記者講演録)自治体芸術文化予算の充実を求めて~桜井市民会館休館を考える/奈良県
奈良県桜井市が「一時休館」を決めてから3年が過ぎた市民会館=2024年5月8日、同市粟殿
本稿は、「奈良の声」記者浅野詠子が2024年5月19日、奈良県桜井市粟殿の市中央公民館で開かれた文化講演会「芸術文化がまちをつくっていくってどういうこと?」(文化を考える桜井市民の会主催、同市教育委員会後援)で講演した際の内容を修正し再構成したものです。
市町村文化ホール建設ラッシュの時代があった
文化の殿堂として多くの市民に親しまれてきた桜井市民会館(1200席、同市粟殿)ですが、耐震診断により大地震で倒壊する危険性が指摘されたため、3年間も休館しています。
この間、地域の文化を担う人々らが行政に掛け合い、建て替えや再整備などを要望してきたそうですが、開口一番、「お金がない」と返されてしまうと嘆いておられます。
本当にお金がないのでしょうか。当局は財源を探しまくって、万策尽きて、そう言っているのか、それとも「お金がない」と言えば住民はすごすごと引き下がってくれるだろうと期待しているのか。
まずは身近な地域史を振り返ってみます。あれは1990年代のことでした。奈良県内で25もの市町村が続々と立派な文化ホール付き公共施設の建設に乗り出しました。
建設事業費のうちの相当な割合が地方交付税で戻ってくるというのが首長側が唱える利点でした。県が奨励し、市町村総額で1200億円近くもの借金を許可しています。
「建設費の半分ぐらいが交付税で戻ってくる」と議会で豪語した市長もいました。
最大の箱モノが奈良市が新築した市なら100年会館でした。246億円もの事業費をかけ、借金は30年返済なので、市役所は今も金融機関にこの文化ホール建設に要した金を返しているのですよ。
当時、生駒市の担当者が「うちも、ああいうのをつくりたい」と100年会館に相談に訪れたことがあります。
生駒市長だった中本幸一氏が落選し、大ホール建設の構想は消えたようです。実現していたら、客席1400の文化ホールが隣り合う市に二つ並んでいたことになりますね。近くには県立の立派なホールもあります。生駒市の有力議員が「大は小を兼ねる!」と言い放っていたと、当時の同僚市議が耳にしています。
市町村によっては、財政の身の丈を超えて、施設の規模が膨張した団体が幾つかあります。人口が2万人ちょっとしかいないのに1000席のホールを建設し、これだけが理由ではないですが、財政健全化法に基づく国の指導を受けた町もありました。同じような人口規模で400席の規模にとどめた団体もあります。
施設をいたずらに膨張させれば、将来世代の負担額は大きくなるけれど、発注した時点において、落札した企業から政治献金という形で議員のポケットに環流させることも可能でした。こういう勢力は、建設にも熱心だったけれど、現代の新しい潮流である、公共空間を減らす、ということにも熱心でしょう。いわば時局便乗型の政治家と言えます。
それで、本当に交付税は戻ってきたのか。最近、奈良市の情報公開条例を利用して、財政担当者に関係文書を探してもらったのですが、どうもはっきりしない。「100年会館の建設によって、どれくらいの交付税額が措置されたとは明言できない」というのです。
工事を誘導した県にも責任があるでしょう。文化ホールの借金の名は「地域総合整備事業債」(地総債)といいます。桜井市では文化ホール付きの市立図書館新築(24億円)が該当します。本日の集いで、再生することが命題である市民会館ですが、もっと早い時代に花開いた先駆け的な文化ホールでした。
この地総債なる制度は、すでに廃止されましたが、旗を振ってきた当時の柿本県政は特段の検証をしていないでしょう。柿本知事から後継指名された荒井正吾前知事も、検証しなかったと思います。表向きは市町村の文化振興を掲げて、文化ホール建設の推進に動いていた県政。文化の空間の再生、充実を願う市町村の思いに耳を傾けてほしいですし、はしごを外してはならないと思います。
市町村「決算カード」から芸術文化の予算を探る
桜井市民会館の突然の休館によって、文化芸術空間の再生を住民がいくら求めても「金がない」と行政から返ってくる。まずは市役所の財政状況に市民自ら分け入ってゆくことが大事でしょう。
私たちは租税国家を採用していますので、誰からどれくらいの税を徴収してどう使うのかが、国政、地方を問わず政治の中身となります。文化芸術のための予算だって、どこか特別な神聖な引き出しが用意されているわけではありません。
あれは1980年代の終わりごろ。茨城県水戸市長だった佐川一信さん(1940~95年)が市の予算(一般会計)の1%を市の文化ホールの経費に充てると宣言して実行し、注目されました。マニフェスト選挙というものが提唱されるずっと前のことです。
マニフェスト選挙とは今世紀の初め、「あれもやります」「これもやります」の総花的な選挙公約はやめて、「いつまでに実行する」という期限、「金はここから調達する」(あるいはこの予算を減らす)という財源を明示し、有権者と約束をしようというもので、三重県知事だった北川正恭さんが提唱しました。リベラルな候補らの間に少しずつ広がってゆきました。
水戸市の佐川さんの1%の施策ですが、田村明賞(自治体学会)で知られる田村氏の著書「まちづくりの実践」(岩波新書、1999年)にも登場し「音楽、演劇、美術の分野で一流のものを見せよう」と佐川氏は願ったそうです。「貸し館でなく劇団や楽団を自らもち、一流の演出家や指揮者を呼びたい」と目指し、それらの経費としての1%を構想したと本書に記録されています。
佐川さんの思いから30年余。水戸市役所に聞いてみたら、現代に継承されている施策だそうです。問い合わせに対し、同市文化交流課は「本市の財政規模など、当時と変化した部分もありますが、水戸芸術館は開館以来、本市の芸術文化を発信する中核的施設であり、今後も魅力や特色ある事業を展開していくため、社会情勢等を踏まえながら、開館当時と同程度である約8億円の運営経費を本市の予算において確保しております」と電子メールで回答してくれました。
たとえ市長が代わっても、8億円という数字を削減することは難しいことだったでしょう。文化政策の後退ということになるし、選挙の争点にもなり得る。いつの時代も「文化の市長」と呼ばれるのは、政治家として誉れであると思います。
阪神淡路大震災を経験した兵庫県は「芸術文化は復興に向けた原動力になった」と証言しています。災害劇甚化の時代、私たちも紀伊半島大水害を経験しました。文化ホール予算の1%構想に改めて光を当ててみたいです。
では、自治体財政の要素を凝縮した「決算カード」(総務省監修)に分け入ってみます。全国一律の基準により算出された数値が散りばめられておりますから、桜井市と人口規模や産業構造が似通った市と比較してください。
これを手にすると「あれっ、文化費がない」と気付かれるでしょう。おなじみの議会費をはじめ、衛生費、農林費などが並んでいます。文化財保護の予算は教育費の中に入っているはずですが、実は文化ホール運営などの自治体文化行政がスタートしてまだ半世紀だそうです。「決算カード」の祖型は戦前から存在するといわれ、長い伝統がありますが、文化ホールを中心とした文化芸術予算を探すことから始めてみましょう。
この「決算カード」の中に将来負担比率という、自治体の財政健全化度合いを表わす数値があります。高いほど、将来にわたって、借金まみれで苦しむことになります。現在、公表されているのは2022年度決算の数値ですね。
桜井市の場合、2023年度決算はこの数値が改善されると思います。喫緊の課題である文化ホール再生をはじめとする芸術文化予算の拡充を市に求める際、一つの材料にするのもよいでしょう。なぜかというと昨年、塩漬け遊休地の返済(第三セクター等改革推進債、総額16億円)がようやく終わったからです。
こうした塩漬け遊休地の悪い見本が奈良市で、発生源は、100年会館を建設した大川市長の時代の失策にさかのぼります。必要のない奇怪な山林を大量に買いあさり、市民の目に付かない外郭団体を買収の実働部隊にして、時価の何倍、何十倍もの価格で買収し、資金は銀行から借りっぱなしにしていたから、元利償還金が累増し、400億円近くまで簿価が上昇したときもあります。市は今も返済中で、あと10年くらいかけて返していきます。
同じ磯崎新設計のホールでも、先ほど申し上げました水戸芸術館は元小学校の跡地に建てたので用地費が要りませんでした。でも奈良市は、山ほど遊休地があるのに、駅前再開発の体裁を整える目的もあって、一から用地を買収している。その上、100年会館の入札は機能せず、高値の不落随契でした。応札した全社が予定価格を上回る札を入れ、その最低の札を入れた社と随意契約を結んでいます。
こういう、要因が重なっていきますと、市民の願う教育や福祉、芸術文化の予算を蝕んでいくでしょう。とうとう荒井正吾前知事は「重症警報」という烙印(らくいん)を奈良市に押しています。
さて、先ほど申し上げた将来負担比率ですが、桜井市は来年の2025年度の決算を迎える頃にはもっと改善すると思います。と申しますのは、この比率は公営企業の借金も連結して算出しているからです。
もちろん将来負担比率が改善されるからといって、すぐに一般会計の文化芸術予算が増えるわけではありません。ですが財政上の数値が改善されることによって、トップの気持ちが少しは軽くなって、その分、文化芸術の振興にエネルギーを注いでもらう好機につながればと願います。
桜井市は県域水道一体化に参加するので、上水道の借入金およそ13億円が将来負担比率に計上されなくなるでしょう。この一体化は26市町村と県営水道を統合し、受け皿となる広域水道企業団(一部事務組合、特別地方公共団体)のトップには知事が就任します。
これにより、桜井市よりもっともっと給水人口の少ない弱小の水道群を救済するだけでなく、巨額な国庫補助金や県支援金などを財源として、水道管の老朽化対策を進め、水道料金上昇を抑制する効果があるとされています。
裏を返せば各市町村長の責任は軽くなります。これにより、文化行政にもっと力を入れてほしいという交渉ができるのではないでしょうか。
今回の水道統合により、桜井市営外山浄水場は廃止となり、県営初瀬ダムは水道水源としては使われなくなります。市民みんなの水道水源になると信じて立ち退いた家々があったことを思うと、なかなか割り切れませんが、市民が選んだ首長と市議会双方の判断です。
地域の水道というのも立派な文化だと思いますが、地元の浄水場と市営の経営形態が失われてしまう分、桜井市の文化芸術空間のいっそうの充実を願ってやみません。
それから、またしてもお堅いことを申し上げますが、情報公開制度という仕組みを大切にして、風通しの良い地域をつくっていくことも、地域の文化芸術振興と大いに関係してきます。
情報公開の世界は、オンブズマンの活動を連想するでしょう。市政や県政、国政の無駄を厳しく暴く人たちという何だかこわもてのイメージがありそうですね。ですが「桜井市の文化芸術行政を見守り育てる市民オンブズマン」などと名乗れば、ぐっと身近な感じがしてきませんか。
奈良県で最初にオンブズマンを名乗る市民団体が誕生した土地はどこだと思いますか。お隣の橿原市でした。あれは20年余り前のことです。市が主催する敬老会で毎年、大量の弁当が残るようだ、という話を聞いた人たちが「もったいない」と憤り、その深層を知ろうと、市の財政事情に分け入って調査したことが活動の始まりだそうです。
市町村役場の財政白書を市民たちの手で作る活動も、遠回りのようですが大いに参考になりそうです。身近なお手本は大阪府守口市民が手掛けた市のお財布白書です。三洋電機の企業城下町と呼ばれた市がリーマンショックを機に財政が揺らぎ始めたことを機に、財政事情の深層をつかもうと市民が立ち上がりました。
市は財政健全化法の指導団体に転落することを恐れ、禁じ手である職員の退職手当債などからひっそり借り入れ、赤字を埋め合わせていたことを白書が突き止めています。たいしたものです。ですが、素晴らしいと思うのは、白書を書いた市民たちが、淀川の自然とか、たこやき器製造日本一の地元企業の力とかを見つめ直すくだりでした。
わが町の財政を探求する活動は何のためにあるのでしょうか。その課題を探る過程において、地域資源、地域文化の振興に市民の心が向かうことが一番の成果のようにも思います。長年にわたり市民版の財政白書作りを助言してきた大和田一紘さんは「主権者である市民が、わがまちの財政を読めなければ、まちは変わらない」と言っています。
逆風をはね返す
奈良県桜井市内から望む二上山(右奥)、大和三山(左奥)=2023年10月28日
桜井市民会館自慢のグランドピアノ、スタインウェイはいま、天理市内の県の施設(なら歴史芸術文化村)に貸し出されているそうですね。早く帰ってきてほしいです。
少し前、国民に人気の元知事が人文系の研究者たちの存在をこっぴどくけなし、話題をさらいました。ここ桜井市は芸能発祥の地といわれます。市のホームページにおいても、そうした土地であることを誇り高く解説しています。これは日本書紀の推古20年(西暦612年)の記述に由来しますね。朝鮮半島の百済の渡来人、味摩之(みまし)が桜井で伎楽の舞を伝承する模様が書かれています。
日本書紀は漢文であり、私は宇治谷孟氏が手掛けた現代語訳(「講談社学術文庫」)を頼りにしています。大陸の文化芸能が桜井にやってきた様子を読むことができます。記紀の成立以来、人文系の研究者らが根気よく現代語訳という文化の松明をリレーしながら今日に受け継いできたと思うのです。今日の現代語訳も100年先、200年先には古い言葉となって、その時代々々の生きのいい現代語訳が登場することでしょう。
いま、この会場(中央公民館3階)から見える二上山も畝傍山も耳成山も、万葉仮名を解読する連綿たる研究が受け継がれてきたからこそ、文化の空間として堪能できるわけです。人文系の研究がなかったら、ただの山でしょう。
江戸時代に契沖が住職をしていた寺が大阪市東成区にあるのですが、地元の誇りとして語り継がれています。「万葉代匠記」と銘打った和菓子が創案され売り出されたことを思い起こします。
もう一つ、文化芸術政策に対して逆風に当たる逸話を紹介します。地域振興に欠かせない市町村の学芸員を「稼がない仕事」などと不当に攻撃してやまない代議士が政権党にいました。
数年前のことです。郷土雑誌「大阪春秋」が河内長野市の特集をしたとき、同市に住む人間国宝の人形作家、秋山信子氏の近況を取材して書いてほしいと依頼がありました。同市の学芸員だった尾谷雅彦さんが同行してくださいました。
おひなさまの祖型のような優美な人形を創作する作家でした。お年は80代の半ばぐらいだったでしょう。先生はインタビューをする私の方など見向きもせず、尾谷さんの顔ばかり見て、安心し切ってお話しされていました。取材が一息ついて、お二人が雑談していましたが、お互いの家族構成などもよく知っておられ、何だか、親類同士のおいとおばの会話を聞いているような気がしました。
学芸員というのは、地元の作家とこれほど信頼関係を結んでいるのかと気付かされました。私たちは美術館などに出掛け、展示を堪能して帰ってくるだけでよいのですが、裏方の学芸員や企画者らが日ごろどんな努力をしているのかは分かりません。河内長野市は当時、烏帽子形城を大阪府内で70年ぶりの国史跡にすることが市長からの至上命題だった思うので、考古学専門の尾谷さんはどれほど多忙だったかしれません。
文化政策との関連ですが、忘れられない地方議員がいます。もう引退しましたが、90年代、磯城郡の女性町議第1号として初当選した川西町議の話をします。ある日、その人が私の家に遊びに来たのですが、JR福知山線脱線事故の大惨事から3年ほどが過ぎたころでしょう。川西町立文化ホールにいた腕の良い照明の技術者が脱線事故に巻き込まれ、世を去ってしまったと嘆いておられました。
照明といえば、舞台の裏方ぐらいの認識しか私にはありませんが、担当していた職員の技能を町議の1人が知り抜いている、これはすごいことだと思いました。
何を申し上げたいかというと、地方議員は多様な代弁者で構成されることが望ましいということです。日本の法律は代議制に重きを置き、いずれは住民投票で身近な政策を決めていく機会が増えたらよいと思いますが、時間がかかりそうですから、今は1人でも多く、地域文化の振興に理解のある議員を当選させることが大事です。
照明で思い出すのは、映画監督マキノ雅弘のサードの助監督を経験した奈良市在住、元テレビ局社員の回想です。この人は戦後間もなく、旧制奈良中学の生徒だった頃、尾花座という同市内の映画館(現在地はホテル)でマキノ監督「待ちぼうけの女」を見て痛く感銘を受けて映画人を志し、日大芸術学部に進んでから難関の大泉撮影所(東映の前身)に入社します。
邦画の黄金期に入ろうかという時代ですから、大卒とはいえ使い走りの毎日でした。撮影が深夜に及んでいたある日、スタッフに弁当を配る仕事をして、何気なく録音の技師に弁当を差し出すと、それを見ていた先輩からこっぴどくしかられたそうです。なぜかというと、照明の技術は、サイレント映画の時代からあるのだから「録音より歴史がある」という尊敬の念が職場にあって、照明さんから先に弁当を渡すことがおきてだったのでした。
身を切る改革という言葉がもてはやされます。議員の定数を減らすことがそんなに美談でしょうか。これ以上、地方議会の定数を減らすのは危険です。わが町の文化ホールの照明技術者の腕を知り抜いている、そんな議員がいてもいいじゃないですか。
定数を減らそうという勢力は、直接請求の用件緩和などに動いてくれましたか。地方自治法は、有権者の50分の1の署名を集めると、市民本位の条例を提案できる仕組みがあります。過半数の議決を得ることが条件になりますが、議員定数を減らそうとするなら、せめて、この直接民主主義の要件の50分の1の分母を少しでも大きくして、住民の側のハードルを低くするような、そんな法改正に向けた努力をされましたか。
いま桜井市民会館が休館となって、市民は煩悶(はんもん)しています。この3年間、文化政策とは何か、皆さんの心に去来した切なる思いを、これからの文化振興の新しいルール作りなどに向け、オリジナルな条例案として書いてみる、そんな試みはいかがでしょうか。
前の知事は平城宮跡に正倉院風の大型箱モノを建てようとし、正倉院宝物のレプリカを365日展示して観光客の増加を目指し、それがために、20世帯足らずの小さな町内会が立ち退きになりました。昨年、新しく就任した知事が計画を中止しましたが、では一体、何のためにコミュニティーが破壊され、人々が散り散りにならなければならなかったのでしょうか。人々は毎夏、地蔵盆の行事を繰り広げていましたが、これもれっきとした地域文化でした。
何を申し上げたいかというと、4年に1度、長が変わり得る市役所、県庁に100%地域文化の振興を丸投げしてはなりません。
市民が市長に公約を逆提案する「市民がつくるマニフェスト」運動を推進した奈良市在住の木原勝彬氏は、「一人一人の市民が自分の公約に向かって何ができるのか。それは自分との約束だ」と語っています。直接請求による文化条例作りも、成否の結果よりも、その過程が何より大事だと思います。
本日は、先進例と称される各地のまちづくり事例を紹介して終わりにする予定はありません。社会の評価が定まって、たくさんの人々に賞賛されるに至るまでには相当な時間がかかっているはずで、褒められるころには、新たな課題が生じて、むしろ停滞期に入っているかもしれません。
それに、まちづくりの本当の担い手はあまり表に出ずに、発信ばかりしているわけでもありませんね。まちづくりは肩書きで堕落すると断言した研究者もおり、黒子たちの無色透明な度量がものを言う世界だと思います。原動力になるのは、損得を抜きにした地域愛としか言いようがありません。
文化振興のまちづくりは、永遠に完成しない建築のようなものでしょう。いつも開かれているオープンな場であれば、反対意見だって割り込んでくる。大切なことは、地域の歴史、地域の資源を常に掘り起こすことだと思います。桜井市の文化の拠点がいち早く再興され、こけら落としの日がやって来ることを楽しみにしています。ご清聴ありがとうございました。