「責任はとる、行って!」 子ども54人守った保育所長

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編集委員・石橋英昭
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 この春8年ぶりに再建され、幼い声が戻ってきた宮城県名取市の閖上保育所。震災の日、11人の職員は、54人の1~5歳児全員を海のそばから避難させることができた。子どもの命をどう守ったのか。当時の所長が証言する。

 漁港まで260メートル、築40年の古い保育所だった。

 地震が起きた午後2時46分は、お昼寝の時間。佐竹悦子所長(67)は外出先で揺れに見舞われ、目の前で電柱が揺れ、車庫がつぶれるのを見た。道路からは水が噴き出していた。

 「保育所はダメかも。一緒にいられなくて、ごめんね」と思った。

 車で引き返すと、建物は無事だった。園庭にブルーシートを敷き、パジャマ姿の子どもと職員が集まっている。全員が一斉に佐竹さんの顔を見た。

 2時55分。三つのことを簡潔に告げた。迷いはなかった。

 1 逃げます。

 2 車を持ってきてください…

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この記事を書いた人
石橋英昭
編集委員|仙台駐在
専門・関心分野
東日本大震災、在日外国人、戦争の記憶