5歳の少年が見た地獄 原爆を生き延び、息子は「はだしのゲン」役に

有料記事核といのちを考える

遠藤花
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聞きたかったこと 広島

 「怖いという感情はなかったです。地獄のような光景でしたから、まひしていたのかもしれません」

 5歳の時に起きたことは、今でも覚えている。宮崎裕也さん(84)=広島市安佐南区=は当時、爆心地から1.3キロの宝町(現・広島市中区)の自宅にいた。

 両親との3人暮らしで、父は本屋を営みながら、三菱重工広島造船所の江波工場(同)で働いていた。2階建て家屋の本屋の奥に、生活スペースがあった。小さなちゃぶ台で、夜勤明けの父と向かい合わせに座り、朝食を取っていた。台所の母にみそ汁のおかわりを求めると、「自分で注いでこい」と父にとがめられた。仕方なく台所でみそ汁を注ぎ入れ、ちゃぶ台に置いた瞬間、閃光(せんこう)を浴びた。

「川に入っちゃいかん」兵隊の制止聞かず…

 とっさにちゃぶ台の下に伏せる父が見えた。怖さを感じ、父に駆け寄ろうとした瞬間、「ドーン」という大きな音とともに、気づくと本屋の方まで飛ばされていた。

 目を開けると、真っ暗だった…

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