みやげ店、たたむか続けるか 能登の人々、「職への不安」色濃く
能登半島地震は、人々のなりわいにも大きな影響を与えている。被災者100人への取材では、将来の「職への不安」が色濃く浮かび上がった。(小島弘之、山田健悟、高橋孝二)
石川県輪島市の中心部にある「わじまおみやげ館」は1935年の創業だ。店を営む岡田扶美子さん(78)は2月下旬、ノックする音を聞き、ガラス戸を開けた。
「何か買わせてください」。県外から被災地に派遣されてきた看護師だという女性はそう言って、数万円の輪島塗の茶托(ちゃたく)を購入した。地震以来、初めての客だった。
店舗兼自宅は倒壊を免れたが、輪島塗や九谷(くたに)焼などの商品は半数以上が破損。廃業を決めていたが、物が散乱したままなのは「哀れ」だと思い、無傷の商品を陳列し直した。そんな矢先、看護師だという女性が訪れ、その後も支援者らが商品を買いに来てくれている。
たとえお情けであっても、ありがたい。まだ店を続けていけるかもしれない、とも思う。
一方で現実は厳しい。「地震でゴーストタウンになったし、白米(しろよね)千枚田も輪島朝市も、おいしい魚もダメ。観光の人は来んわね」。貯蓄はコロナ禍で使い果たし、年金が頼りだ。
地震後は、節約のため、客がいないときは電気や暖房を消し、洋服を着込んで店に立つ。
店は夫(86)の祖母が開き、のと鉄道の旧輪島駅のそばで続けてきた。バブル期は客足が絶えず、レジからお札があふれ出るほど。だが、売り上げは時代の流れとともに落ち、コロナ禍が追い打ちをかけた。今は電気代などの諸経費が重くのしかかる。
2人の息子は県外に住み、夫と2人暮らし。その夫は7年前から徐々に体が動かなくなる難病と闘っている。近い将来、介護に専念する必要があるかも知れない。
店をたたむか、続けるか――。日ごとに心は揺れ動く。「誰かが店に来て、売り上げが上がらないと厳しい。何とか能登半島を応援してほしい」(小島弘之)
20年勤めた正社員 送られてきた解雇通知
地震を機に、職を失った人も…
- 山田健悟
- 高松総局|香川県政担当
- 専門・関心分野
- 地方政治、行政、ジャーナリズム