カルロス・ゴーン もたらした光と影:朝日新聞デジタル

カルロス・ゴーン もたらした光と影

カルロス・ゴーン もたらした光と影

スクロール

日産自動車の経営再建を託され、仏ルノーから乗り込んだカルロス・ゴーン。業績を急回復させただけでなく、カリスマ経営者として日本の企業風土まで変えた。その男が11月、東京地検に逮捕され、日産会長の座も追われた。ゴーンが日本と関わった19年間の「光と影」を追った。

ゴーンの登場は日産だけでなく、日本の企業風土に広く「変革」をもたらした。

送り込まれた男

約2兆円の有利子負債を抱えて破綻(はたん)寸前の状態に陥った日産自動車は1999年3月、仏自動車大手のルノーと資本提携した。ルノーは、タイヤメーカー・ミシュランの米国法人とルノーで大リストラに辣腕(らつわん)をふるったカルロス・ゴーン(当時はルノー副社長)を、日産の最高執行責任者(COO)として日産に送り込んだ。ゴーンは99年8月の朝日新聞のインタビューで、「5年以内に日産の再建を果たせなければ、失敗ということだ」と強調した。「有利子負債について日本企業は鈍感だった」とも述べ、それまでの日産の経営のあり方を暗に批判。負債の圧縮に最善を尽くす考えを示した。

日産リバイバルプランの概要

  • 自社工場5工場閉鎖
  • 人員2.1万人削減
  • 部品などの調達先50%削減
  • 1.4兆円の有利子負債0.7兆円削減

ゴーンはこの年の10月、資本提携後にまとめた大胆なリストラ策「日産リバイバルプラン」を発表。三つの完成車工場と二つの部品工場を閉鎖して生産能力を大幅に縮小し、3年半かけてグループの人員の14%にあたる2万1千人を削減することが計画の柱だった。不動産など資産売却も進めて財務体質を改善し、「日産を完全復活させる」と宣言した。「再建にタブーはない」と打ち出したゴーンのもと、日産は退路を断って再建への一歩を踏み出した。

村山工場跡地

村山工場跡地

V字回復

「再建請負人」として送り込まれたゴーンは、「コミットメント」(必達目標)を掲げて改革を進めた。目標の達成を責任を負って約束するという意味だ。2001年3月期に黒字に転換できなければ日産を去る――。自らそう宣言して改革を進めた。「コミットメント」はゴーン流経営の「代名詞」となり、模倣する経営者も相次いだ。

ゴーン就任前後の日産自動車の業績

業績は「日産自動車アニュアルレポート2001」「同2002」から

日産の00年3月期連結決算は、本業の不振とリストラによる特別損失の計上が響いて、純損益が6844億円の赤字に陥った。ゴーンは「負の遺産を一掃した」「一過性の赤字に過ぎない」と強調し、強気の姿勢を崩さなかった。00年6月には社長兼COOに昇格し、名実ともに日産のかじ取り役となった。瀕死(ひんし)の状態だった日産に「緊急手術」を施したゴーン流改革は、結果となって表れた。01年3月期の純損益は3311億円の黒字に「V字回復」。ゴーンは記者会見で、「最初のコミットメントは達成された」と語った。02年には「リバイバルプラン」の1年前倒しでの達成を宣言。03年には有利子負債を完済した。剛腕経営者・ゴーンの名は国内外にとどろいた。

往年の名車を再び世に出したのもゴーンだった

01年、米デトロイトでのモーターショーで「日産は戻ってきた。Zを復活させる」と「フェアレディZ」の復活を宣言。翌年、13年ぶりにフルモデルチェンジして発売し、日産再生のシンボルとなった。

排ガス規制をクリアできず、生産中止に追い込まれていた「スカイラインGT-R」の後継車「GT-R」も07年に発売し、納車まで数カ月待ちの人気となった。

日本の企業風土に風穴

ゴーン流経営の影響は自動車業界を支える関連産業にも及び、日本流の経営を変革する「劇薬」にもなった。日産は1999年、鋼材や部品の調達先を絞って大量発注する代わりに、値下げを求める交渉に乗り出した。調達コストの低減を狙った取引先との冷徹な交渉は「ゴーン・ショック」と呼ばれ、日本の産業界を大きく揺さぶった。

日本の企業風土「ケイレツ」

自動車用鋼板の値下げを迫られた鉄鋼業界では、2002年に川崎製鉄とNKKが経営統合して、JFEホールディングスが発足。「ゴーン・ショック」がもたらした価格競争が、業界再編の引き金となった。ゴーン流経営は、日本独特の「ケイレツ」にもメスを入れた。ゴーン社長(当時)が率いた日産は、系列企業の多くから出資を引き揚げた。その結果、系列企業では、日産以外の自動車メーカーとの取引を拡大したり、外資の傘下に入ったりする動きが広がった。自動車メーカーを頂点に部品メーカーがピラミッドのように連なり、協力し合って開発や生産を進める「ケイレツ」は、親会社と下請けの密接な関係で成り立つ。閉鎖的な日本市場の象徴として、かねて海外から批判を浴びてきたが、ゴーンの登場によって変化を余儀なくされた。

ゴーン流経営は他にも

系列の解体以外にも、従来の日本型経営を打破する動きは広がっていった。大手企業で外国人をトップに登用する例は珍しくなくなり、社内の公用語を英語にしたり、賃金に成果主義を取り入れて年功序列型を見直したりした企業も多い。

「ゴーン流」の裏にあった負の側面。ゴーン自身にも捜査の手が迫っていた。

切り捨てられたもの

村山工場(東京)など5工場の閉鎖、2万1千人の人員削減、系列取引の見直し……。ゴーンがCOOとしてまとめた再生計画「日産リバイバルプラン」は、過去に例のないリストラ策だった。徹底した合理化で仏タイヤ大手ミシュランや仏ルノーの業績を改善させて頭角を現し、「コストカッター」の異名をとる。リバイバルプランを発表した1999年10月の記者会見では、たどたどしい日本語でリストラ策への理解を求めた。「どれだけ多くの努力や痛み、犠牲が必要となるか。私にも痛いほどわかっています」日産は95年にも国内有数の完成車工場だった座間工場(神奈川県座間市)を閉鎖したばかりで、社内外に大きな衝撃が広がった。閉鎖された座間工場から村山工場への異動に応じ、2度目の工場閉鎖を通告された社員もいた。

日産リバイバルプランで示された人員削減

当時の労働組合幹部は工場閉鎖の報に、こう言って肩を落とした。「座間工場の閉鎖の時も極めて大きな痛みを伴ったのに、我々は結果的に会社側の求めに応じた。その後もできる限りの協力をしてきた。にもかかわらず……」改革の痛みを引き受けた人々はいま、有価証券報告書に役員報酬を過少記載したとして逮捕されたゴーンに何を思うのか。

いびつな3社連合

19年前にルノーから日産自動車に送り込まれたゴーン。2005年以降はルノーと日産の最高経営責任者(CEO)を兼務するようになり、両社を結びつける「接着剤」の役割を果たしてきた。独自開発の技術や企業風土へのこだわりが強い自動車メーカー同士の再編には「成功例」が少ないと言われるなか、日産とルノーの資本業務提携を維持し、世界的な自動車グループに育てた手腕を評価する声も多かった。

だが、ゴーンの失脚を機に、日産・ルノー・三菱自動車の3社連合の主導権を握ってきたルノーに対する日産社内の不満が顕在化してきた。日産はルノーの出資を受け入れて経営難を乗り切ったが、近年のルノーの業績は振るわない。それでも、ルノーが日産に43%を出資して議決権を持つ一方、日産のルノーへの出資は15%にとどまり、議決権もない。売上高も利益も上回る日産が、多くの利益をルノーに配当として納めてきた。こうした「不平等条約の改正」が日産幹部の宿願となっているが、ルノーに15%を出資するフランス政府は、資本関係を見直したい日産に神経をとがらせている。11月30日(日本時間12月1日)にはフランス政府側の要請で、3社連合の関係をめぐってマクロンと安倍晋三の日仏両首脳が会談した。ルノーと日産の関係は外交課題にもなりつつある。

疑われる私物化

「当社の代表取締役会長カルロス・ゴーンについて、社内調査の結果、本人の主導による重大な不正行為、大きく3点を確認いたしました」。ゴーン逮捕直後の記者会見で、日産社長兼CEOの西川広人が語った。3点とは――。①開示される実際の報酬額よりも減額した金額を有価証券報告書に記載していた②目的を偽って私的な目的で当社の投資資金を支出した③私的な目的で当社の経費を支出した、の三つだ。

3社連合の拠点と世界に散らばるゴーンの自宅

会見で詳細は明かされなかったが、関係者への取材から、さまざまな疑惑が浮かび上がってきた。ゴーンは、世界各地に「自宅」を所有していた。レバノン・ベイルートやブラジル・リオデジャネイロで利用していた高級住宅は、日産が海外子会社を通じて購入していたことが判明した。「家の価格は500万ドル(約5億6千万円)はくだらない」。ベイルートの邸宅を記者が訪ねると、地元不動産事情に詳しい人らはそう証言した。

左=リオデジャネイロの自宅、右=ベイルートの自宅

日産がゴーンの姉に対し、2002年から、年10万ドル(約1130万円)前後を支出してきたこともわかった。「アドバイザー業務」の契約を結んでいたが、実際には姉に業務の実態はなかったという。ほかにも、不正の疑惑が事件を機に噴出した。株価に連動する報酬の権利(約40億円分)を有価証券報告書に記載していなかった疑い。私的な投資の損失を日産に付け替えた疑惑……。ある日産幹部は漏らした。「圧倒的な存在になりすぎた。公私混同、会社の私物化につながった」

突然の逮捕

容疑

国内外に衝撃を与えたゴーンの逮捕。だが事態は、半年以上前から水面下で進行していた。日産社内で、ゴーンをめぐる不正な資金工作が告発されたのは、今年3月ごろ。情報は検察当局に寄せられ、6月にスタートしたばかりの「司法取引」制度を使った捜査が進められた。東京地検特捜部が着目したのが、巨額の「報酬隠し」の疑いだった。

日本では09年度決算から「年収1億円以上」の報酬を得る上場会社の役員について、有価証券報告書に氏名と金額を記載するルールができた。ゴーンの報酬は毎年、「10億円」前後と記載されてきた。ところがゴーンは、年に約10億円をさらに受け取るという合意を日産側と毎年交わしていた疑いが浮上した。「コンサル料」などの名目で、退任後にまとめて受け取る仕組みをつくっていたという。特捜部は、10~14年度の5年間で、役員報酬を約50億円少なく有価証券報告書に記載したとする金融商品取引法違反容疑で逮捕状をとった。

勾留いつまで

11月19日夕、ビジネスジェット機で羽田空港に到着するのを待ち構え、特捜部はゴーンを逮捕した。特捜部に逮捕されると、計20日間勾留されるのが通例だ。連日のように担当検事の取り調べがある。起訴された場合、ゴーンが否認を続けていると、勾留が長引くケースも考えられる。過去には100日以上勾留された事件も少なくない。ゴーンは、自ら立て直した日産を私物化していたのか――。疑惑の解明は緒に就いたばかりだ。

3社連合の未来は

ゴーンが逮捕された3日後の11月22日。日産社長の西川広人は臨時取締役会を招集。ゴーンの会長職を解き、代表権を外すことを決めた。日産、ルノーと3社連合を組む三菱自動車も26日に臨時取締役会を開いて、同様の対応を決めた。一方、ルノーは11月20日の取締役会でゴーンの会長兼CEO職の解任を見送り、CEOの暫定代行にCOOのティエリー・ボロレを充てる人事を決めた。日産・三菱自とルノーの間で対応は割れている。日産側はゴーンの失脚をルノーの影響力をそぐ好機ととらえているが、思惑通りにことが運ぶかどうかは見通せない。日産にとっては、ゴーンの後任人事が最初の関門になる。日産とルノーは1999年の提携時に、経営面で重要なポストをルノーから出すことを取り決めており、まずはルノーの影響力をそぐ人選ができるかどうかが焦点となる。ゴーンの「完全追放」も関門だ。日産は早期に取締役からも外す方針で、臨時株主総会を開いて取締役の解任を決議する構えだ。だが、日産に43%を出資するルノーが議案に反対する可能性もあり、予断を許さない。最大の難題は、ルノーとの資本関係の見直しだ。ボロレは「ルノーグループの利益と3社連合の持続可能性を守るという使命に集中し続ける」との声明を発表しており、日産側との溝が浮き彫りになってきた。

マクロンと安倍もアルゼンチンで会談し、マクロンは3社の関係が今後も維持されるよう求めた。3社連合の行方は、日仏両政府も巻き込んで混沌(こんとん)としている。(敬称略)

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