120日後のフェス-震災の年のアラバキ(3.11震災特集):朝日新聞デジタル

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120日後のフェス

東北地方最大の野外音楽フェス「アラバキロックフェスティバル」。毎年、何万人もの観客が音楽に熱狂する。あの年も4月に開催する予定で準備が進んでいた。主催者や出演者は何を思い、どう動いたのか――。

春のフェス

2011年3月11日。 アラバキの運営スタッフで、公式ツイッターを担当していた鈴木良一(39)は、昼休みの合間を縫って仙台市内の桜の開花予想日をつぶやいた。前年は満開の桜のもとでの開催。4月29、30日の開催に合わせて「ばっちり満開になってほしい」。そんな願いを込めた。

千年以上前に東北で勢力を伸ばしたとされる「荒吐族」を冠したフェス。01年夏に仙台港で始まり、06年からダム湖に面する「みちのく公園」で春に開くようになった。日本のフェスシーズン到来を告げる音楽祭として定着し、10周年だった10年には、2日間で4万2千人が来場した。

午後1時ちょうど。鈴木は桜が舞う前年の会場の写真を投稿した。昼休みを終えると、取引業者との会議が2本待っていた。

被災14時46分

数時間前の高揚感は一瞬で消え去った。鈴木が働く仙台市青葉区のイベント会社 「GIP」の社屋も震度6弱の揺れに襲われ、フロアは書類や荷物が散乱した。揺れから1時間後、他の社員の安全を確認した鈴木は、短いメッセージをツイッターに投稿した。当時の心境について、「アラバキを開催できるかどうかまで、頭がまわっていませんでした」。
 このころ沿岸部では津波により、街が壊滅的な被害を受けていた。

アラバキの4月開催は絶望的だった。 主催者代表の菅真良は、震災数日後から、アラバキも含めたGIPが手がけるその年の700近い公演・イベントの今後の対応について検討に入った。会場の被災状況、公共交通機関の復旧状況……。物理的な問題もあり、200近い公演が中止を余儀なくされた。

被災直後のGIP事務所=同社提供

音楽の役割

菅真良

中止か延期か

アラバキを中止するのか、それとも「延期」という形にするのか。
 菅はこのとき、「2011」にこだわった。「『2011』のチケットを買ってくれた大勢の人がいる。そのチケットで見られるアラバキがあることを伝えたかった。要は12年にアラバキ11をやってもいいんだ、と」。被災から数週間で「延期開催」を決断した。
 菅は23歳の時、ロックンロールの聖地、米国・ニューオーリンズの音楽祭を見た。地元の人たちもミュージシャンとしてステージに立ち、盛り上がる会場。菅は、そこで地域に根ざした豊かな音楽文化を目の当たりにした。
 アラバキは、そこをモデルに立ち上げたフェス。誰よりも思い入れは強い。

車両基地となったみちのく公園=公園管理センター提供

日程をいつにするのか。会場のみちのく公園は、復興支援を担う国土交通省などの車両基地となっていた。また、会場設営などに関わる資材も不足していた。ステージの照明や音響に使う発電機は、東北や関東での調達が難しく、ほかの地域で探し回った。
 そうした中、菅たちは夏開催に照準を合わせた。日程は8月27、28日。時期的に重なった他の地域のフェスが、開催日をずらしてくれるという支援もあった。
 開催にあたり、菅が心がけたのは普段通りのフェスだった。
「人々は、現実を避け、リフレッシュしに来るはず。あからさまな復興やチャリティー的要素が入ると、フラッシュバックする人がいると思った」 規模の縮小や時間の短縮はせず、「がんばろう東北」などもことさら強調しなかった。

佐藤タイジ

「マジやんの」

ロックバンド、シアターブルックの佐藤タイジ(Vo&Gt)は、菅から8月開催の連絡をメールで受け取った。「マジやんの、すげぇなと」。武者震いが起きた。
 第1回のアラバキから出演してきたシアターブルック。震災により、中断することはもちろん考えた。
 「あの状況の中でやると決めた菅ちゃんの根性は、とてつもないものだった。もちろん俺は行くよって」

泉谷しげる

「ロックを楽しめ」

「ロックは現実逃避なんだ。転んだ子どもに母親が『痛くないよ』と言ってさするのと同じ。ある種の暗示でもって痛みを一時的にどう忘れさせるかなんだよ」 この年3度目の出演となったシンガー・ソングライターの泉谷しげるは、だからこそ、震災の年にアラバキでロックをやる意味は大きかったと話す。
 「とはいえ、みんな腫れ物に触るような扱いを受けたいわけじゃないだろう。俺はいつものようにステージで『ばかやろう!このやろう!』は平気で言うつもりだったし、被災者扱いする気もなかった。ロックを楽しめってことだ」

そして迎えた8月27日――。本来の開幕日から120日が経っていた。

夏のアラバキ

「あの年のアラバキには、亡くなった方への鎮魂の意味合いが確かにあった。犠牲者の中にはアラバキ経験者がいたはずだし、行ったことがなくてもロック好きもいたでしょう」。大トリを務めた佐藤はあの夏を振り返り、こう続けた。「多くの人が亡くなった。行方不明者の帰りを待つ人もいた。今も帰ってくることを信じている人もいるだろう。本当に悲しいことだ。でもネガティブなことばかりじゃない。みんなアラバキに集まり、幸せな時間を共有した。それは間違いなく肯定的で意味のある瞬間だったんですよ」 約120組のアーティストが出演し、過去最多の4万4千人が興奮に沸いた。

新たな挑戦

アラバキは12年から、再び春の開催に戻った。 これと並行して、GIPの菅は、15年から自身の出身地・福島県猪苗代町で、アートフェスティバル「オハラブレイク」を始めた。「アラバキの延期開催の時に、多くの人の支援を得て、様々な人たちと交流を深めた。それが新たな挑戦を後押しした」。ミュージシャン以外に、小説や絵画、映像などの様々なアーティストが参加するイベントとなった。

18回目を迎えるアラバキは今年、4月28、29日に開催する。
 激しいビート、大音量のサウンド、熱狂する聴衆……。春爛漫(らんまん)のみちのくで、ロックの宴(うたげ)がまもなく始まる。
(敬称略)

2018年3月8日 公開

企画・動画編集:
坂本進
取材:
河村能宏
写真提供:
GIP、みちのく公園管理センター
デザイン・制作:
寺島隆介、佐藤義晴(朝日新聞メディアプロダクション)
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