1974年、福岡県生まれ。鹿児島県育ち。1999年に毎日新聞に入社し、神戸や出雲、大阪で勤務。2005年に朝日新聞に入社し、長野総局、政治部、デジタル編集部、横浜総局などで勤務しました。政治部では第1次安倍政権での「総理番」を振り出しに、選挙対策副委員長、官房長官当時の菅義偉氏や自民党元幹事長の石破茂氏などを担当。24年4月から現職です。
自民党のホームページによれば、茂木敏充幹事長は2022年11月の記者会見で、防衛増税に次のように述べています。「防衛費につきましては将来に渡って安定的に必要となるというか、来年だけ増やせばいいわけではなくて、きちんと目標を持って増やしていく
「今回の総裁選挙では、自民党が変わる姿、新生自民党を国民の前にしっかりと示すことが必要だ」。岸田文雄首相は今月14日の記者会見でこう述べ、「自民党が変わることを示す最もわかりやすい最初の一歩は、私が身を引くことだ」と、総裁選不出馬を表明しま
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだるものは高められる」。自分は正しいとうぬぼれ、他人を見下す人への戒めであるとされる聖書「ルカによる福音書」の「ファリサイ派と徴税人」の言葉です。石破茂氏の担当記者だったころ、石破氏はこの言葉を胸に刻んで
コンビニで、外国人の店員さんが電気代や水道代などの公共料金の支払いの応対をする場面をよく見かけます。てきぱきと作業をこなす姿を見つつ、ふと思うことがあります。間接的ながら、こうやって公共を担っている外国人の方の声や思いは、はたして政治の場に
「首相の条件」として、田中角栄元首相がかつて「党三役(党幹事長、総務会長、政調会長)のうち幹事長を含む二つと、蔵相(現財務相)、外相、通産相(現経産相)のうち二つ」を挙げた当時と比べれば、首相を目指すにあたって求められる資質はだいぶ変わった
自民党総裁選での判断材料のひとつとして、「選挙の顔」が取りざたされるようになったのは、蔵相などを務めた橋本龍太郎氏が名乗りをあげた1995年の総裁選あたりからでしょうか。当時は自社さ連立政権で、河野洋平総裁は党内力学を背景に総裁再選を断念。
3年前の8月、自民党総裁選への立候補を表明した岸田文雄首相は「党役員の任期を明確化するべきだ」と掲げ、「総裁を除く党役員は1期1年、連続3期までとし、権力の集中と惰性を防いでいく」と訴えました。歴代最長の約5年にわたって幹事長ポストに就いて
太平洋戦争後、連合国は日本の戦争指導者を極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁き、「平和に対する罪」に問われたA級戦犯25人が有罪判決を受けました。1948年12月23日、開戦時の首相だった東条英機氏のほか、陸軍大将・土肥原賢二氏などA級戦犯7人
「出ればいいってものではない」と本人が時折自虐的に語るように、自民党の石破茂元幹事長はこれまで、2008年のほか、12年、18年、20年の計4回の総裁選に立候補しており、今回立候補となれば5度目の挑戦となります。このうち、5人の乱立となった
自民党総裁選への不出馬を表明した岸田文雄首相の記者会見をテレビで拝見しましたが、なぜこのタイミングでの不出馬表明なのかという点はモヤモヤが残るままでした。記事中にあるように、岸田首相は「今回の総裁選では自民党が変わる姿、新生自民党を国民の前
「国民政党であったはずの自民党に声が届いていないと国民が感じている。自民党が国民の声を聞き、幅広い選択肢を示すことができる政党であることを示し、我が国の民主主義を守るために立候補する」。2021年8月、岸田文雄首相はこのように述べ、自民党総
知覧特攻平和会館は、特攻隊の出撃基地跡にあります。知覧の地に、陸軍の飛行学校の分教所が開校したのは1941(昭和16)年。学徒出陣の特別操縦見習士官などが訓練を行っていましたが、戦況の悪化により、45年に特攻基地となりました。太平洋戦争末期
記事中にある「拝謁記」を特集した数年前のNHKの番組では、昭和天皇があの戦争を振り返る中で、「勢い」という言葉に何度も言及している点に着目していました。「勢に引きずられて戦争に至った」とか「どうしても勢いに引きずられてしまった」などの言葉が
「なぜ日本では女性の首相がまだいないの?」。小学生の娘からそう問われた際、私は全く合理的な説明ができませんでした。そもそも女性の国会議員が少ないことなど、もっともらしいことは説明できても、男女半々の社会にあって、それが女性の首相がまだ誕生し
2018年の自民党総裁選は、安倍晋三元首相と石破茂元幹事長の一騎打ちでした。この総裁選の1年ほど前から、私は石破氏の担当記者を務めており、総裁選に向けた動きを中心に取材を重ねました。こちらの記事中に、今回の総裁選が石破氏に「好機」と見られ
私は大学で落語研究会に所属し、公民館などで落語をする機会がありました。その時に実感したことは、緊張はお客さんの数ではなく、見られているという意識によってもたらされるということでした。100人のお客さんを前にしても(そんなにお客さんはいません
こちらの記事を読み、ふと小学校の頃に教わった郷土の「偉人」を思い出しました。鹿児島で育った私は小学校の授業の一環で、日本初の女子帝国大学生(東北大)で化学者の丹下梅子氏のことを学びました。細かい内容は忘れましたが、ビタミンB2の研究に取り組
あぜんとするほかない発言です。自民党群馬県連大会でのあいさつでの発言とのことですが、大会には同党の小渕優子選挙対策委員長や福田達夫元総務会長らも参加していたようですが、この発言に対してどういう反応をしたのかも気になるところです。 6日に名
現場視察を繰り返し、現職としての「見え方」を重視した小池百合子氏の選挙戦術に触れたこちらの記事を読み、ふと小池氏をめぐって今でも印象に残ることが脳裏をよぎりました。 古い話で恐縮ですが、今から十数年前、政治部の駆け出し記者だった当時、小池
特定秘密保護法は、国会審議の場などで様々な問題点が指摘されました。政府は「我が国の情報管理に対する国際的な信用が増して、米国を始め関係国との間で質の高い情報交換をより緊密に行うことができるようになりました」(安倍晋三元首相)と、制定の意義を