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氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか (ちくま新書) 新書 – 2021/4/8

4.2 5つ星のうち4.2 163個の評価

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明治新政府の改革が、人々を大混乱に巻き込んでいく──
日本人の名前はこうして創られた


私たちが使う「氏名」の形は昔からの伝統だと思われがちだが、約150年前、明治新政府によって創出されたものだ。その背景には幕府と朝廷との人名をめぐる認識の齟齬があった。江戸時代、人名には身分を表示する役割があったが、王政復古を機に予期せぬ形で大混乱の末に破綻。さらに新政府による場当たり的対応の果てに「氏名」が生まれ、それは国民管理のための道具へと変貌していく。気鋭の歴史研究者が、「氏名」誕生の歴史から、近世・近代移行期の実像を活写する。


「明治の「御一新」に画期があるのは、恐らく一般的な〝想像〞の通りだが、本書で実証される「氏名」成立の実情は、その〝想像〞とは相当に違っている。キーワードは「王政復古」。一見、なんの関係もなさそうな「王政復古」が、明治初年、人名をめぐる悲喜交々をも巻き起こしていく。」(本文より)

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出版社より

明治新政府の政策 江戸時代の名前は大混乱の末破綻、更に政府の場当たり的対応の果てに「氏名」が爆誕。国民管理の道具へと変貌。 約150年前の「氏名誕生」の背景にある知られざる悲喜劇を気鋭の研究者が活写
中新井伝蔵の借米証文(後半部分)

中新井伝蔵の借米証文(後半部分)

「そのなかで、ちょっとおもしろい証文がある。文化一三年(一八一六)一二月、同村中新井の伝蔵(でんぞう)が、米八斗を同村辻原の庄屋孫兵衛・武右衛門(孫兵衛は武右衛門の父親らしい)に借りた時の証文である。宛名として「辻原 孫兵衛様 武右衛門様」と書いたあと、武右衛門の左上に「御苗氏(ごみようじ) 失念(しつねん)」と書いてある。

つまり「あなたのお苗字、忘れました」と、わざわざ書いているのである。むろん「すみません」という意味を含んでいよう。だが先に述べたように、別に苗字を書く必要はない。他の証文を見る限り、単に「辻原 孫兵衛様 武右衛門様」で十分なのである。しかし伝蔵の証文を作成した人物は、苗字を書かないと失礼かな――と思ったのだろう。ところがその苗字を忘れてしまったものだから、わざわざ「御苗氏 失念」と記入したわけである。少なくともこの証文作成者は、苗字を書いた方が丁寧でよい、という判断や意識があったことはうかがえよう。これに対して、武右衛門はどう思ったのだろうか。」(本書P78~P79)

尾脇秀和(おわき・ひでかず)

尾脇秀和(おわき・ひでかず)

1983年京都府生まれ。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。現在、神戸大学経済経営研究所研究員、花園大学・佛教大学非常勤講師。専門は日本近世史。著書に『近世京都近郊の村と百姓』(思文閣出版)、『刀の明治維新──「帯刀」は武士の特権か?』(吉川弘文館)、『壱人両名── 江戸日本の知られざる二重身分』(NHK出版)、『近世社会と壱人両名──身分・支配・秩序の特質と構造』(吉川弘文館)などがある。

商品の説明

出版社からのコメント

【目次】
第一章 「名前」の一般常識
第二章 「名前」にあらざる「姓名」
第三章 古代を夢みる常識
第四章 揺らぐ常識
第五章 王政復古のはじまり
第六章 名を正した結末
第七章 「氏名」と国民管理

著者について

尾脇秀和(おわき・ひでかず)
1983年京都府生まれ。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。現在、神戸大学経済経営研究所研究員、花園大学・佛教大学非常勤講師。専門は日本近世史。著書に『近世京都近郊の村と百姓』(思文閣出版)、『刀の明治維新──「帯刀」は武士の特権か?』(吉川弘文館)、『壱人両名── 江戸日本の知られざる二重身分』(NHK出版)、『近世社会と壱人両名──身分・支配・秩序の特質と構造』(吉川弘文館)などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2021/4/8)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2021/4/8
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 312ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480073760
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480073761
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.7 x 1.5 x 17.4 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 163個の評価

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尾脇 秀和
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年1月17日に日本でレビュー済み
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とても素晴らしい著作。
日本人の名前に関する歴史の基礎知識がないと、やや詳細すぎて読み通すのは難しいかも知れないし、価値を感じるのは難しいか。
私個人は名前に関する本を何冊か読み、古代から戦国時代については把握していたものの、江戸時代に関する知識がやや希薄だったため、この本でドンピシャで埋めることができて、ありがたい。
特に「三郎」などの通称と受領名の関係が改名であって並列ではないことはこの本で初めて知った。
本来、氏姓「うじかばね」あるいは本姓と言っていたものを江戸時代には姓尸「せいし」と呼んでいたことも初めて知った。用語が混乱していたことから改めて呼ぶようにしたらしい。
改めて気づいたこととして、武将や大名、時代小説に出てくるの通称には百官名、東百官由来が非常に多いことである。律令制の官名や下司はある程度知っていたが、そう言えばあれもこれもそうだったのかと知ることができた。
マニアックなところとしては朝廷が武家官位にどのように関わっていたのか手続きが記述されており、勉強になる。これは他の本でなかなか記述されていないところで、疑問を持っていた。

ただし、最初に読む本としては情報が詰まり過ぎており、また古代からの名前の成り立ちの経緯までは遡っていないため、最初に読む本としてはあまり適さないかも知れない。源平藤橘などもっと前の話を把握すべきだろう。
繰り返し記述も多くやや冗長にも感じる。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年8月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ドラマだと「徳川家康殿」などいうセリフが出るが、当時の常識としてはあり得ない。それが何故あり得ないのか、膨大な史料を読み込んだ著者が簡潔に説明してくれいるのが本書である。一般向けの本としてわかりやすく工夫されているが、研究者としての土台がしっかりしているので歴史マニアを「へ~」と唸らせるトリビアもある。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
仏像的には断然、京都より奈良、室町時代よりも鎌倉時代だ!という歴史認識だったけど、京都の老舗研究を始めてようやく室町時代や安土桃山時代、江戸時代の話にも関心が向き始めて、頭に入ってくるようになった。そこで屋号や当主の名前が変更したり襲名されたりしている事例を見るにつけ、そこにどんな構造とルールがあるのか、少し気になっていた。

そんなときに出会ったのが明治の初めに八ッ橋中興の立役者となった人の名前。最近裁判にもなった八ッ橋の起源や創業年問題を調べてると、明治前半1895年に京都で開催された第四回内国勧業博覧会と、それと同時に開通して今の京都駅と会場の岡崎を結んだ京都市街路面電車が、八ッ橋という(上生菓子の菓子司ような上流な京菓子文化の文脈とは異なる)素朴な門前のお茶菓子にとっての大きな転機となったことが見えてくる。

つまり、西尾為治という、今の「本家西尾八ッ橋」「本家八ッ橋」「元祖八ッ橋」の3つの八ッ橋ブランド店創業者の共通の父親が大いに活躍して、くろ谷参道の聖護院の森にある熊野神社門前の茶菓子であった八ッ橋を京都の一大名物として有名にしたのが1895年。資料をあたると1887年の京都初の電車の開通を契機としている説が広く引用されているけど、1895年の路面電車開通時の話と混同してるのだと思う。

このとき西尾為治氏は博覧会の開催に貢献し、開通したばかりの駅で立ち売りを始め、また内国博覧会附会の物産品評大会での受賞を契機として、その後フランスやポーランドやアメリカやイギリスの博覧会に八ッ橋を出品して受賞しまくる。今でいうモンドセレクションのような形で八ッ橋のブランドを一気に世界レベルに押し上げた。そうして大正天皇や昭和天皇が京都で即位の礼を行う際にも、京都の銘菓としての八ッ橋の揺るぎない地位を確立していった。

この西尾為治氏が設立したものの、破産して追放されて残ったのが今の「聖護院八ッ橋」なのだけど、この聖護院八ツ橋は西尾為治の息子が新たに八ッ橋の会社を作った際などに訴訟を起こすなどいろいろと嫌がらせをしている。両者とも西尾為治を由来としており、西尾為治の祖先が茶屋を開いて八ッ橋を作ったという1689年を創業年としている。伊勢物語に出てくる三河国の八橋という「橋」をモチーフに八ッ橋が作られたというのが西尾為治氏の語る八ッ橋の起源。

ところがもうひとつ起源に関する説があり、それは「橋」ではなく「琴」の形をモチーフにしたというもの。1685年に亡くなった琴(箏曲)の名手である八橋検校を偲んで、墓のあるくろ谷(光明寺)に参拝する門下生に琴の形の堅焼煎餅を売り出したのが八ッ橋の起源だという説である。こちらの説を取るのが、祇園の茶店の仕出しをルーツとする「井筒八ツ橋」(1805年創業)を代表とする多くの八ッ橋店なのだが、西尾為治ルーツであるはずの「聖護院八ッ橋」が「橋」説でなく「琴」説に乗り換えたために、「それじゃあ創業年と整合性がとれてへんやろ」と、聖護院八ッ橋を井筒八ツ橋が訴えたというのが今回の訴訟沙汰だった。

まあそれはええとして、「八ッ橋中興の祖」西尾為治の足跡を調べていると、名前や屋号がどうも一定していないことに混乱する。

西尾為治の祖先が始めた茶店は「梅林茶店」というが、資料として出てくるのは幕末から明治らしい。1818年には「八ッ橋屋 為治郎」の名義で熊野神社に奉納された絵馬が残っているので、八ッ橋屋の屋号がその頃から使われていたようだ。それに対して西尾為治の父の松太郎が「えびすや」という屋号で幕末ごろに菓子店を始めているらしい。松太郎は、もともと西村という苗字だったのを明治に入って西尾に変更しているらしい。西尾為治の三男は、苗字を西村に戻して「元祖八ッ橋」を立ち上げたらしい。

西尾為治は「玄鶴堂」という屋号も用いており、それが「聖護院八ッ橋」に引き継がれたらしい。また、西尾為治の八ッ橋のパッケージには「八ッ橋屋」の屋号が記されている。その西尾為治自身の名前も西尾為次となったり、西尾松太郎は西尾為次良ともなったりで、誰が誰だか、何が何だか確証が得られない状態。他の格式ある京菓子司の老舗だと、当主が同じ名前を名乗る事例をたくさん見てきたが、「八ッ橋屋」の西尾家(西村家)では当主名の襲名はなかった様子。

そんなこんなで名前って何やねん!と思ってたときに出会った本がこちら。(前説長すぎ笑)
古代からの日本の名前に、氏族名とは異なる藤原などの姓(セイ)や、朝臣などの姓(カバネ)があることは知っていたし、実名を隠す諱(イミナ)の話なども聞いていたけど、近世の日本人の名前のそれどころではない複雑な構造と、それが明治維新を経てどのように「氏名」に集約され決着したかを解き明かす本。

八ッ橋問題がこれで解けるわけではないけど、今まで調べてもよくわからなかった日本人の名前の問題がすっきりと解き解される。「夫婦同姓は日本の伝統」とか、なにを寝ぼけたことを言ってるのだろうということもわかる。

現在の「氏名」は、それまでの「当主」を介した間接的な秩序による統治から、政府が国民を個人レベルで直接管理するために生まれたIDだったという話。それによって今につながる「家」から「個人」への流れも基盤づけられたとも言えるのかもしれない。

現代とまったく異なる概念に基づく近世の「名前」の構造を読み解く本。おすすめです。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年7月20日に日本でレビュー済み
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全体の記述70%が名前の由来等に費やされているが、正直さっぱり残らなかった。
というか読み飛ばした。
最初と最後だけは面白く読めました。
2021年4月18日に日本でレビュー済み
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日本史領域の新刊ちくま新書という理由で、勉強のため買った本で、中身の面白さについてはあまり期待していなかった。氏名という地味なテーマだし、題名もさほど魅力的ではない。300頁の新書なので、多少退屈でも最後まで読めるだろうというという予測だった。
しかし、予想は裏切られた。これは大変面白く、スリリングな歴史本で、ちょっと感動してしまった。目から鱗の本だった。著者はなかなかのエンターテイナーティーチャーと思う。(失礼ご容赦)。
テーマは、大きく括ると、①江戸時代における人の名前の常識、②その常識が幕末から明治初年までにどう変化したかどう変化させられたかになるかと思う。
感動すると、あれこれ調べたくなる悪い癖があり、まず、本書に書かれている①が、江戸好き、時代小説好き、時代映画好きの読者の常識なのか(私は知らなかった)、あれこれ調べてしまった。
気がついたら、レビュー欄には、私同様本書を気に入った読者のレビューが3点載っていた。どれも評価は★★★★★。すごい。
それで、今さら私の妙な調査を書くのは恐縮なのだが、せっかく時間を使ったので、書いてみよう。
テーマ
江戸時代の時代考証本、時代風俗本の定番本に、「人の名前についての江戸時代の常識」は載っているか。
方法
目次を調べる
結果(見落とし、勘違いご容赦)
☆林美一『時代風俗事典』、稲垣史生『時代考証事典』『続時代考証事典』『歴史考証事典』・・・それらしき項目は見当たらない。
☆『近世風俗事典』(『守貞謾稿』を編集した本)、『江戸町方の制度』・・それらしき項目は見当たらない。
☆三田村鳶魚の中公文庫本・・36冊もあり、全部は確認できないが、探した範囲にはなかった。
調査の結論
江戸時代の時代考証本、時代風俗本は、「人の名前についての江戸時代の常識」にはあまり関心がない。よって、江戸好き、時代小説好き、時代映画好きの読者も「人の名前についての江戸時代の常識」を知らない人が多い(例外の方はご容赦)。よって、この本は参考になる。
私的結論
本書のメインは②その常識が幕末から明治初年までにどう変化したかどう変化させられたかの方で、こちらも大変面白い。
29人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年10月27日に日本でレビュー済み
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面白い、面白いんですけど、話が複雑すぎてだんだんついていけなくなりました。
でも、複雑ってことがわかるだけでも価値があります。今の名前のシステムが、明治以降の新しいものであることもわかります。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
江戸時代は今とは違い、人名をとりまく文化・習慣が大きく異なっていた。大名などは一般庶民とは異なる「名前」を名乗り、かつ「名前」の下にもう一つ名前っぽいものがついていた。(時代劇で有名な「大岡越前守忠相」など)また、幼名・成人名・当主名などといって、人生の節目に改名するのが当たり前であった。本書は、江戸時代の人名をとりまく文化や習慣を解説した上で、人名が明治維新を経て現代の「氏名」に至るまで、その変遷を追ったものだ。
 江戸時代の人名には「名前」と「姓名」とがあり、それらは全く別個の用途として併存していた。人名は、「名前」を構成する①苗字・称号②通称・官名、そして「姓名」を構成する③姓④尸⑤名乗・名・実名という要素に分解できる。天保の改革の実施者として有名な老中水野忠邦を例に取れば、「①水野②越前守③源④朝臣⑤忠邦」という具合だ。江戸時代の武家や一般庶民の間では、②の「通称」に正式な官名や疑似官名などを用いて「名前」とし、これが実質的な人名として機能していた。一方朝廷では、官名(または通称)の上に「称号」をつけたものを人の呼称として用いつつも、個人の「名」とは決してみなさず、「姓名」を人名として認識していた。
 人名をとりまくこの二つの常識が併存していたことに加え、大名などが有名無実化された官名を「通称」に使用していたことが、明治初期における人名の混乱につながっていく。新政府が新たな職制を制定したことで官名が職の実態を取り戻し、「名前」としての利用に支障が生じ出したのだ。紆余曲折を経て、「苗字+実名」という新たな表記方法が創出されたことで、官位は個人の名前から分離され、江戸時代の一般常識であった「官名」の「名前」としての利用は終焉を迎える。私たちが使用する「氏名」は、江戸時代の「名前」「姓名」を受け継ぎながら、通称と実名を統合させた「名」の創出によって新たな「氏名」となり、現在に至っているのである。
 大河ドラマなどを見ていると、人の名を呼ぶ時は役職のような「名前」で呼んでいることに気付く。(井伊直弼なら、「掃部頭(かもんのかみ)」というふうに)これを今まで私は、現代の会社で上司や同僚を「課長」「田中部長」などと役職で呼ぶ習慣と同様のものだと思っていた。本書を読めばその認識は間違いだと気づく。役職ではなく、れっきとした「名前」で呼んでいたのである。
 江戸時代の「名前」のややこしさが非常によくわかる良書だ。ややこしさを繰り返し丁寧に解説してくれるので、読んでいて理解が進みやすい。日本史の勉強を始め、時代劇や百人一首などでも昔の多様な人名に出くわすが、謎をパズルを解くような感覚で読み進めることができる。最後に女性の氏名についても触れる。夫婦同姓は明治31年に定められた民法が起点となっているとのことだ。昨今選択的夫婦別姓の導入が議論されているが、「日本の伝統的な家族観の崩壊」を理由とする反対意見は、説得力に乏しいことが分かることをここに付け加えておきたい。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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