてお話したいのは、町内会、自治会、区、共有林、地域共同体、地縁といった人と人との関係です。
いま奈良盆地では、知事の肝いりによって、水道を一つにする、県域水道一体化構想というのが進められ、奈良市は離脱しましたが、本年6月、忘れられない出来事が、葛城市という人口約3万7800人の市でありました。
葛城市の区長会が、市に一体化に参加しないことを求める陳情をしたのでした。44カ大字。この44という数字は、かつて奈良市の小学校区も44、議員定数も44だったので、何やら親しい感じがいたします。
葛城市には、豊かな自己水源があって、奈良県一安い水道料金を維持しています。江戸時代のため池8カ所を3つの市営浄水場につなぎ、水道を営んでいます。県営水道の依存率が低いのです。区長会の決定は奈良盆地に激震が走ったようです。奈良市に置き換えてみたら、自治連合会の決定のようなものですものね。重みがありました。
それは、何百年という歴史をもつ地域の共同体としての重さもあるでしょうが、伝統というだけではなくて、新しさもあるのです。
それは地方分権のうねりの中にあります。国と地方は対等、協力の関係にあることを閣議決定し、400数十本の法律が改正された地方分権一括法の施行は西暦2000年のことでした。そのころ、自治振興の研究課題として注目されたのは、市町村内の分権、つまり、中学校区単位などの自治会に対し、市町村役場の権限の一部、予算の一部を移譲できないか、そうなると地域はさらに活性化する可能性がある、という視点です。現に、試験的な予算を講じてみた県もあったそうです。
このたび、山添村の馬尻山に降り掛かったメガソーラー建設計画におきましては、市議会、村政、住民、これに加え、区という存在がいよいよ試されると思うのです。
馬尻山の自然を守ろうと呼び掛ける村民手作りの絵はがき。シンポジウム会場で紹介された
奈良市水道100年の恩人
反対運動3年。昨年12月の定例村議会では、新しい村長が開発業者から聞いた情報をもとに、メガソーラーの送電線のルートとなる地区について言及されています。具体的な地名を発言され、奈良市の都祁地区に至るという情報でした。
1年がたちましたので、この間、奈良市役所に対し、開発業者から送電線ルートについて何らかの連絡はなかったのか、市の情報公開条例に基づき、先日、開示請求してみました。
文書があるのかないのか、例えば、道路占用に関しては市役所の土木管理課が担当しますし、高圧電線の届け出は景観課、林地の開発なら農政課、農地転用は農業委員会、旧都祁村のエリアを担当する市都祁行政センターでは総務課と地域振興課、このほか脱炭素を担当するのは環境政策課、新産業に関することなら産業政策課と、多岐にまたがるそうでありまして、市役所の情報公開の担当課は関係しそうな課に当たってくださったのですが、業者が接触したという痕跡はどの課にもまだなさそうです。
もし何かの動きがあれば、市は厳正に対応してほしいです。そして市議会も厳しく監視して、山添村の水道水源を守る防波堤になってほしいと願います。
本年9月30日、奈良市の水道が大正時代に給水を開始して100年の節目の年を迎えました。戦後は人口が急増して水需要が予想を上回ってしまいます、長期の断水という事態を招きます。こんな出来事があったのですね。「自分たちの当初の想定が間違っていないか」と投げ掛けた宮本さんの言葉を思い出します。市当局は想定していなかったのでしょうか。
自衛隊の給水車が来ました。お隣の大和郡山市からも。あのときはまだ生駒町でしたが、生駒からも給水車が駆けつけています。学園前の鶴舞団地も断水し、市の水道局の職員が連日、出勤前に、団地の5階までバケツリレーを手伝ったという話が長らく、先輩職員から後輩へ語り継がれてきました。
二度とそうした事態を繰り返さないことを誓って、市は水源ダムの水利権獲得に心血を注ぎます。それがこの山添村の人々の多大な協力のもとに築造された布目ダムです。仲川げん奈良市長はこの10月、県主導の水道一体化構想に参加しない表明をしました。ひとえに、安定した自己水源があってこそ、大きな決断に至ったと私は思っています。
市長が離脱を表明する2カ月ほど前の夏の日のことでした。奈良市の水道は一体化に入るのか否か、まだ余談を許さない状況にありました。市民の有志が市営水道の良さを訴え、その存続を願って市政記者クラブで会見をしたのですが、幾人かの呼び掛け人の中に混じって山添村の村議の方がお一人おられました。
なぜ水源地の人が村外の水道消費地にエールを送ったのか。いま思いますと、かけがえのない布目川の清流と集落の水没を引き替えに、ダム建設に向き合わざるを得なかった村がある。この水源を提供するのだから、どうか健全な水道をいつまでもしっかり営んでほしいという強い要請があるのだと、私は理解しています。
水道を享受する者が、水源のダム建設の地から励まされるなんて、そんな構図、全国でも珍しい光景だったと脳裏に焼きついています。
私はこれから奈良盆地に帰り、一人でも多くの奈良市民に申し上げたい。命の水の源にある人々に、望まぬ巨大太陽光発電建設計画が降り掛かり、村人が享受している簡易水道水源の森がどうなってしまうのか、不安を抱き、開発容認派との分断にあえぎ、反対運動に格闘している姿を知ってほしいです。
しかし、こうも思います。私たち奈良盆地の者は、水の恩人に感謝して激励を送るだけの存在なのか。むしろ私たちもメガソーラー開発問題の当事者として自覚することで、こんなものは嫌だと反対する山村の人々と連帯できると思うのです。
最近、兵庫県の明石市に取材に参りまして、あるヒントを得ました。ユニークな市民団体があって、その名は「播磨の里山とため池に1枚もソーラーパネルをはらせない会」といいます。長い名前ですが、自分たちの思いを正確に伝えるために、あえて長いネーミングにしているのかもしれません。兵庫は日本一のため池王国。でも、奈良県だってその数、全国で7番目くらいに多いと思います。大和の原風景ともいえます。
先ほど紹介した、奈良県の市町村水道の自己水源開拓モデルになり得る葛城市のため池ですが、もしもソーラーパネルが張られるような事態になってしまったら話になりません。このごろ奈良盆地を散策していて、感じのよいため池があるなと思っていたら、気がついたら一面にソーラーが張られてがっかり、という光景に出くわすこともあります。
播磨の国、明石市の人と接すると、ため池に愛情を持っている様子が伝わってきます。奈良県民はどうでしょうか。巨大ダムの吉野川分水から送られてくる潤沢な農業用水によって、ため池の存在感は少し薄れてきたでしょうか。宅地開発や公共事業用地などに供され、その数が減り続けています。
いま奈良盆地は、各地のため池で水を抜くシーズンが到来しています。晩秋から冬にかけて見られる風物詩。えん堤を強くするために行う恒例の作業です。干潟に野鳥が飛来し、何かをついばんでいます。明石市内には100個ほどのため池があるそうですが、この季節、「かいぼり」といって、小学生もおとなも参加して、池の管理者と一緒に泥さらいを行う地域があると聞きました。ときには大きな淡水魚が顔を出して子どもたちは大騒ぎだそうです。瀬戸内海に面していますから、養分のある泥を沿岸に押し出すことにより、漁業関係者からも歓迎されると聞きました。ここにも健全な水循環があるのですね。
これからも奈良盆地の地域資源を活用した治水、利水を探り、私たちも足元で行動することによって、山添村の人々との交流を深めたいです。本日の私の話は、ソーラー建設反対運動をする水源地の人々に向かって、激励の太鼓を鳴らしたにすぎません。この会場でシンポジウムがこれから始まりますが、巨大太陽光発電の開発問題と日ごろ対峙し、地をはうような活動をしている4人が登壇し、集いはいよいよ盛り上がってまいります。どうもご清聴ありがとうございました。
【4人が登壇したパネルディスカッション】
メガソーラー反対丸3年シンポジウム=2022年11月20日、山添村大西の村ふれあいホール(亀谷敏律さんのフェイスブックから)
反対運動当事者として教訓語る元村長
講演に続き、公開討論会が開かれ、4人が登壇した。京都府南山城村の元村長、橋本洋一さん(南山城村の自然を守る会)は、村長退任後10年近くにわたりメガソーラー開発反対運動に取り組んできた。現在、工事が進んでしまった状況を語り「奈良県の開発許可が下りていない今なら、開発を阻止できる」と山添村民を激励した。
南山城村の砂防指定地の森林に計画が降り掛かったのが2013年。事業者は通産相(当時)と中部電力に事業申請をした。計画を懸念する橋本さんら住民は京都府に相談したところ「まず地区の皆さんが開発をストップさせる気持ちを持つことが大事です」と諭されたという。にもかかわらず土砂災害や自然破壊の不安を訴える村民の声は行政に届かず「府と国は一貫して私たちの主張に耳を貸さず、工事の進行を擁護し続けた」と批判する。
日本の山間部では珍しくないことだが、開発者側はご多分にもれず「山を持っていてもお金にならないでしょう」と村民に近づいてきたと橋本さん。ある地区に対しては「6ヘクタールの区有林に年間300万円の借地料を相当期間払います」と持ち掛けてきた。「開発を認めれば役場にも固定資産税が入るのだから」と賛成する人も現れた。
それでも反対運動の担い手たちは、行政に開発の不許可を求め続け、住民の署名も集めた。国会にも陳情し、不服審査請求なども行ったが、2019年1月、京都府は林地開発許可と砂防指定地内の開発許可を下ろしたのだった。
橋本さんは、変容したふるさとの山林を知ってもらおうと、ソーラー開発前と開発後の変わり果てた姿をカラー印刷し、会場の参加者に配布。「金銭やサービス提供による誘惑に負けないでほしい。行政と議会が住民の意思に応え、先頭に立ってほしい。地域の自然や歴史を大切にする学習を続けよう。山添村の皆さん、頑張ってください」と激励した。
住民の生活を優先に
パネルディスカッションには、山添村内のソーラー開発計画予定地で動植物の調査に携わった環境省希少動植物保全推進員の武田恵世さん(歯学博士)が三重県名張市から駆け付けた。武田さんは「自然エネルギーの罠」「風力発電の不都合な真実」などの著作があり、再生エネルギーの課題に詳しい。武田さんは、太陽光発電にまつわる国内各地の不都合な真実を次々と報告。2018年9月に起きた北海道胆振東部地震を引き合いに出し「被災地は大停電に見舞われたが、風力もソーラーも役に立たなかった」と警鐘を鳴らした。
パネラーとして登壇した県議の阪口保さんにとって、山添村は自分の選挙区ではない。フェイスブックの友達がたまたまソーラーに反対する村民だったことから、次第に関心を寄せるようになり、県議会で何度か取り上げた。50年ほど前から足尾銅山鉱毒事件や公害問題に関心を持っている。「この問題は何より住民の生活を優先にして取り組むべき」と訴えた。太陽光発電そのものを規制する法律はない。阪口さんの県会での質疑を端緒に荒井正吾知事は本年6月の定例会で「開発地域の安全確保および地域住民とのトラブル未然防止などの観点から、個別の実効性の高い規制が必要と考え、条例の制定に向けて検討を進めている」と答弁した。
馬尻山というのは、特定の単独峰を指す名称ではない。春日区、広大区、菅生区に広がる標高400メートルから500メートルの山林一帯が昔からそう呼ばれている。簡易水道の利用者として大西区も影響下にある。人々が村内外で反対署名を集め初めてから3年になる。村内で集まった署名だけでも人口の半数を超えている。
「馬尻山のメガソーラーに反対する会」共同代表の向井秀充さんが活動報告をした。「地域住民、学校が利用する水道水源の取り入れ口の真横が大規模ソーラーの開発計画地。馬尻山は伊賀盆地を見下ろす風光明媚(ふうこうめいび)な涵養(かんよう)の森。ハザードマップでは土石流警戒区域にもなっている。一刻も早く業者は撤退表明してほしい。ソーラーの乱開発により山林が無残にも丸裸になってしまった平群町のことを思えば、馬尻山は原風景が残っている。力を合わせて守ろう」と呼び掛けた。 関連記事へ