Kindle 価格: ¥950

(税込)

獲得予定ポイント:
+10 pt (1%)

これらのプロモーションはこの商品に適用されます:

一部のプロモーションは他のセールと組み合わせることができますが、それ以外のプロモーションは組み合わせることはできません。詳細については、これらのプロモーションに関連する規約をご覧ください。

を購読しました。 続刊の配信が可能になってから24時間以内に予約注文します。最新刊がリリースされると、予約注文期間中に利用可能な最低価格がデフォルトで設定している支払い方法に請求されます。
メンバーシップおよび購読」で、支払い方法や端末の更新、続刊のスキップやキャンセルができます。
次に追加されました:

申し訳ありません。問題が発生しました。

ウィッシュリストの取得中にエラーが発生しました。もう一度やり直してください。

申し訳ありません。問題が発生しました。

リストを利用できません。
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

著者をフォロー

何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書) Kindle版

4.3 5つ星のうち4.3 296個の評価

一二一九年、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が暗殺された。朝廷との協調に努めた実朝の死により公武関係は動揺。二年後、承久の乱が勃発する。朝廷に君臨する後鳥羽上皇が、執権北条義時を討つべく兵を挙げたのだ。だが、義時の嫡男泰時率いる幕府の大軍は京都へ攻め上り、朝廷方の軍勢を圧倒。後鳥羽ら三上皇は流罪となり、六波羅探題が設置された。公武の力関係を劇的に変え、中世社会のあり方を決定づけた大事件を読み解く。
この本はファイルサイズが大きいため、ダウンロードに時間がかかる場合があります。Kindle端末では、この本を3G接続でダウンロードすることができませんので、Wi-Fiネットワークをご利用ください。

商品の説明

著者について

坂井孝一
1958年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得。博士(文学)。専攻、日本中世史。現在、創価大学教授。著書に『曽我物語の史実と虚構』『源実朝』など。

登録情報

  • ASIN ‏ : ‎ B07V6J7GVY
  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2018/12/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2018/12/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ファイルサイズ ‏ : ‎ 13127 KB
  • Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
  • X-Ray ‏ : ‎ 有効
  • Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
  • 付箋メモ ‏ : ‎ Kindle Scribeで
  • 本の長さ ‏ : ‎ 300ページ
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 296個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
坂井 孝一
Brief content visible, double tap to read full content.
Full content visible, double tap to read brief content.

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう

カスタマーレビュー

星5つ中4.3つ
296グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2023年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鎌倉時代が好きな私にとっては、興味深い1冊です。
2022年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
承久の乱の歴史的意義とは、朝廷と幕府の力関係が逆転し、朝廷をコントロール下に置くことで「武家政治」を完成させたことにある。
通説では、後鳥羽院は、「倒幕」を目的として兵を挙げたとされているが、さにあらず。
あくまでも北条義時の追討を目的として兵を挙げたというのが本書の主張である。
実朝時代の朝幕関係は良好で、後鳥羽院も「武家政治」そのものを否定していない。
では、何故「義時追討」の兵を挙げたのか?
本書では、実朝を守れなかったことと大内裏焼失が幕府内に勢力争いに巻き込まれたという認識があり、そこに地頭達の内裏再建反対に遭い、フラストレーションが溜まっていたとされているが、そこの検証が少し弱い気がする。
それでも、現代の会社組織やスポーツの世界を例に取り上げてわかり易く説いているので良書だと思う。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新作『鎌倉殿と執権北条氏』も分かりやすく、小生の苦手な鎌倉時代を解き明かしてくださいましたが、この『承久の乱』は世評名高い(学生時代年号1221年と後鳥羽上皇が隠岐に流されたということだけ知らされた)動乱が倒幕をめざした後鳥羽上皇の反乱ではなく、北条義時追討のみが目的だったとか、源実朝が公武合体をめざしていたとか知って、歴史の奥深さを学ぶことができました。何より読みやすさが抜群です‼️
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
史実に基づいて書かれたものである意味と感じた もう少し読みやすい文面にした方が良いかと思います
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最新の「承久の乱」新書である。
著者の一般読者へのメッセージは、一、「承久の乱」は、「倒幕」ではなく、「北条義時追討」を目指した兵乱であった。二、後鳥羽上皇は芸能・学問にも秀でた有能な帝王である。三、実朝は無力な将軍ではなく、十分な権力を保った政治家であり、朝廷と親密な関係を気付いていた。である。
序章・・白河上皇による院政の開始から平氏全盛まで。
第一章・・以仁王の反乱から、1192年の頼朝征夷大将軍、同年の後鳥羽天皇親政開始を経て、頼朝の死まで。芸術、文化、政治、体育の巨人後鳥羽天皇➡上皇の肖像と朝廷。
第二章・・三代将軍実朝の肖像。幕府内の権力闘争。実朝親政の開始。実朝の官位の急速な昇進。実朝暗殺。
第三章・・実朝の死から、北条義時による頼朝血縁者の抹殺、京での源頼茂追討と大内裏炎上、承久の乱の前年まで
第四章・・承久の乱(1221年)の経過
第五章・・承久の乱の最終局面と決着。
第六章・・乱後の政治・社会変動、幕府の支配権増大。
終章・・流刑地の上皇達。承久の乱の歴史的位置づけ。
私的感想
〇大変面白かった。文章も読みやすい。
〇最初のうちは、最近同じような本を読んだという既視感が気になっていた。そのうち、これは、2カ月前に同じ中公新書として出た「公卿会議」と時代が重なっていて、同じ歴史事実が著述されるているからと気付いた。やむを得ない。
〇一、について
後鳥羽による「承久の乱」の目的が、かっての通説では「倒幕」であったが、著者の考えや現在の通説では、「北条義時追討」(つまり、幕府からの北条義時と一党の排除)であることが繰り返し語られる。わかります。しかし、個人的にはちょっと微妙な感がする
たとえば、「討幕」とする説もあり、「討幕」と「倒幕」ではちょっと意味が違う。また、「倒幕」=「幕府を完全に消滅させる」ではないと思う。
著者は、後鳥羽には、幕府を否定する気などなかったが、王(後鳥羽)が、幕府をコントロールできない状況になっているのは問題であり、その元凶は義時なのだから、義時を討つべきという結論に至ったとする。しかし、朝廷と幕府の根本的対立として、幕府による地頭保護問題が、実朝親政時代からあり、義時排除だけでは解決しない。もし、地頭の罷免を朝廷の完全なコントロール下に置くなら、倒幕に近いような実体が必要であり、後鳥羽はそこまで考えていたのではないだろうか。
〇二、について
本書のように、後鳥羽を有能なマルチ人間として持ち上げてしまうと、「承久の乱」のあまりにも一方的な敗戦の原因を、後鳥羽の無能力、時代錯誤のせいにはしにくい。それで、本書では、鎌倉側は「チーム鎌倉」としてのチーム力の勝利、京側は「後鳥羽ワンマンチーム」として、個人の弱点が露呈してしまった敗退とする。そして、個人の弱点としては、リアリティ(?)の欠如(実戦経験なし。鎌倉、東国武士についての現実感覚不足)を上げる。たしかに、理念的にはその通りで、鎌倉側は、8年前の和田合戦という内乱を鎮圧し生きのびたメンバーの上に、使者を捕まえるべきという三浦義村のインテリジェンス能力も高く、さらに、北条政子という高度の危機管理能力、演出演技宣伝能力を有する女性もいて、その点では、リアリティは高い。しかし、出撃の最終判断は義時だろう。義時という人は、何を餌にすれば武士という人種を味方につけて、本気で戦わせることができるかについては、後鳥羽の数倍のリアリティを有していたようである。
〇戦闘の具体的経過はよく書けていて興味深いが、レビューが長くなったので省略。
蛇足
後鳥羽は離島に流されても18年生きたが、義時は鎌倉にいても3年後に死んだ。結果的には、乱など起こさずに、3年待てばよかったことになるが。
88人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個人的に、乱そのものよりもその後の朝廷と幕府との力関係の方が重要と考えていて、乱終結後の朝廷と幕府とのパワーバランスのシフトの方に関心があり、その意味ではやや内容的にもう少し、乱後のに内容を深堀して欲しかった。六波羅探題や関東申次などにページを割いて欲しかった。しかしながら、乱そのものについてはかなり詳しく、乱自体に関心のある方にはいい書籍と思われます。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白い!
私は高校・大学と歴史はからっきしだったのですが、近頃いろいろ読むようになった程度の者。
中世あたりが面白そうだ、ということで本書を購入しました。

歴史ってこんなに面白かったんだ!
後鳥羽上皇は治世の才のあるトップであることと共に文化面でも一級の人物であったことを初めて知りました。
そして鎌倉の武士政権との関わりの中で、戦を起こすところまでの話も分かりやすい。
歴史には流れというか、連綿とした時間的な繋がりがあるんですね〜。あらためて知った気分です。
源実朝については、全く誤解していたこともよく分かり、こちらも得をした気分でした。

承久の乱が起こる以前からその後まで。
京と鎌倉の関係性。
これを読んで初めて承久の乱というものが、歴史上のエポックであることを理解しました。

その前が知識がなさ過ぎと言われればそれまでですが、面白い一冊であることは間違いないと思います!
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年3月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2冊の〚承久の乱〛が相次いで出版された。どちらも新書版で坂井孝一(中公新書2018.12.25)と本郷和人(文春文庫2019.1.20)著である。坂井書は歴史過程そのものを描き、本郷書はもっぱら歴史過程が持つ意味を解説しているのが特徴だ。読者にとって新刊書を読み比べるという楽しみが加わった。

承久の乱が、幕府と朝廷の「支配関係を全国規模でシャッフル」し、社会の大変動を起こした」(坂井)「日本史最大の転回点の一つ」という点で2冊は一致するが、そこに至る過程が微妙に違う。本郷;「後鳥羽上皇は鎌倉幕府を潰そうとした」のか、坂井;「幕府は温存し北条義時だけを排除しようとした」のか、という違いがあるからだ。結果から見れば双方共に成らなかったのだが、歴史家のこだわりが面白い。ここは本書に沿う。

本書の書き出しは、承久の乱から150年遡る、「上皇」の登場から始まる。その間には保元・平治の乱を経て平清盛政権の誕生と滅亡、鎌倉政権の誕生と北条執権体制への移行と、目まぐるしいばかりに政変が変わった。鎌倉幕府内でも血なまぐさい勢力争いが続いた。

本書はそう言った激動を鎌倉武士と京都朝廷とを対比させながら描く。主役は後鳥羽上皇(天皇と上皇を含めた在位:1183-1221年)と源実朝(将軍就任1203-1219年)。年齢差12歳。後鳥羽は三種の神器のうち、宝剣なしで即位した初の天皇で、そのため「正式な王とは何か」の答えを追い求める天皇だったと書かれる。譲位もそのためだったと。

相方の実朝は、義経の官位受諾を怒って彼を殺した頼朝時代の人ではない。左大将に叙されて、頼朝の極官を超えたと素直に喜ぶ将軍である。実朝の名付け親は後鳥羽であったとも伝えられ、上皇の従妹を娶るほど後鳥羽帰依者であった。子供のない彼の後継将軍に後鳥羽の息子を据えるという案は実朝から出たという。だが京文化に憧れるだけの柔弱な若者でもなかったとも言われ、長じては親裁を強化する。実朝を使って朝廷の影響力を強めたい後鳥羽と、親王将軍を擁して朝廷をコントロールしたい幕府の思惑が奇妙に合致した。

そこへ来て1219(建保7)年1月27日の実朝暗殺である。公暁単独犯行説/義時陰謀説の推察は尽きないが証拠はない。本書は単独説を取る。「しかし、一人の若者が犯した犯行は、歴史を動かすほどの重大な結果を生んだ」

後鳥羽の夢も潰えた。宿ったのは、鎌倉は信用できないとする不信感だ。一旦受諾した親王下向を破棄し代わりに摂政の息子を押しつけたうえで、後鳥羽の息のかかった二つの荘園の地頭職を手ばなすよう要求する。幕府の従順度を試したのであるが、にべもなく拒否され、朝幕の蜜月期は終わる

実朝暗殺から承久の乱までに2年半の歳月がある。その間に源三位頼政の孫頼茂の反乱による大内裏消失と言うとんでもないハプニングもあり、後鳥羽は一時この修復に熱中するが、費用徴収への抵抗が各地で起こり、中断せざるを得なかった。いよいよ「北条義時の追討へ」と方針が転換する。その時期は1220(承久2)年7月頃ではないかと推定される。

ここで後鳥羽の計画が鎌倉幕府追討でないことが本書の眼目である。その論理は、「後鳥羽の意思に従いたいという御家人たちの願いに反し、奉行の北条義時が朝廷の意向を笠に着て政治を乱している。義時の奉行をやめさせ、後鳥羽の意思で政治を行えば御家人たちの願いも叶えられる。つまり義時排除と言う一点で御家人たちと後鳥羽の利害は一致する」であった。治天の君として国の最高権力者を自負する後鳥羽には、義時も彼の王国の支配人にすぎず、悪代官を排除すれば正道に戻る、と考えていたようだとする。

1221(承久3)年5月15日、後鳥羽は「北条義時追討の官宣旨」と「院宣」を下す。だがその中に当然あるはずの追討使の任命に関する記述がなかった。本書はこれを巡って、「後鳥羽の傲慢」、とする通説に抗する所説を紹介しているが、これも新味がある。

関東側はこの動きを全く察知していなかったとされる。一時は仰天した幕府だが、押収した官宣旨と院宣にある、義時個人の追討を「討幕」と読み替えた政子や、追討使が任命されていないのに気付き、鎌倉を固めての持久戦よりも相手側の体制が整う前に京に上る速戦を主張する大江広元等の文官の意見も義時ら幕閣の決断を促した。

ここから京方の敗戦に至るまでの経緯は軍記物語を読むような迫力だが、著者は両軍の性格を「チーム鎌倉」と「後鳥羽ワンマンチーム」と一句で比較してみせる。現代社会を例えての上手な比喩だが、過程を通しての感想はやはり「後鳥羽の傲慢」だろう。

蜂起から終了までちょうど一か月のあっけない戦であった。敗れた後鳥羽等三上皇は島流しされ、西側についた朝廷武士や在京御家人たちは容赦なく誅された。詳細は本に譲る。

後鳥羽の仕組んだ乱は結局、1)これまで同等であった朝廷と幕府の権力関係を劇的に変え、幕府は天皇の任免にまで介入できる力を手に入れた。2)没収された在京御家人の知行地は関東御家人の手に移り、幕府の直接支配力は全国に及んだ。3)幕府の支配形態がこれまでのどちらかといえば恣意的なものから、「御成敗式目」による法的管理へと客観的統治に進歩した。

冒頭で著者は、「八百年前に生きていた人々にとっては八百年前のその時が現代であり、どのような未来が訪れるのか予想もできない中に生きていたという点では、現代人と変わらない……八百年前の過去を理解するために、過去と現代の対話を試みることは無駄なことではない」、と記す。私にとって本書は、後鳥羽や義時の生き生きとした表情までも想い描かせる叙述と歴史的意味を同時に楽しんだ名著だった。
34人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート

問題を報告


この商品には、不適切な内容が含まれていますか?
この商品は、著作権を侵害していると思いますか?
この商品には、品質または書式設定の問題が含まれていますか?