楽人長屋 再現土塀、入り口実際より大きい
奈良、大乗院庭園文化館 市HPは「復元」とPR
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再現された楽人長屋の土塀。実際にあったものより大きい=2012年9月19日、奈良市高畑町 |
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昭和50年代の中ごろに撮影された楽人長屋(右)の写真=奈良市所蔵 |
奈良市高畑町の名勝大乗院庭園文化館の前に再現されている楽人長屋の土塀は、かつて存在した実際の長屋の入り口と比べ、かなり大きいことが「奈良の声」の調べで分かった。市が施工し、ホームページでは復元とPRしている。
楽人長屋は、雅楽の奏者が江戸時代に住んでいたとされる建物で、同町内の御所馬場町といわれた地域に1991年まで存在した。門には明和3(1766)年の銘があった。市道高畑杉ケ町線の建設により、門は市内の伝香寺に移築されたが、建物と塀は取り壊され、96年に市が土塀を再現した。
市教育委員会文化財課に残されている当時の実測図によると、土塀を丸くくり抜いた入り口の間口は90センチで、高さは1.7メートル。もう一方の入り口も同じ高さで、間口は1.3メートル。これに対し、市が施工した塀の入り口は、間口が1.6メートル、高さは2.6メートルもある。
管轄する市文化振興課の話では、市の事業として塀を再現したが、再現に関する文書は保存年限が過ぎており、「記録がない」という。
一方、文化財課は、楽人長屋について現存する資料は、「奈良町風土記」(山田熊夫著、1976年刊)の記述が唯一ではないかと見ている。同書には、「その昔、楽人たちの住したところで、楽の音の外にもれないよう、また雑音のはいらないようにと土塀を築いたと伝えている」とある。
旧大乗院は興福寺の門跡寺院。御所馬場町のかいわいは、大乗院に仕えた人々の屋敷が並び、独特の風情があったという。文化財課は「楽人長屋を模した塀は、厳密には、文化財などの復元とはいえない。一部はトイレの入り口にも当たるので、あえて大きくしたのだろうか」と話している。
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