正男氏が病床の「恩人」について周囲に語るようになったのは、2016年春、暗殺事件が起きる1年前のことだった。正男氏にとって「育ての親」とも言える叔母は、夫の張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長が2013年に処刑された後、パリに逃れ、病に伏せていた。恩人の闘病生活を支えていたのが、正男氏だった。病院で手術のための手続きをしたり、ベッドに寄り添って思い出話をしたり。そんな叔母と交わした「最後の会話」があった。
海外の親族の多くは、北朝鮮で粛清の波にもまれ、故郷を追われた人たちだ。隠し口座の資産を取り崩したり、外国機関に頼ったり、息を殺して暮らしてきた。隠し口座を持てる国や、滞在を許してくれる国は、世界でそれほど多くない。正男氏と欧州をつなぐ「もう一つの線」は、正男氏や親族の生命線になっていた可能性がある。