「分断」の米国、ビヨンセが曲に込めた希望 ポップソングと大統領選

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米文学者・ハーン小路恭子=寄稿
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米文学者・ハーン小路恭子さん寄稿

 7月下旬、合衆国現大統領ジョー・バイデンの選挙戦撤退を受けて、民主党候補を目ざすべく、副大統領カマラ・ハリスがデラウェア州ウィルミントンの選挙対策本部に登場した。そのとき背景に大音量で流れていたのは、アメリカを代表するポップスター、ビヨンセの2016年の楽曲「フリーダム」だった。それからまもなく、ビヨンセがハリス陣営に「フリーダム」の選挙戦での使用を正式に許可したとのCNNの報道があった。

 大統領選においてポップソングの使用は、候補者が支持層に訴えかける重要な手段のひとつとなっている。さらにビヨンセのようなアーティストが生み出す楽曲には、アメリカ社会の現在の厳しい分断を回避するための可能性も見て取れる。選挙と音楽のそのような関係性について、くわしく見ていきたい。

 ビヨンセ自身は今回の選挙戦においてハリス支持を明確に表明してはいないものの、今回の楽曲使用許諾には大きな意味がある。

 ひとつには、この楽曲そのものが持っている政治性がハリスの選挙活動を大いに後押ししうるものだということ。「フリーダム」は2016年にビヨンセが出したビジュアル・アルバム(楽曲を個々に収録したアルバムと、曲に合わせたコンセプチュアルな映像をセットにしたもの)『レモネード』に収録されている。

音楽は誰に味方するか

 夫の浮気の衝撃とそこからの回復と赦(ゆる)しというアーティストのパーソナルな闘争に、ハリケーンカトリーナや警察暴力など同時代の危機を重ね合わせたアルバムの中でも、ひときわ政治性の強い楽曲だ。奴隷制からの解放と自由を見いだしたアフリカ系アメリカ人の苦闘の道のりと、その歴史から、警察暴力の吹き荒れる現在への連続性を思わせる歌詞が特徴的だ。アルバムの中では実際に暴力の犠牲となったアフリカ系の若者たちの母親が息子たちの遺影を掲げる映像もフィーチャーされている。

 この曲で共演もしているケンドリック・ラマ―の2015年の楽曲「オールライト」とともに、「フリーダム」はブラック・ライブズ・マターBLM)運動の重要なアンセムになった。公民権運動の時代をほうふつとさせるサイケデリック・ロック風味の曲調に、力強く歌い上げるビヨンセのボーカル、「勝者は諦めたりしない」といった印象的な歌詞のフレーズなど、「フリーダム」にはキャンぺーンソングに適した要素が詰まっている。

 ジャマイカ系とインド系のミックスルーツを持つハリスだが、カリフォルニア州での検察官/トップ・コップ(司法のトップ)としてのキャリアを、中間層~ワーキングクラスの黒人、特に男性の有権者にどうアピールするかについて若干の不安があった。バイデンの撤退直前にやや落ち込んだアフリカ系の民主党支持を再度確かなものにし、その他の幅広い層にもアピールしたいハリス陣営にとって、アメリカという国家を支える基礎概念である「自由」と、その矛盾を突くアフリカ系の視点の双方を取り込んだ「フリーダム」は、打ってつけの楽曲だったことは間違いない。

 対して、共和党ドナルド・トランプ陣営による選挙戦での楽曲使用はどうか。

 よく流れる曲としてヴィレッジ・ピープルの「YMCA」(1978年)などを記憶している人も多いと思うが、全体的にキャンペーンで使われているのは、往年のヒット曲とでもいうべきやや懐かしめの曲が多い。

 この理由はふたつあって、ひとつはトランプの支持母体のボリュームゾーンがやや年齢層が高めの白人有権者であり、そこにアピールするような、要は誰もが知る有名曲を使っているのだろうということ。ハリス陣営が、キャンペーン・イベント時のパフォーマンスに人気女性ラッパー、メーガン・ザ・スタリオンを起用するなど、Z世代にも積極的に働きかけていることとは対照的だ。

 さらに言えば、楽曲使用をアーティスト側が拒絶し、時には法的措置も示唆するといった状況が相次いでいるため、使える曲が限定されるという事情もあるのかもしれない(実はヴィレッジ・ピープルも「YMCA」と「マッチョ・マン」に関してトランプ陣営に使用禁止命令を送ったことがあり、ビヨンセもつい最近、「フリーダム」をトランプ陣営広報がソーシャルメディアで使用したことを受けて禁止命令を出したところだ)。

 こうした拒絶や抗議はとりわけロック系のバンド、ミュージシャンに多く見られるのだが、ロック音楽の象徴する反骨精神やアンチ・エスタブリッシュメント(既存の支配者層への抵抗)の姿勢とトランプの政治性の間に齟齬(そご)が見られることも原因の一端ではないだろうか。2016年の選挙戦ではブルース・スプリングスティーンが「ボーン・イン・ザ・USA」(1984年)の使用に抗議したことがよく知られている。ベトナム帰還兵の苦境を描くこの曲が、経済発展から取り残された脱工業化地域の白人ワーキングクラスのトランプ支持層に強くアピールしそうなのはわからなくもないが、アーティスト自身が使用を望まなかったことは、そうした齟齬のあらわれの一例とも読み取れる。直近では今年8月にフー・ファイターズがトランプ陣営による無断の楽曲使用に抗議し、なおかつ著作権使用料をハリス陣営に寄付すると表明したケースがある。こと音楽に関しては、トランプ陣営にとって欲しいものがいつでも手に入る状況にはないようだ。

あえて同じ曲、その意図は

 音楽と選挙の関わりの歴史は古い。

 初期アメリカから大統領選でキャンペーンソングが使われることはあったが、ポップソングの選挙利用は、1980年代にロナルド・レーガンが共和党候補となった選挙戦辺りから顕著になったと言われる。

 1992年の大統領選の民主党候補ビル・クリントンが用いたフリートウッド・マックの1977年の楽曲「ドント・ストップ」には、去った過去ではなく新しい未来に目を向けようという前向きな歌詞がある。クリントンは、共和党の現職候補ジョージ・H・W・ブッシュ体制からの変化を期して巧みに使いつつ、庶民感覚との近さ(クリントン自身が同バンドのファンだったとされる)もアピールできるという、キャンペーンソングのある種の典型だった。

 ちなみに今の共和党副大統領候補J・D・バンス(アパラチア地方のプア・ホワイト家庭出身で、自伝『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』で知られる)も、正式に候補となった今年の共和党大会でのスピーチ後、退場時にまったく同じ曲を流していた。そこにはクリントンと同じくワーキングクラス出身にして一流大学に進んで政治家となった自身の出自を強調したい意図が込められていたはずだ。

 つまり、大統領選のキャンペーンソングは、その年の選挙戦そのものが持つ性格や、候補者のパブリックイメージをわかりやすく伝えつつ、音楽の力を借りて支持層に強く訴えかけるという点で、単なるバックグラウンド・ミュージックを超えた重要性を持っているのだ。

 今回の選挙戦での民主党・共和党両陣営による音楽の選曲や利用のされ方、アーティストの対応は、ある種のコントラストをなしている。それは、民主党が勝つだろうというおおかたの予想に反してトランプが当選した2016年以降、深まった米国社会の分断とも呼応しているはずだ。

新アルバム『カウボーイ・カーター』があらわすもの

 だが、2024年というこの…

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    伊藤昌亮
    (成蹊大学文学部現代社会学科教授)
    2024年9月9日14時0分 投稿
    【視点】

    ポピュラー文化と政治との関係を考えることは、文化戦争の様相を呈している今日の政治状況について考えるうえできわめて重要なことですが、しかし音楽を取り上げると、どうしてもリベラル側に寄った考察になりがちなように思います。というのもポピュラー音楽

    …続きを読む
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