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ハセガワ 1/700 ウォーターラインシリーズ アメリカ海軍 戦艦 サウスダコタ プラモデル 607

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ブランド ハセガワ
成型色
テーマ 航空機,飛行機
商品寸法 (長さx幅x高さ) 35 x 321 x 111 mm
材質 プラスチック

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登録情報

  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 製品サイズ ‏ : ‎ 3.51 x 32.08 x 11.13 cm; 226.8 g
  • Amazon.co.jp での取り扱い開始日 ‏ : ‎ 2009/6/15
  • メーカー ‏ : ‎ ハセガワ(Hasegawa)
  • ASIN ‏ : ‎ B002DELXPC
  • 商品モデル番号 ‏ : ‎ HSGS9607
  • 原産国 ‏ : ‎ 日本
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 13個の評価

商品の説明

アメリカ海軍戦艦サウスダコタの1/700スケールプラスチックモデル。

(Amazon.co.jpより)

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ハセガワ 1/700 アメリカ海軍戦艦サウスダコタ 1943年)・2020/11/15完成
星5つ中4つ
ハセガワ 1/700 アメリカ海軍戦艦サウスダコタ 1943年)・2020/11/15完成
[キットについて]ハセガワのウォーターラインシリーズでもかなりベテランキットだが、金型の状態が良いのか、バリやヒケも無く、4連装40mm対空砲は一体成形でやや精度が落ちるものの、多数の単装機銃が標準で同梱され、マスト類も細く、素組でも密度のある完成状態となる。発売当時はシリーズ中でも最高水準のキットだったと思われる。艦体塗装については、資料ではサウスダコタは同級中唯一、米戦艦の大戦後期標準塗装である「Measure22」(ヘイズグレーとネイビーブルーの2色塗装)を採用しなかった。就役時には波打った模様の「Measure12」で塗装されており、1942年中に「Measure21」(ネイビーブルー1色)に塗り替え、1945年の終戦時までそのままであった。姉妹艦インディアナ、マサチューセッツ、アラバマの3隻は一時的に「Measure12」、「Measure32」などの塗装が施されたが、最終的には「Measure22」で統一されている。[諸元]基準排水量:38.000t満載排水量:44.374t全長:207.36m全幅32.95m吃水:10.35m機関:蒸気タービン4機4軸・130.000馬力最大速力:27.8kt航続力:15.000浬/15kt乗員:1.793名(戦時2.364名)[兵装(最終時)]45口径40.6cm3連装主砲3基9門38口径12.7cm連装副砲8基16門56口径40mm4連装対空砲17基68門70口径20mm単装対空機銃76門アメリカ海軍戦艦サウスダコタ(USS South Dakota, BB-57)は、サウスダコタ級戦艦ネームシップ。「戦艦X(Battleship X)」、「ブラック・プリンス(Black Prince)」、「オールド・ネームレス(Old Nameless)」、艦名を縮めた「SoDak」などの愛称を持つ。米海軍は日本海軍の新型戦艦(大和型)に関する情報を収集し検討の結果、ノースカロライナ級戦艦の設計を改良し、3番艦以降をサウスダコタ級として4隻の建造を決定。本艦は1番艦として1939年7月5日、ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工、1941年6月7日進水、1942年3月20日就役した。8月16日、フィラデルフィア海軍工廠を出航、途中暗礁で損傷した為、9月12日に真珠湾に到着後修理整備。9月15日、戦艦ノースカロライナが伊19の雷撃で中破した為、本艦はノースカロライナ級のワシントン(USS Washington, BB-56)と以後作戦行動を共にする。10月26日、トーマス・キンケイド少将指揮の第61任務部隊隷下、第16任務部隊(空母エンタープライズ、戦艦サウスダコタ、重巡ポートランド、軽巡サンファン、駆逐艦8隻)として、南太平洋海戦に参加。日本機動部隊の第1次攻撃隊(指揮官村田重治少佐)はスコールの下に隠れてやり過ごしたが、0950(米軍時間)に来襲した第2次攻撃隊(指揮官関衛少佐、翔鶴艦戦5・艦爆19、瑞鶴艦戦4・艦攻16)の攻撃でエンタープライズに爆弾3発命中(中破)。1230に来襲した第3次攻撃隊(指揮官志賀淑雄大尉、隼鷹艦戦12・艦爆17)の艦爆により、サウスダコタの1番主砲天蓋に爆弾1発命中、戦傷49名。戦闘後、ニューカレドニアのヌーメアに避退。10月30日0414、駆逐艦マハン(USS Mahan, DD-364)と衝突、マハンは大破。サウスダコタも火災が発生し、両艦はヌーメアに帰還し、工作艦より修理を受ける。艦隊ではサウスダコタを「艦隊の疫病神」と仇名していた。11月11日、サウスダコタはキンケイド少将指揮の第16任務部隊と共にヌーメアからガダルカナル島へ向け出撃。13日にウィリス・リー少将指揮の第64任務部隊に合流。翌14日0340、ハルゼー大将はリー少将の戦艦2隻と駆逐艦4隻(プレストン・ウォーク・ベンハム・グウィン)をサボ島南方へ移動を指示。2330、ガダルカナル島南西90kmの水域に到着、遊弋し日本艦隊を待ち伏せた。日本艦隊は近藤信竹中将指揮の第2艦隊、田中頼三少将指揮の第2水雷戦隊及び日本陸軍第38師団の乗る輸送船団で、既に索敵機から「サボ島近海に巡洋艦2、駆逐艦4あり」と通報を受けていた。サボ島の南東約20km地点で、サウスダコタの艦橋から18.100yd(16.6km)の距離に日本軍艦艇3隻を視認。日本側は2114に「敷波」が米艦隊を発見。2117にワシントンが、2118にサウスダコタが砲撃開始。やがて駆逐艦同士の砲雷戦が始まると、戦艦2隻は副砲で支援し、「綾波」を撃沈したが、サウスダコタは戦闘中に全電源が遮断され、更に自身の16インチ主砲の爆風で搭載機を失った。サウスダコタが日本艦隊の正面に出た際、初めて日本側は探照灯を照射して米側に戦艦がいる事を確認。「敵ハ高キ前檣楼ヲ有シ上甲板高ク偉大ナル新式戦艦」と通報した。15日0000以降、両軍は単縦陣で反航戦を開始。サウスダコタは上甲板に27発(一説に42発)命中。うち20cm砲弾5発、15cm砲弾2発の不発弾が発見された。「霧島」からの主砲弾は5発命中、うち徹甲弾は1発で、3番主砲のバーベットを破壊して旋回不能とし、右砲を使用不能にした。殆どの砲弾は中央艦上構造物に命中、炸裂せず貫通した砲弾も多く、士官居住区や射撃装置は破壊されたが、船体に命中したのは3番砲塔ガンバレル以外、小口径砲弾のみで、艦の重要部分に損害は無く、唯一装甲が貫通されたのは、船体中央部喫水線近くに命中した20cm徹甲弾1か所で、若干の浸水が生じた。射撃管制レーダー3基と副砲の光学射撃装置も破壊されたが機関・操舵系は無傷で航行には支障無く、乗組員の被害は戦死38名、戦傷60名であった。サウスダコタはヌーメアで工作艦プロメテウス(USS Prometheus, AR-3)の修理を受けた。海戦でワシントンはサウスダコタを見捨てて逃げた、という噂が広まり、両艦乗組員は市中で大規模な喧嘩を行い、逮捕者多数を出した。12月18日、ニューヨーク到着。ギャッチ艦長は新聞の取材に「戦艦X(サウスダコタ)が「霧島」を撃沈し、ワシントンとリー提督は逃げた」とはなしたため、両艦の乗組員には戦後も消えない遺恨が残り、ワシントンの乗組員からは「大きなクソッタレ」(Big Bastard)、艦名を捩った「クソッタレの男根」(Shitty Dick)などのあだ名でも呼ばれた。1943(昭和18)年2月25日、修理を終え出航。海上公試後、空母「レンジャー」(USS Ranger, CV-4)と共に大西洋で作戦活動を行い、スカパ・フローを拠点に英本国艦隊と行動を共にした。8月1日にバージニア州ノーフォークに帰還。11月7日、フィジーに進出、ギルバート・マーシャル方面の作戦を支援。ガルバニック作戦に参加し、マキン・タラワの上陸作戦を支援し、戦艦5隻と共にナウルを艦砲射撃。12月12日にエファテ島に後退し補給を行った。1944年(昭和19)年1月29日、フリントロック作戦に参加、ロイ=ナムル島の日本軍を艦砲射撃。2月17日、トラック島空襲の機動部隊を支援。24日、マリアナ諸島を最初に攻撃した機動部隊を護衛、サウスダコタは日本軍機4機を撃墜。2月26日、マジュロ環礁に帰還。3月30日、第5艦隊高速空母部隊と共に出撃。西カロリン諸島のパラオ、ヤップ、ウォレアイ、ウルシー環礁を空襲。4月6日、マジュロ環礁へ帰還。補給後出撃し、4月21日よりホーランジア・アイタペ湾・タナメラ湾・フンボルト湾を攻撃。4月30日、空母部隊を護衛し再度トラック諸島を艦砲射撃。翌日、ポナペ島を艦砲射撃。マジュロ環礁で6月5日まで整備補給後、第58任務部隊に加わり、サイパン・テニアン島上陸作戦に参加。13日に戦艦部隊は機動部隊より分離し、サウスダコタはサイパン島タナパグ湾に対し6時間以上艦砲射撃を実施。15日に連合軍はサイパン島上陸を開始。サウスダコタは日本軍第521航空隊(指揮官江草隆繁少佐)の「銀河」1機を撃墜。19日、日本海軍第3艦隊(司令長官小澤治三郎中将)の南下が知らされると、第58.7任務部隊(司令官リー少将)の戦艦6隻と共に機動部隊の前面に進出、戦艦同士の砲戦の可能性を聞かさせると、米戦艦部隊の士気は高まった。日本海軍の1航戦第1次攻撃隊の一部は米空母群を発見出来ず、戦艦部隊を攻撃。1049、サウスダコタは3航戦所属機の攻撃で250kg 爆弾1発が命中、戦死24名、戦傷27名を生じ、配線が切断されたが、深刻な損傷には至らなかった。米軍攻撃隊の帰投は夜になり、サウスダコタは空母の傍で探照灯を照射した為、何機かはサウスダコタに着艦を試みる一幕もあった。任務群は6月27日、ウルシー環礁に到着。サウスダコタは真珠湾を経由し、7月10日、ピュージェット・サウンドに帰還した。修理を終え公試後の8月26日出撃。真珠湾に到着すると第34任務部隊第38.3任務群に加わる。10月6日出撃、10日の沖縄空襲、12日の台湾沖航空戦に参加後、フィリピン攻略戦に参加。25日のエンガノ岬沖海戦では、新式戦艦5隻と共に小澤艦隊を射程距離付近迄追撃するが、サマール沖海戦の惹起により、1115に反転南下し、栗田艦隊を追撃している。12月24日まで作戦行動を継続した。1945(昭和20)年、サウスダコタは高速空母機動部隊に帯同し、2月17日に東京空襲、19日に硫黄島上陸作戦支援、25日に再度東京空襲、3月1日、沖縄を空襲した。ウルシー環礁での補給後、再度日本本土へ向かい、18日に神戸、呉、九州を空襲。23日より沖縄を攻撃し、サウスダコタは沖縄南東部を艦砲射撃、以後沖縄戦の支援を行った。5月6日、補給艦ランゲル(USS Wrangell, AE-12)からの補給中、主砲装薬庫4室の爆発事故を生じ、火災が発生。11名が死亡、24名が負傷した。11日にグアム島へ後退し、6月1日、レイテ島へ進出。7月1日に出撃し、10日に東京を空襲する機動部隊を護衛。14日、岩手県釜石市の釜石製鉄所を艦砲射撃。29日に静岡県浜松市、8月9日には再度釜石を艦砲射撃。10日、本州北部空襲を行う空母機動部隊を護衛、13日より東京空襲の機動部隊を護衛。15日の攻撃は第二次世界大戦における最後の戦闘となった。同日、日本は無条件降伏。サウスダコタは8月27日、相模湾に入泊。29日に東京湾に進駐。9月20日に東京湾を出航し、アメリカ西海岸へ帰還した。1946(昭和21)年1月8日に西海岸を出航、フィラデルフィアでオーバーホールの後、6月に大西洋予備役艦隊、1947(昭和22)年1月31日動態保存のまま退役。1962(昭和37)年6月1日除籍。10月25日、ルリア・ブラザース・アンド・カンパニー社にスクラップとして売却され解体された。
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かなりの古参キットのはずだが金型の管理が徹底しているのかモールドはシャープで傷もなくバリもない。確かに最近の他社モデルに比べると側面のモールドは潔く省略されているが極細ドリルで何個か穴を開ければ済む話である。1/700で省略なく作る方が無理がある。老眼の裸眼?には見えない粗をわざわざ高画像のカメラで撮って拡大し細部に不満に感じてもしょうがないだろう。齢をとったら見えないものは無いことにするのである。そういった意味では対象年齢は十何歳以上と言うよりは還暦以上といった方が良いのではないか。数十年たって時代が追いついた高齢化日本向きプラモデルである。まあ大体この年代の模型はそうだが・・・とはいっても青縞の鷲ン豚級と比べると当時のトップレベル模型だったことがわかる。
 サウスダコタは大戦時はネイビービルー一色だったそうで塗装も楽だが欲こいてメリハリつけたいとなるとかえって面倒。せっかく塗装を考慮した甲板の部品分割にもなっているので箱絵にわざと騙されて灰色と木色の2色で塗るのも良いかもしれない。木甲板のモールドは細かく、墨入れや退色表現も生きるとはずだ。
 欠点を指摘するなら登楼が角ばりすぎていること事だろうか。これでは籠マストの名残がなく米国戦艦デザインの系譜が途切れてしまうので厳し目に星一つ減らして評価。20ミリ機銃の位置決めも難しいがタミヤのエンタープライズでの20ミリ機銃の投げやり表現と比較すれば、当時の技術では限界に近い銃身の極細モールドには設計者の意気込みと良心を感じる。
 値段も安い。近年出ている他メーカー製品と比較すると数分の一。サウスダコダ級を4隻全部(サウスダコタ×1+アラバマ×3、サウスダコタだけ12.7㎝連装砲が2基少ない)揃えてほぼ同じ値段だ。
老眼で御財布に優しい物が好きなモデラーにはお勧めです。20ミリ機銃の取り付けは工作技術のリハビリと考えて頑張りましょう。予備はゼロなので無くさぬようにご注意を。
2019年11月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
実際にそうなので仕方ないですが、機銃の数が膨大で、接着に飽きてしまいました。しかし、日本海軍と戦った米国海軍の戦艦は、当時からアメリカ的な船型ですね。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年11月27日に日本でレビュー済み
[キットについて]
ハセガワのウォーターラインシリーズでもかなりベテランキットだが、金型の状態が良いのか、バリやヒケも無く、4連装40mm対空砲は一体成形でやや精度が落ちるものの、多数の単装機銃が標準で同梱され、マスト類も細く、素組でも密度のある完成状態となる。発売当時はシリーズ中でも最高水準のキットだったと思われる。艦体塗装については、資料ではサウスダコタは同級中唯一、米戦艦の大戦後期標準塗装である「Measure22」(ヘイズグレーとネイビーブルーの2色塗装)を採用しなかった。就役時には波打った模様の「Measure12」で塗装されており、1942年中に「Measure21」(ネイビーブルー1色)に塗り替え、1945年の終戦時までそのままであった。姉妹艦インディアナ、マサチューセッツ、アラバマの3隻は一時的に「Measure12」、「Measure32」などの塗装が施されたが、最終的には「Measure22」で統一されている。

[諸元]
基準排水量:38.000t
満載排水量:44.374t
全長:207.36m
全幅32.95m
吃水:10.35m
機関:蒸気タービン4機4軸・130.000馬力
最大速力:27.8kt
航続力:15.000浬/15kt
乗員:1.793名(戦時2.364名)
[兵装(最終時)]
45口径40.6cm3連装主砲3基9門
38口径12.7cm連装副砲8基16門
56口径40mm4連装対空砲17基68門
70口径20mm単装対空機銃76門

アメリカ海軍戦艦サウスダコタ(USS South Dakota, BB-57)は、サウスダコタ級戦艦ネームシップ。「戦艦X(Battleship X)」、「ブラック・プリンス(Black Prince)」、「オールド・ネームレス(Old Nameless)」、艦名を縮めた「SoDak」などの愛称を持つ。

米海軍は日本海軍の新型戦艦(大和型)に関する情報を収集し検討の結果、ノースカロライナ級戦艦の設計を改良し、3番艦以降をサウスダコタ級として4隻の建造を決定。本艦は1番艦として1939年7月5日、ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工、1941年6月7日進水、1942年3月20日就役した。8月16日、フィラデルフィア海軍工廠を出航、途中暗礁で損傷した為、9月12日に真珠湾に到着後修理整備。9月15日、戦艦ノースカロライナが伊19の雷撃で中破した為、本艦はノースカロライナ級のワシントン(USS Washington, BB-56)と以後作戦行動を共にする。

10月26日、トーマス・キンケイド少将指揮の第61任務部隊隷下、第16任務部隊(空母エンタープライズ、戦艦サウスダコタ、重巡ポートランド、軽巡サンファン、駆逐艦8隻)として、南太平洋海戦に参加。日本機動部隊の第1次攻撃隊(指揮官村田重治少佐)はスコールの下に隠れてやり過ごしたが、0950(米軍時間)に来襲した第2次攻撃隊(指揮官関衛少佐、翔鶴艦戦5・艦爆19、瑞鶴艦戦4・艦攻16)の攻撃でエンタープライズに爆弾3発命中(中破)。1230に来襲した第3次攻撃隊(指揮官志賀淑雄大尉、隼鷹艦戦12・艦爆17)の艦爆により、サウスダコタの1番主砲天蓋に爆弾1発命中、戦傷49名。戦闘後、ニューカレドニアのヌーメアに避退。10月30日0414、駆逐艦マハン(USS Mahan, DD-364)と衝突、マハンは大破。サウスダコタも火災が発生し、両艦はヌーメアに帰還し、工作艦より修理を受ける。艦隊ではサウスダコタを「艦隊の疫病神」と仇名していた。

11月11日、サウスダコタはキンケイド少将指揮の第16任務部隊と共にヌーメアからガダルカナル島へ向け出撃。13日にウィリス・リー少将指揮の第64任務部隊に合流。翌14日0340、ハルゼー大将はリー少将の戦艦2隻と駆逐艦4隻(プレストン・ウォーク・ベンハム・グウィン)をサボ島南方へ移動を指示。2330、ガダルカナル島南西90kmの水域に到着、遊弋し日本艦隊を待ち伏せた。

日本艦隊は近藤信竹中将指揮の第2艦隊、田中頼三少将指揮の第2水雷戦隊及び日本陸軍第38師団の乗る輸送船団で、既に索敵機から「サボ島近海に巡洋艦2、駆逐艦4あり」と通報を受けていた。

サボ島の南東約20km地点で、サウスダコタの艦橋から18.100yd(16.6km)の距離に日本軍艦艇3隻を視認。日本側は2114に「敷波」が米艦隊を発見。2117にワシントンが、2118にサウスダコタが砲撃開始。やがて駆逐艦同士の砲雷戦が始まると、戦艦2隻は副砲で支援し、「綾波」を撃沈したが、サウスダコタは戦闘中に全電源が遮断され、更に自身の16インチ主砲の爆風で搭載機を失った。

サウスダコタが日本艦隊の正面に出た際、初めて日本側は探照灯を照射して米側に戦艦がいる事を確認。「敵ハ高キ前檣楼ヲ有シ上甲板高ク偉大ナル新式戦艦」と通報した。15日0000以降、両軍は単縦陣で反航戦を開始。サウスダコタは上甲板に27発(一説に42発)命中。うち20cm砲弾5発、15cm砲弾2発の不発弾が発見された。「霧島」からの主砲弾は5発命中、うち徹甲弾は1発で、3番主砲のバーベットを破壊して旋回不能とし、右砲を使用不能にした。殆どの砲弾は中央艦上構造物に命中、炸裂せず貫通した砲弾も多く、士官居住区や射撃装置は破壊されたが、船体に命中したのは3番砲塔ガンバレル以外、小口径砲弾のみで、艦の重要部分に損害は無く、唯一装甲が貫通されたのは、船体中央部喫水線近くに命中した20cm徹甲弾1か所で、若干の浸水が生じた。射撃管制レーダー3基と副砲の光学射撃装置も破壊されたが機関・操舵系は無傷で航行には支障無く、乗組員の被害は戦死38名、戦傷60名であった。

サウスダコタはヌーメアで工作艦プロメテウス(USS Prometheus, AR-3)の修理を受けた。海戦でワシントンはサウスダコタを見捨てて逃げた、という噂が広まり、両艦乗組員は市中で大規模な喧嘩を行い、逮捕者多数を出した。12月18日、ニューヨーク到着。ギャッチ艦長は新聞の取材に「戦艦X(サウスダコタ)が「霧島」を撃沈し、ワシントンとリー提督は逃げた」とはなしたため、両艦の乗組員には戦後も消えない遺恨が残り、ワシントンの乗組員からは「大きなクソッタレ」(Big Bastard)、艦名を捩った「クソッタレの男根」(Shitty Dick)などのあだ名でも呼ばれた。

1943(昭和18)年2月25日、修理を終え出航。海上公試後、空母「レンジャー」(USS Ranger, CV-4)と共に大西洋で作戦活動を行い、スカパ・フローを拠点に英本国艦隊と行動を共にした。8月1日にバージニア州ノーフォークに帰還。11月7日、フィジーに進出、ギルバート・マーシャル方面の作戦を支援。ガルバニック作戦に参加し、マキン・タラワの上陸作戦を支援し、戦艦5隻と共にナウルを艦砲射撃。12月12日にエファテ島に後退し補給を行った。

1944年(昭和19)年1月29日、フリントロック作戦に参加、ロイ=ナムル島の日本軍を艦砲射撃。2月17日、トラック島空襲の機動部隊を支援。24日、マリアナ諸島を最初に攻撃した機動部隊を護衛、サウスダコタは日本軍機4機を撃墜。2月26日、マジュロ環礁に帰還。3月30日、第5艦隊高速空母部隊と共に出撃。西カロリン諸島のパラオ、ヤップ、ウォレアイ、ウルシー環礁を空襲。4月6日、マジュロ環礁へ帰還。補給後出撃し、4月21日よりホーランジア・アイタペ湾・タナメラ湾・フンボルト湾を攻撃。4月30日、空母部隊を護衛し再度トラック諸島を艦砲射撃。翌日、ポナペ島を艦砲射撃。

マジュロ環礁で6月5日まで整備補給後、第58任務部隊に加わり、サイパン・テニアン島上陸作戦に参加。13日に戦艦部隊は機動部隊より分離し、サウスダコタはサイパン島タナパグ湾に対し6時間以上艦砲射撃を実施。
15日に連合軍はサイパン島上陸を開始。サウスダコタは日本軍第521航空隊(指揮官江草隆繁少佐)の「銀河」1機を撃墜。19日、日本海軍第3艦隊(司令長官小澤治三郎中将)の南下が知らされると、第58.7任務部隊(司令官リー少将)の戦艦6隻と共に機動部隊の前面に進出、戦艦同士の砲戦の可能性を聞かさせると、米戦艦部隊の士気は高まった。

日本海軍の1航戦第1次攻撃隊の一部は米空母群を発見出来ず、戦艦部隊を攻撃。1049、サウスダコタは3航戦所属機の攻撃で250kg 爆弾1発が命中、戦死24名、戦傷27名を生じ、配線が切断されたが、深刻な損傷には至らなかった。米軍攻撃隊の帰投は夜になり、サウスダコタは空母の傍で探照灯を照射した為、何機かはサウスダコタに着艦を試みる一幕もあった。任務群は6月27日、ウルシー環礁に到着。サウスダコタは真珠湾を経由し、7月10日、ピュージェット・サウンドに帰還した。

修理を終え公試後の8月26日出撃。真珠湾に到着すると第34任務部隊第38.3任務群に加わる。10月6日出撃、10日の沖縄空襲、12日の台湾沖航空戦に参加後、フィリピン攻略戦に参加。25日のエンガノ岬沖海戦では、新式戦艦5隻と共に小澤艦隊を射程距離付近迄追撃するが、サマール沖海戦の惹起により、1115に反転南下し、栗田艦隊を追撃している。12月24日まで作戦行動を継続した。

1945(昭和20)年、サウスダコタは高速空母機動部隊に帯同し、2月17日に東京空襲、19日に硫黄島上陸作戦支援、25日に再度東京空襲、3月1日、沖縄を空襲した。ウルシー環礁での補給後、再度日本本土へ向かい、18日に神戸、呉、九州を空襲。23日より沖縄を攻撃し、サウスダコタは沖縄南東部を艦砲射撃、以後沖縄戦の支援を行った。5月6日、補給艦ランゲル(USS Wrangell, AE-12)からの補給中、主砲装薬庫4室の爆発事故を生じ、火災が発生。11名が死亡、24名が負傷した。11日にグアム島へ後退し、6月1日、レイテ島へ進出。7月1日に出撃し、10日に東京を空襲する機動部隊を護衛。14日、岩手県釜石市の釜石製鉄所を艦砲射撃。29日に静岡県浜松市、8月9日には再度釜石を艦砲射撃。10日、本州北部空襲を行う空母機動部隊を護衛、13日より東京空襲の機動部隊を護衛。15日の攻撃は第二次世界大戦における最後の戦闘となった。同日、日本は無条件降伏。

サウスダコタは8月27日、相模湾に入泊。29日に東京湾に進駐。9月20日に東京湾を出航し、アメリカ西海岸へ帰還した。1946(昭和21)年1月8日に西海岸を出航、フィラデルフィアでオーバーホールの後、6月に大西洋予備役艦隊、1947(昭和22)年1月31日動態保存のまま退役。1962(昭和37)年6月1日除籍。10月25日、ルリア・ブラザース・アンド・カンパニー社にスクラップとして売却され解体された。
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5つ星のうち4.0 ハセガワ 1/700 アメリカ海軍戦艦サウスダコタ 1943年)・2020/11/15完成
2020年11月27日に日本でレビュー済み
[キットについて]
ハセガワのウォーターラインシリーズでもかなりベテランキットだが、金型の状態が良いのか、バリやヒケも無く、4連装40mm対空砲は一体成形でやや精度が落ちるものの、多数の単装機銃が標準で同梱され、マスト類も細く、素組でも密度のある完成状態となる。発売当時はシリーズ中でも最高水準のキットだったと思われる。艦体塗装については、資料ではサウスダコタは同級中唯一、米戦艦の大戦後期標準塗装である「Measure22」(ヘイズグレーとネイビーブルーの2色塗装)を採用しなかった。就役時には波打った模様の「Measure12」で塗装されており、1942年中に「Measure21」(ネイビーブルー1色)に塗り替え、1945年の終戦時までそのままであった。姉妹艦インディアナ、マサチューセッツ、アラバマの3隻は一時的に「Measure12」、「Measure32」などの塗装が施されたが、最終的には「Measure22」で統一されている。

[諸元]
基準排水量:38.000t
満載排水量:44.374t
全長:207.36m
全幅32.95m
吃水:10.35m
機関:蒸気タービン4機4軸・130.000馬力
最大速力:27.8kt
航続力:15.000浬/15kt
乗員:1.793名(戦時2.364名)
[兵装(最終時)]
45口径40.6cm3連装主砲3基9門
38口径12.7cm連装副砲8基16門
56口径40mm4連装対空砲17基68門
70口径20mm単装対空機銃76門

アメリカ海軍戦艦サウスダコタ(USS South Dakota, BB-57)は、サウスダコタ級戦艦ネームシップ。「戦艦X(Battleship X)」、「ブラック・プリンス(Black Prince)」、「オールド・ネームレス(Old Nameless)」、艦名を縮めた「SoDak」などの愛称を持つ。

米海軍は日本海軍の新型戦艦(大和型)に関する情報を収集し検討の結果、ノースカロライナ級戦艦の設計を改良し、3番艦以降をサウスダコタ級として4隻の建造を決定。本艦は1番艦として1939年7月5日、ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工、1941年6月7日進水、1942年3月20日就役した。8月16日、フィラデルフィア海軍工廠を出航、途中暗礁で損傷した為、9月12日に真珠湾に到着後修理整備。9月15日、戦艦ノースカロライナが伊19の雷撃で中破した為、本艦はノースカロライナ級のワシントン(USS Washington, BB-56)と以後作戦行動を共にする。

10月26日、トーマス・キンケイド少将指揮の第61任務部隊隷下、第16任務部隊(空母エンタープライズ、戦艦サウスダコタ、重巡ポートランド、軽巡サンファン、駆逐艦8隻)として、南太平洋海戦に参加。日本機動部隊の第1次攻撃隊(指揮官村田重治少佐)はスコールの下に隠れてやり過ごしたが、0950(米軍時間)に来襲した第2次攻撃隊(指揮官関衛少佐、翔鶴艦戦5・艦爆19、瑞鶴艦戦4・艦攻16)の攻撃でエンタープライズに爆弾3発命中(中破)。1230に来襲した第3次攻撃隊(指揮官志賀淑雄大尉、隼鷹艦戦12・艦爆17)の艦爆により、サウスダコタの1番主砲天蓋に爆弾1発命中、戦傷49名。戦闘後、ニューカレドニアのヌーメアに避退。10月30日0414、駆逐艦マハン(USS Mahan, DD-364)と衝突、マハンは大破。サウスダコタも火災が発生し、両艦はヌーメアに帰還し、工作艦より修理を受ける。艦隊ではサウスダコタを「艦隊の疫病神」と仇名していた。

11月11日、サウスダコタはキンケイド少将指揮の第16任務部隊と共にヌーメアからガダルカナル島へ向け出撃。13日にウィリス・リー少将指揮の第64任務部隊に合流。翌14日0340、ハルゼー大将はリー少将の戦艦2隻と駆逐艦4隻(プレストン・ウォーク・ベンハム・グウィン)をサボ島南方へ移動を指示。2330、ガダルカナル島南西90kmの水域に到着、遊弋し日本艦隊を待ち伏せた。

日本艦隊は近藤信竹中将指揮の第2艦隊、田中頼三少将指揮の第2水雷戦隊及び日本陸軍第38師団の乗る輸送船団で、既に索敵機から「サボ島近海に巡洋艦2、駆逐艦4あり」と通報を受けていた。

サボ島の南東約20km地点で、サウスダコタの艦橋から18.100yd(16.6km)の距離に日本軍艦艇3隻を視認。日本側は2114に「敷波」が米艦隊を発見。2117にワシントンが、2118にサウスダコタが砲撃開始。やがて駆逐艦同士の砲雷戦が始まると、戦艦2隻は副砲で支援し、「綾波」を撃沈したが、サウスダコタは戦闘中に全電源が遮断され、更に自身の16インチ主砲の爆風で搭載機を失った。

サウスダコタが日本艦隊の正面に出た際、初めて日本側は探照灯を照射して米側に戦艦がいる事を確認。「敵ハ高キ前檣楼ヲ有シ上甲板高ク偉大ナル新式戦艦」と通報した。15日0000以降、両軍は単縦陣で反航戦を開始。サウスダコタは上甲板に27発(一説に42発)命中。うち20cm砲弾5発、15cm砲弾2発の不発弾が発見された。「霧島」からの主砲弾は5発命中、うち徹甲弾は1発で、3番主砲のバーベットを破壊して旋回不能とし、右砲を使用不能にした。殆どの砲弾は中央艦上構造物に命中、炸裂せず貫通した砲弾も多く、士官居住区や射撃装置は破壊されたが、船体に命中したのは3番砲塔ガンバレル以外、小口径砲弾のみで、艦の重要部分に損害は無く、唯一装甲が貫通されたのは、船体中央部喫水線近くに命中した20cm徹甲弾1か所で、若干の浸水が生じた。射撃管制レーダー3基と副砲の光学射撃装置も破壊されたが機関・操舵系は無傷で航行には支障無く、乗組員の被害は戦死38名、戦傷60名であった。

サウスダコタはヌーメアで工作艦プロメテウス(USS Prometheus, AR-3)の修理を受けた。海戦でワシントンはサウスダコタを見捨てて逃げた、という噂が広まり、両艦乗組員は市中で大規模な喧嘩を行い、逮捕者多数を出した。12月18日、ニューヨーク到着。ギャッチ艦長は新聞の取材に「戦艦X(サウスダコタ)が「霧島」を撃沈し、ワシントンとリー提督は逃げた」とはなしたため、両艦の乗組員には戦後も消えない遺恨が残り、ワシントンの乗組員からは「大きなクソッタレ」(Big Bastard)、艦名を捩った「クソッタレの男根」(Shitty Dick)などのあだ名でも呼ばれた。

1943(昭和18)年2月25日、修理を終え出航。海上公試後、空母「レンジャー」(USS Ranger, CV-4)と共に大西洋で作戦活動を行い、スカパ・フローを拠点に英本国艦隊と行動を共にした。8月1日にバージニア州ノーフォークに帰還。11月7日、フィジーに進出、ギルバート・マーシャル方面の作戦を支援。ガルバニック作戦に参加し、マキン・タラワの上陸作戦を支援し、戦艦5隻と共にナウルを艦砲射撃。12月12日にエファテ島に後退し補給を行った。

1944年(昭和19)年1月29日、フリントロック作戦に参加、ロイ=ナムル島の日本軍を艦砲射撃。2月17日、トラック島空襲の機動部隊を支援。24日、マリアナ諸島を最初に攻撃した機動部隊を護衛、サウスダコタは日本軍機4機を撃墜。2月26日、マジュロ環礁に帰還。3月30日、第5艦隊高速空母部隊と共に出撃。西カロリン諸島のパラオ、ヤップ、ウォレアイ、ウルシー環礁を空襲。4月6日、マジュロ環礁へ帰還。補給後出撃し、4月21日よりホーランジア・アイタペ湾・タナメラ湾・フンボルト湾を攻撃。4月30日、空母部隊を護衛し再度トラック諸島を艦砲射撃。翌日、ポナペ島を艦砲射撃。

マジュロ環礁で6月5日まで整備補給後、第58任務部隊に加わり、サイパン・テニアン島上陸作戦に参加。13日に戦艦部隊は機動部隊より分離し、サウスダコタはサイパン島タナパグ湾に対し6時間以上艦砲射撃を実施。
15日に連合軍はサイパン島上陸を開始。サウスダコタは日本軍第521航空隊(指揮官江草隆繁少佐)の「銀河」1機を撃墜。19日、日本海軍第3艦隊(司令長官小澤治三郎中将)の南下が知らされると、第58.7任務部隊(司令官リー少将)の戦艦6隻と共に機動部隊の前面に進出、戦艦同士の砲戦の可能性を聞かさせると、米戦艦部隊の士気は高まった。

日本海軍の1航戦第1次攻撃隊の一部は米空母群を発見出来ず、戦艦部隊を攻撃。1049、サウスダコタは3航戦所属機の攻撃で250kg 爆弾1発が命中、戦死24名、戦傷27名を生じ、配線が切断されたが、深刻な損傷には至らなかった。米軍攻撃隊の帰投は夜になり、サウスダコタは空母の傍で探照灯を照射した為、何機かはサウスダコタに着艦を試みる一幕もあった。任務群は6月27日、ウルシー環礁に到着。サウスダコタは真珠湾を経由し、7月10日、ピュージェット・サウンドに帰還した。

修理を終え公試後の8月26日出撃。真珠湾に到着すると第34任務部隊第38.3任務群に加わる。10月6日出撃、10日の沖縄空襲、12日の台湾沖航空戦に参加後、フィリピン攻略戦に参加。25日のエンガノ岬沖海戦では、新式戦艦5隻と共に小澤艦隊を射程距離付近迄追撃するが、サマール沖海戦の惹起により、1115に反転南下し、栗田艦隊を追撃している。12月24日まで作戦行動を継続した。

1945(昭和20)年、サウスダコタは高速空母機動部隊に帯同し、2月17日に東京空襲、19日に硫黄島上陸作戦支援、25日に再度東京空襲、3月1日、沖縄を空襲した。ウルシー環礁での補給後、再度日本本土へ向かい、18日に神戸、呉、九州を空襲。23日より沖縄を攻撃し、サウスダコタは沖縄南東部を艦砲射撃、以後沖縄戦の支援を行った。5月6日、補給艦ランゲル(USS Wrangell, AE-12)からの補給中、主砲装薬庫4室の爆発事故を生じ、火災が発生。11名が死亡、24名が負傷した。11日にグアム島へ後退し、6月1日、レイテ島へ進出。7月1日に出撃し、10日に東京を空襲する機動部隊を護衛。14日、岩手県釜石市の釜石製鉄所を艦砲射撃。29日に静岡県浜松市、8月9日には再度釜石を艦砲射撃。10日、本州北部空襲を行う空母機動部隊を護衛、13日より東京空襲の機動部隊を護衛。15日の攻撃は第二次世界大戦における最後の戦闘となった。同日、日本は無条件降伏。

サウスダコタは8月27日、相模湾に入泊。29日に東京湾に進駐。9月20日に東京湾を出航し、アメリカ西海岸へ帰還した。1946(昭和21)年1月8日に西海岸を出航、フィラデルフィアでオーバーホールの後、6月に大西洋予備役艦隊、1947(昭和22)年1月31日動態保存のまま退役。1962(昭和37)年6月1日除籍。10月25日、ルリア・ブラザース・アンド・カンパニー社にスクラップとして売却され解体された。
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2013年1月13日に日本でレビュー済み
以前にウォーターラインシリーズNo.119として販売されていた製品を、No.のみ変更した物である。説明書を含め、中身は以前のキットそのままであるが、金型の状態が良好なためか無駄なバリやヒケはほぼ皆無で、対空機銃の精度も悪くない。ただし、その対空機銃の数が半端じゃなく多いため、組立時にはピンセットを使うなどの慎重さを求められるが、それさえ我慢できるのであれば、比較的組み立てやすいキットである。キットの時期設定は明記されていないが、第1次改装後である1943年3月〜7月の状態を概ね再現しており、その後の改装状態へも一部部品の差し替え・追加で簡単に変更できる。
ただし、ある程度数をこなした中堅以上のモデラーや、近代海戦史に詳しい人にとっては、気になる部分が多いことも事実である。例えば、説明書記載の解説では、対空機銃構成について、竣工時40mm機関砲68門・20mm機銃40挺としているが、米側資料では28mm機関砲と12.7mm機銃を主体とした構成とされている。竣工時から第三次ソロモン海戦時までの状態を組み立てたい場合には、米側資料に目を通して確認すべきである。また、艦首は全体形状がいささか細すぎるため、実艦に近づけるためには、錨鎖やアンカーレセス等のモールドを含めて、徹底した修正が必要となる。
そうした時代考証や修正作業の手間も含めて、「脱初心者」を目指すモデラーには、腕を磨くのにうってつけの佳作と言えるだろう。
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