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主要政党はどう変化したか 主要政党はどう変化したか

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 2度の政権交代、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法の成立――。この15年余り、日本政治は目まぐるしく動いた。この間、政治家たちの考え方はどう変化してきたのか。政党の立ち位置はどう変わってきたのか。夏の参院選を前に、朝日新聞と東京大学が2003年以降の国政選挙で行っている共同調査で衆院選の当選者を分析した。「項目反応理論」という統計モデルを使った分析結果からは、政治的な立ち位置がどう変わってきたかなど、与党と最大野党の「現在地」が見えてきた。

自民党

鈍化
自民党
自民党に投票した有権者(05年は調査実施せず)
党に従う傾向強まる

 今回の分析では「項目反応理論」という統計モデルを使って、各党の政治家の政治的な立ち位置(グラフの横軸)と、党内の意見の幅(グラフの縦軸)が、どう変わってきたかを明らかにした。項目反応理論とは?

 この15年余りの自民の変化には二つの特徴がある。

 一つは「純化」だ。グラフをみると、次第に山の裾野が狭くなり、頂上が高くなっている=自民のグラフ参照。さまざまな意見が存在する多元的な政党だったが、党の方針に従い、同じような意見を持つ議員が増えた(凝集性が高まった)と言える。

 背景の一つとして、分析をした東京大学の谷口将紀教授が指摘するのが、1994年の衆院小選挙区制の導入だ。自民同士も同じ選挙区で争った中選挙区制では、議員たちは、党より所属する派閥に忠誠を誓った。タカ派もハト派もいて、議員たちが首相に異論を唱えることもしばしばだった。野中広務元幹事長ら憲法9条改正に反対する議員らの引退が党の純化を進めた面も大きい。

 消費増税をめぐって党内が割れた民主党の影響もある。

谷口教授
「民主がバラバラのまま政権を失ったという教訓を生かし、自民は党に従う傾向が強まった」

 また、少なくとも17年衆院選では、党本部が報道機関の調査への模範回答を作ったことが、朝日新聞の取材で明らかになっている。「模範回答通りで、皆が同じような答えになった」(若手議員)との声も上がる。谷口教授は「党による候補者への統制が強まっている」と話す。

 もう一つの自民の特徴が、党の衆院議員全体の政策位置を示す山が、徐々にA側(右側)に移動していることだ。集団的自衛権の行使容認や防衛力強化、憲法改正などの質問に、賛成する議員の割合が増えたことを意味する。谷口教授は「A側は一般的なイデオロギーとして『右』、B側は『左』と呼ばれるものと結果的に解釈できる」と説明する。

 グラフでは政権に復帰した2012年衆院選で山全体がA側に動いているのが目立つが、谷口教授によると、兆しは民主への政権交代につながった09年の衆院選以前からあった。

 選挙戦で麻生太郎首相率いる自民は、自衛隊を迅速に海外派遣できる国際協力基本法の制定や憲法改正を公約に盛り込み、民主との違いを強調。谷口教授は「支持層のうちの右派を固めようとしたが、子ども手当などで中間層の支持を集めた民主に惨敗し、政権を失った」。下野後も自民は、民主との差を鮮明にするためA側にシフトする。ハト派の谷垣禎一総裁の下、12年に「国防軍」の保持を明記した憲法改正案をまとめたことが象徴的だ。

 その後自民党は、憲法改正を悲願とする安倍晋三総裁の下で、12年の衆院選で政権を奪還。14、17年の衆院選でも大勝を続ける中、選挙ごとに多少の揺れはあるものの、A側にとどまったままになっている。

 この間、有権者全体の意識は真ん中から大きく変化せず、A側にシフトした自民とは乖離(かいり)してきた。自民党投票者も、当選者ほどはA側に動いていない。

谷口教授
「アベノミクスへの期待で有権者は自民を支持している。勝ち続けているうちは、自民が中央に戻すことはないだろう」
ポスト安倍の立ち位置

 自民党の石破茂・元幹事長は、安倍晋三首相や「ポスト安倍」候補と目される議員の中では政治的な立ち位置が最も真ん中に近い――。2017年衆院選の共同調査を分析すると、こんな石破氏の姿が浮かび上がった。石破氏は、有権者の回答から割り出した政治的立ち位置でみれば中間点(有権者の平均)より右側のA側に位置するが、党内全体でみれば真ん中よりもややB側寄りの立ち位置にある。

 17年調査について、安倍首相、石破氏、岸田文雄政調会長、菅義偉官房長官、野田聖子前総務相の5人について分析。グラフで見るとおり、5人ともA側にいるが、度合いがかなり違う。よりA側に強い順に安倍首相、野田氏、菅氏、岸田氏、石破氏となっている。

 ABを隔てる識別力が高い質問への賛否をみると、その理由が見えてくる。

 憲法改正への質問は5人とも賛成と答えたが、それ以外の項目ではかなり差が出た。安倍首相がめざす「自衛隊明記」の賛否では、2項削除が持論の石破氏が「どちらかと言えば反対」と回答。安倍、岸田、菅の3氏は無回答だった。野田氏は「どちらかと言えば賛成」と答えた。

 北朝鮮問題をめぐっては、対話より圧力を優先すべきだという考え方について、石破氏が「どちらとも言えない」と回答したのに対し、安倍、岸田、菅、野田の4氏は賛成と答えた。

 朝日東大調査が始まった03年以降、最も政治的立ち位置が変化したのは野田氏。03年は「中間よりややB側寄り」の立ち位置だったが、17年には安倍首相の次にA側寄りになった。

 朝日新聞の5月の世論調査で「安倍首相の次の自民党総裁にふさわしい人」を聞く質問でトップだった小泉進次郎氏は、初当選した09年衆院選の調査のみに回答している。この時の数字を見ると、小泉氏は、先の5人に比べて最もA側寄りだった。

 また、党内で「ハト派」の代表格とみなされた谷垣禎一・前総裁に着目すると、党の変容ぶりがよく表れている。下野した09年衆院選では安倍氏よりも、やや中間に近いA側だったが、自らが総裁として自衛隊を国防軍に改める憲法改正案をまとめた12年の衆院選では、よりA側にシフトし、安倍氏とほぼ同位置に。幹事長として迎えた14年では安倍氏よりも、A側寄りとなった。

 ただ安倍氏は、12年に賛成と答えていた防衛力強化について、14年は無回答だった。一方で、谷垣氏は12年と14年でいずれも賛成と答えた。このため、14年は谷垣氏の方が安倍氏よりもA側寄りに位置づけられた可能性がある。

公明党

揺れ動く
公明党
公明党に投票した有権者(05年は調査実施せず)
自民との間合いを模索

 公明党は99年から連立を組む自民との間合いを模索する中で、政治的な立ち位置が左右に揺れ動いてきた。

 09年の衆院選。自民とともに下野が現実味を帯びるなか、公明はB側にシフトしたことが、グラフからうかがえる。この選挙で公明は、憲法改正を公約に盛り込んだ自民と異なり、憲法に新たな条文を付け加える「加憲」の立場を強調。特に憲法9条については、戦争の放棄をうたった1項、戦力の不保持と交戦権の否認を掲げた2項の堅持を前面に出した。

 野党転落後、「教育・福祉・平和」を金看板に掲げる公明は、学校耐震化や介護施設整備などを実現するために、政権党だった民主に接近した。しかし、民主が失政を重ねて政権奪還が視野に入ると、政治的な立ち位置を変える。

 あからさまな変化が、第2次安倍政権が進めた集団的自衛権の行使容認への姿勢だ。13年参院選まで「断固反対」(山口那津男代表)と主張していたが、14年7月に行使容認に合意した。同年の衆院選での同党の当選者たちは、12年衆院選当時よりも、さらに自民寄りにシフトしている。

 長期化する安倍政権に引っぱられるように、改憲や防衛力強化に賛同する議員の割合は増えつつある。

民主党立憲民主党希望の党

分散する
民主党(立憲・希望)
民主党(立憲・希望)に投票した有権者(05年は調査実施せず)
有権者と重なる

 03~14年は民主党、17年は後継政党だった民進党から分かれた立憲民主党と希望の党(当時)の当選議員について分析した。グラフをみると、ややB側へシフトしてきていること、自民党に比べて山の形状がなだらかで、所属議員の意見がばらけていることが分かる。

 09年衆院選で政権を獲得するまで、当選者の山は大きな変動はないが、政権の座から滑り落ちた12年衆院選では、他の年に比べて、急な山になっている。消費増税をめぐって野田佳彦首相と対立した小沢一郎元代表のグループが集団離党し、党内の意見がまとまりやすくなったことが背景にあるとみられる。

 14年衆院選では、山はB側にややふくらんだ。谷口教授は「厳しい選挙を戦う上で、労働組合など昔からの支持基盤である左派を優先的に固めたためではないか」とみる。

 17年のグラフは、立憲と希望の当選者を合わせたもの。自民や希望との対決色を鮮明にした、立憲の候補が多く当選したことから、山はB側までふくらむ形状となっている。

 旧民主の山の形は、自民や公明よりも有権者全体の山と似ている。旧民主勢力は有権者全体の傾向と比較的近いと言えるが、実際の支持は自民に奪われている。

谷口教授
「経済政策は自民に、統治機構改革は日本維新の会にお株を奪われ、二つの政策を重視する中道層の支持が得られていない」
枝野氏と玉木氏、近づいたが

 旧民主党から分裂して生まれた立憲民主党と国民民主党。野党第1党と第2党の協力が夏の参院選の行方を左右する可能性がある中、枝野幸男、玉木雄一郎両代表の政治的立ち位置を比較した。与党時代より立ち位置が近づいているにもかかわらず、別々の党に分かれている皮肉な現状が明らかになった。

 玉木氏が初当選した09年から4回の衆院選をみると、2人とも旧民主党に所属していた09、12年の2回の選挙では比較的立ち位置が離れていた。特に民主党が政権を奪われた12年は、玉木氏は真ん中よりもA側に、枝野氏はB側に位置していた。この時の具体的な回答をみると、憲法改正について5段階の選択肢で枝野氏は「どちらとも言えない」、玉木氏は「賛成」と回答。集団的自衛権の行使容認や原発再稼働でも、枝野氏はともに「どちらとも言えない」と答えていたのに対し、玉木氏はともに「やや賛成」を選んでいた。

 その後、野党として臨んだ14、17年の衆院選では2人の距離は縮まった。12年調査ではA側寄りだった玉木氏が14年調査で大きくB側にずれたことが大きい。憲法改正の質問では12年の「賛成」から14年の「反対」に変化。集団的自衛権の行使容認では「やや賛成」だったのが、「反対」へと変わった。17年調査では、ともに少し真ん中寄りに戻している。

全有権者

動かない
全有権者(05年は調査実施せず)
6回の選挙で立ち位置変わらず

 03年以降の衆院選(05年は有権者調査は実施せず)でみると、有権者の政治的な立ち位置に大きな変化は見られない。山の形状は03年でややなだらか、17年がやや形状がとがっており、凝集の度合いが多少高まっているが、左右への変化はほとんどなかった。こうした有権者の山の形状は、自民や公明の山に比べて、旧民主(立憲・希望)の山に似ている。

谷口教授
「有権者は安全保障問題より経済政策に関心がある。経済政策は、左右の政治的立ち位置と関係が薄いため、グラフの山が左右には変動しにくいのだろう」
衆院選結果
  • 2003 マニフェスト選挙

    政党が国政選挙で初めてマニフェストを掲げた。「高速道路無料化」などを訴えた民主党が躍進する一方、自民党は単独過半数割れ

  • 自民 公明 保新 民主 共産 社民 無所属の会 自由連合 所属
    237 34 4 177 9 6 1 1 11
  • 2005 郵政選挙

    小泉純一郎首相が郵政民営化の是非を問うために衆院を解散した。選挙戦は「刺客」候補を擁立した小泉首相による「小泉劇場」と化し、自民党が圧勝した

  • 自民 公明 民主 共産 社民 国民 日本 大地 所属
    296 31 113 9 7 4 1 1 18
  • 2009 政権交代選挙

    「政権交代」の民意のうねりを受けた民主党が308議席を得て政権を奪う。自民党は結党以来最低の119議席にとどまり、下野した

  • 民主 自民 公明 共産 社民 んな 国民 日本 大地 所属
    308 119 21 9 7 5 3 1 1 6
  • 2012 政権再交代選挙

    民主党の野田佳彦首相が12年12月、自民党の安倍晋三総裁との党首討論で解散を表明した。自民、公明両党が圧勝し、政権に復帰した

  • 自民 公明 民主 維新 んな 未来 共産 社民 国民 大地 所属
    294 31 57 54 18 9 8 2 1 1 5
  • 2014 アベノミクス選挙

    安倍晋三首相が消費増税延期の是非を問うた。自民、公明の与党が改選議席の3分の2以上を獲得し、「安倍1強」の流れが加速した

  • 自民 公明 民主 維新 共産 社民 生活 世代 所属
    291 35 73 41 21 2 2 2 8
  • 2017 「国難突破解散」

    安倍晋三首相が弾道ミサイルの発射を繰り返す北朝鮮への対応や消費増税分の使途変更の是非を問うため、衆院を解散した

  • 自民 公明 立民 希望 共産 維新 社民 所属
    284 29 55 50 12 11 2 22
朝日東大共同調査とは

 朝日新聞と東京大学大学院法学政治学研究科の蒲島郁夫・名誉教授(2005年調査まで。現・熊本県知事)、谷口将紀教授の研究室は03年以降、国政選挙の候補者を対象に、様々な政策への考え方を聞く共同調査を実施してきた。有権者を対象にした調査も行い、当選者との比較もしている。

 今回は夏の参院選を前に、03~17年の計6回の衆院選の調査を改めて解析した。各調査で聞いた質問のうち、5段階で回答を求めた10~35問の質問を元に、「項目反応理論」という統計モデルを使って、当選した政治家の政策位置(政治的な立ち位置)を求めた。当選者の回答率は94.0~97.5%だった。

  • 公開:2019年6月12日
  • 企画:蔵前勝久、鶴岡正寛
  • 取材・分析:磯部佳孝、小林豪
  • 協力・分析:谷口将紀教授、淺野良成、大森翔子、金子智樹、川口航史、高宮秀典(東大谷口研究室)
  • 作成:宇根真、寺島隆介(朝日新聞メディアプロダクション)
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