2011年3月11日、放送を通じて、津波からの避難を呼びかけ続けた人たちがいた。命を守ることばとは――。

 岩手県宮古市の9階建てホテル。屋上に据え付けられた情報カメラが、宮古湾の変化をとらえたのは、午後3時22分だった。

 横一線の高い白波が、猛スピードで埠頭(ふとう)に向かってくる。

 盛岡市の岩手朝日テレビ報道フロアは、モニター映像に騒然となった。全国放送のオンエア画面は宮古の映像を隠すように、各地の津波到達予想時刻のスーパーを示し、東京の女性アナウンサーが読み上げを続けている。

 「今来てますよ、津波が! 今到達してるよ! テレビ朝日!」

 キャスター席の山田理(43)が机をたたいてどなった。異変はやっとキー局に伝わり、岩手からの放送に切り替わる。

 「ご覧いただいているように、海岸からどんどん波が押し寄せている様子がみてとれます。沿岸へお住まいの方はただちに避難を始めて下さい。……情報カメラ、ちょっと寄れますか。津波が海岸からどんどんとこちらに押し寄せている様子がみてとれます」

 「建物をのみこむ様子がみてとれます。どんどんと流木が流れている様子も……ただちに、避難を始めてください」

 冷静に、冷静に、山田は現実を伝えようと努めた。「どんどん」以外の語彙(ごい)が見つからない。

アナウンサーや気象庁の職員らはあの日、懸命に避難を呼びかけました。それでも残った後悔と反省。どうすれば、命を守ることができるのか……。記事の後半では、ずっと悩み続けた人たちの思いや、教訓をいかした取り組みについて紹介します。

 この日まで、訓練を重ねてきた…

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