第2回「勉強しているかい」家族気遣う袴田さん 司法への信頼も書き連ねた
袴田巌さんは逮捕後の1967年から死刑確定後までの20年超、獄中から家族らに手紙を出し続けていた。司法への期待と絶望、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神――。数千枚の手紙からその半生をたどる。
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《敢(あわ)無くなって半年お代りありませんか(略)私のことで親類縁者にまで心配かけてすみません。こがね味噌(みそ)の事件には真実関係ありません。私は白です》
(1967年1月ごろ、母宛て)
袴田巌さん(87)から家族のもとに最初の手紙が届いたのは、67年1月ごろのことだ。
約半年前の66年6月30日。後に語り継がれる二つのできごとが偶然、重なって起きた。
この日、ビートルズの来日初公演が日本武道館で開かれ、日本中が熱狂に包まれた。未明には、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の民家が全焼し、みそ製造会社の専務一家4人の遺体が見つかった。遺体の胸や背中には多数の刺し傷があった。
【直筆を見る】袴田巌より 獄中からの手紙
獄中から家族らに無実を訴える手紙を出し続けた。司法への期待と絶望、周囲の支援、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神。手紙からその半生をたどる。
事件から50日目、みそ製造…
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巌より - 袴田さん 獄中からの手紙
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