「もうダメ」と記した村上茉愛 強い母は支え続けた、娘の夢のために
山口史朗
村上茉愛はゆかの演技を心の底から楽しんでいた。
「1分半の演技が終わってほしくない。自然と笑顔が出た」。2日にあった東京オリンピック(五輪)の体操女子種目別決勝。一つひとつの着地をほぼ止める完璧な内容。日本の女子で史上初となる個人の銅メダルに輝いた。
天性の才能は、母・英子さんが信じた通りだった。
「この子は体操に向いている」。茉愛の幼少期に確信した。
おむつをかえていて股関節が柔らかいと感じたこと。つまずいても、簡単に転ばない身のこなし。高いところを怖がらない度胸。
そして、「私の子だから、きっと……」という思いもあった。
英子さんは小学生の頃、電子ピアノを習っていた。でも、「親にやらされていた。好きじゃなかった」。
中学校の部活で始めた体操が楽しかった。市民大会での成績も良かった。同時に「小さい頃からやっている子には勝てない」とも思った。
自分の子には好きなこと、向いていることをやらせてあげたい。きっとそれは体操で、五輪に出るようなすごい選手になる。中学生から考えていた。
次女の茉愛を含む村上家の5…
この記事を書いた人
- 山口史朗
- スポーツ部|野球担当
- 専門・関心分野
- 野球全般、体操、競馬