仁丹の「ひげ男性」、町名伝えて100年以上 「広告王」の狙いとは
古都ぶら
地図を片手に、路地で目をこらす男性が一人。
視線の先にあるのは縦長のプレート。旧字体で、こう書かれている。
「下京區六條通室町西入西魚屋町」
ほっとした様子で言う。
「ありました!」
確かにそこは京都市下京区六条通室町西入西魚屋町だった。だが、男性が安堵(あんど)したのは、道に迷っていたからではない。このプレートの存在を確認できたからだ。
ひげの男性のプレート
「○○町」「△丁目」などと街角で所在地を示す町名表示板。ただし、街角のあちこちにある普通のものではない。
町名の下には、立派な帽子をかぶったひげの男性の絵と、「仁丹」の2文字。いわゆる「仁丹の町名表示板」だ。
「仁丹」は、1905(明治38)年に現在の森下仁丹(大阪市)が発売した懐中薬。当時は銀色の小さい粒ではなく、「赤大粒」だった。トレードマークの「ひげの男性」は「薬の外交官」で、仁丹を世界中の健康に役立てる願いが込められていると伝わる。
町名知らせて100年以上
仁丹の町名表示板は、同社の100周年記念誌によると「1910年から大阪、東京、京都、名古屋といった都市から掲げ始めた」ものだ。
当時は町名を示すものが街中になく、来訪者や郵便配達人が家を探すのに苦労していたため、創業者の故・森下博が「広く社会に役立つ『広告益世(こうこくえきせい)』」を重視して発案した。
ただ、戦火などで多くが失われ、まとまって残るのは京都市のみという。
その愛好者らが2010年に「京都仁丹樂會(がっかい)」をつくり、京都市内などで定期的に「ローラー作戦」を繰り広げては、仁丹の表示板の存在を確認している。
冒頭の男性も樂會メンバー。元公務員の下嶋一浩さん(64)だ。
ローラー作戦に記者も同行
記者が同行させてもらった今年4月のローラー作戦で、下嶋さんは下京区の西本願寺と東本願寺に挟まれた辺りを担当。過去に確認できている30カ所ほどを見て回った。
仁丹の表示板を確認し、設置している家や店に郵便受けがあれば、「これからも、このまま大切にしてくださいますよう、お願いします」と書かれたチラシを入れていく。
下嶋さんが仁丹の表示板に魅せられたのは、住所表記のルールを徹底的に守っているから。いかにも元公務員らしい。
知るほどに、愛を深めていった。「『六條通』と書かれたものは力強い筆運び。ほれぼれします」。上の方を詰めて書き、下の文字がスカスカになっているアンバランスなものにも趣を感じるという。
歩みを進めると、社会奉仕団体や百貨店、家電メーカーなどが取り付けた表示板もあった。下嶋さんに伝えると「仁丹のものが最も古いんです」。仁丹愛で返された。
レアものも
古い民家の2階を指して「あ…
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