横路孝弘さん死去、82歳 元衆院議長、北海道知事、社会党プリンス

 北海道知事衆院議長を務めた横路孝弘(よこみち・たかひろ)さんが2日、肝内胆管がんのため、都内の病院で死去した。82歳だった。葬儀は家族葬で営んだ。喪主は妻由美子さん。5月ごろに「お別れの会」を行う予定。弔電・香典・供花は辞退している。

 1941年、札幌市生まれ。東大法学部在学中に司法試験に合格し、卒業後に札幌で弁護士を開業。69年、社会党衆院議員だった父・節雄氏の急死に伴い、28歳で社会党から衆院選に立候補し、初当選。若手の論客として「社会党のプリンス」と言われた。

 72年の国会審議で、当時毎日新聞記者だった西山太吉さんが入手した外務省の機密電文をもとに日米間の密約を追及した。

 83年の北海道知事選に社会党推薦で出馬し、初当選。3期12年を務めた。漁業や石炭などの基幹産業が衰退するなか、「一村一品」運動を展開した。88年に開催した地方博覧会「世界・食の祭典」は、多額の赤字を生むなど批判を浴びた。

 96年に菅直人氏らが結成した旧民主党に参加し、衆院議員に復帰。98年の民主党結党後も旧社会党系議員ら「横路グループ」を率い、党内の護憲派として存在感を示した。民主党副代表などを務めたほか、2005年に衆院副議長、09年に衆院議長に就任した。

 東京電力福島第一原発事故後の11年8月、衆院議長として列席した戦没者追悼式で、広島と長崎への原爆投下やビキニ水爆実験による第五福竜丸事件に触れ、「私たちが、なぜ原発の安全神話に寄りかかってしまったのか、痛恨のきわみです」と追悼の辞を読んだ。17年衆院選には立候補せず、政界を引退していた。

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