50年前の沖縄で大人も子どもも議論した
復帰の2日前、那覇市の天妃小学校では復帰を考える「特設授業」が行われ、賛否や意見が交わされた=1972年5月13日
米国統治から日本に戻ればよくなるのか?
集会を開く首里高校の生徒たち。捜査権や裁判権について議論した=那覇市、1970年12月22日
切り離された沖縄 その始まりは戦争だ
地上戦が始まる約5カ月前の大空襲で旧那覇市の9割が焼失した=1944年10月10日、当時の日本陸軍少佐、林忠男さん撮影
民間人を巻き込む地上戦の末、米軍が占領
銃を構える米兵と壕(ごう)から出てくる人。この人物は民間人を装う日本兵とも言われる=1945年6月、米軍撮影、沖縄タイムス所蔵
戦中から米軍は土地を奪い基地を建設した
日本各地に駐留していた米軍が沖縄へ。基地の集中の背景には本土での米軍への反発があった=金武村(現金武町)、1957年
その頃、本土では戦後復興が進んでいた
建設中の東京タワー。完成の半年ほど前の姿=東京・豊洲埠頭(ふとう)から撮影、1958年6月ごろ
沖縄は取り残され基地負担がのしかかる
地下パイプから漏れた米軍基地の燃料に汚染された井戸は「燃える井戸」と呼ばれた=嘉手納村(現嘉手納町)、1968年4月
子どもや女性が米兵の事件事故の被害者に
青信号で横断中の中学生を車ではねて死亡させた米兵は軍法会議で無罪に。教室に花が供えられた=那覇市、1963年3月1日
軍用機の事故は多大な犠牲をもたらした
米軍の戦闘機が宮森小に墜落。児童を含む17人が死亡、200人超が負傷した=石川市(現うるま市)、1959年6月30日
危険と隣り合わせの生活を強いられた
米軍ジェット機が読谷村に墜落し、住民1人が負傷。米軍による現場検証を、住民が遠巻きに見ている=1971年10月29日
平和憲法で基地撤去を 復帰は希望だった
沖縄と日本の「国境」だった北緯27度線上での海上集会。沖縄と本土の代表が交流した=1970年4月28日
日本が「未来」を夢みた時代
大阪万博の会場。シンボルの「太陽の塔」の脇を通り、開会式会場へと向かう来場者=大阪府吹田市、1970年3月14日
沖縄の切実な願いに 本土も呼応した
佐藤栄作首相の訪米を前に、沖縄の即時返還を求めて都内でデモ行進をする女性たち=東京・内幸町、1967年11月4日
復帰は決まるも軽視され続けた地元の利益
解雇に反対してストを決行した基地労働者に銃を向ける米兵=北谷村(現北谷町)の嘉手納基地第1ゲート、1970年9月10日
やりきれない気持ち 爆発した日
交通事故を発端に住民が米軍の車両に火をつけた。コザ暴動やコザ騒動と呼ばれる=コザ市(現沖縄市)、1970年12月20日
願いかなわぬまま「沖縄県」に戻った日
沖縄県庁では新しい碑が披露され、宮良高維さん(右奥)ら地元の小学生が除幕した=那覇市、1972年5月15日
復帰のあり方 問い直すべく集まった
雨の中、数千とも数万ともいわれる市民が与儀公園に集まった「沖縄処分抗議県民総決起大会」=那覇市、1972年5月15日
あなたは「沖縄返還(祖国復帰)」という言葉から、まずどんなことを思い浮かべますか。
高校生も加わった雨中のデモ行進
日の丸や「祝」の字が掲げられた街中をデモ隊は進んだ。警備したのは地元の警察官たちだった=那覇市、1972年5月15日
復帰後も変わらなかった基地が迫る風景
普天間第二小学校の運動場。隣接する普天間飛行場の米軍機が行き来している=宜野湾市、1972年5月24日
負担は軽くなるどころか増すこともあった
嘉手納基地から飛び立つB52戦略爆撃機。ベトナム戦争向けの部隊は復帰前に撤退したが、復帰後に再来=1969年4月16日
復帰から見えてきた、変わらぬ構造の存在
復帰して数カ月、B52戦略爆撃機が大量に飛来。読谷高校の生徒は集会を開き、抗議した=読谷村、1972年10月28日
20年後、またしても子どもが狙われた
米兵による少女暴行事件に抗議する県民総決起大会。地位協定見直しや基地の整理縮小を求めた=宜野湾市、1995年10月21日
あなたは、本土に復帰してよかったと思いますか。よくなかったと思いますか。
30年後、米軍しか近づけない事故現場
普天間飛行場に隣接する沖縄国際大に米軍ヘリが墜落。米軍は現場を封鎖、県警は入れなかった=宜野湾市、2004年8月13日
40年後、負わされた新たなリスク
普天間飛行場の米海兵隊輸送機オスプレイが、不時着水を試みて大破した事故現場=名護市、2016年12月14日
日本社会は沖縄復帰から50年を迎える
辺野古埋め立て工事を阻もうとキャンプ・シュワブ前に座り込む市民を県警機動隊が強制排除する=名護市、2018年4月25日
戦後の日本と沖縄をめぐるできごと
日本全体
沖縄
広島・長崎に原爆投下
ポツダム宣言受諾
戦後初の衆院選
日本国憲法公布
極東国際軍事裁判でA級戦犯25人に有罪判決
米軍が沖縄上陸、県民の4人に1人が犠牲に
朝鮮戦争始まる
特需景気
サンフランシスコ講和条約発効
自衛隊発足
沖縄が日本から切り離される「屈辱の日」
「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる米軍の強制土地接収始まり、反対運動「島ぐるみ闘争」へ
保守合同で自民党誕生、「55年体制」始まる
経済白書「もはや戦後ではない」
このころテレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」として普及
東京タワー開業
石川市(現うるま市)の6歳少女が米兵に暴行されて殺害される
本土への集団就職はじまる
首里高校が沖縄代表として戦後初めて甲子園に出場
皇太子(現上皇)ご夫妻が結婚
国会前の安保闘争で樺美智子さん死亡
東海道新幹線開業
東京五輪
石川市(現うるま市)の宮森小に米軍機墜落、児童ら17人死亡、負傷者200人超
沖縄県祖国復帰協議会結成
このころ米国がベトナム戦争に本格介入
3億円事件
東大安田講堂事件
読谷村で小学5年女子がパラシュートで投下された米軍トレーラーの下敷きになり死亡
大城立裕「カクテル・パーティー」が沖縄初の芥川賞
初の公選主席選挙で屋良朝苗氏当選
日米首脳会談(佐藤・ニクソン)で沖縄返還に合意
大阪万博
札幌冬季五輪
あさま山荘事件
日中国交正常化
第1次オイルショック
復帰を前にした国政参加選挙で衆参議員7人選出
コザ市(現沖縄市)で群衆が米軍車両を焼くコザ暴動/コザ騒動と呼ばれる事件
沖縄こどもの国開園
沖縄返還協定調印
施政権が日本に返還
通貨がドルから円に
ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
王貞治選手が通算本塁打世界記録
沖縄国際海洋博覧会
警察官の短銃携帯実施
自動車が右側通行から左側通行に
自動車が右側通行から左側通行に
東京ディズニーランド開業
グリコ・森永事件
具志堅用高選手がボクシング世界王座13回連続防衛
日航機墜落事故
昭和天皇逝去、平成に改元
このころバブル経済崩壊
沖縄海邦国体
首里城正殿を復元
阪神・淡路大震災
地下鉄サリン事件
「平和の礎(いしじ)」完成
女子小学生が米兵3人に暴行される
基地整理縮小や地位協定見直し求める県民総決起大会
日米が県内移設条件つきで普天間飛行場の返還合意
選抜高校野球で沖縄尚学が初優勝
沖縄サミット
米同時多発テロ
サッカー日韓W杯
NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」放送
沖縄美ら海水族館開業
モノレール「ゆいレール」開業
沖縄国際大に米軍ヘリ墜落
JR福知山線脱線事故
リーマン・ショック
民主党政権誕生
東日本大震災
東京スカイツリー開業
鳩山由紀夫首相が普天間飛行場の県外移設断念
興南高校が甲子園春夏連覇
オスプレイが普天間飛行場に配備
仲井真弘多知事が辺野古埋め立て承認
安全保障関連法成立
令和改元
翁長雄志知事が辺野古埋め立て承認取り消し
うるま市で米軍属による女性殺害事件
翁長知事死去、玉城デニー氏が知事に
政府が辺野古に土砂投入開始
県民投票で72.15%が辺野古埋め立てに反対
首里城正殿など焼失
新型コロナウイルスが流行
東京五輪
沖縄の日本復帰から50年