大正~昭和の沖縄の街や人を写した写真165枚が、朝日新聞大阪本社で見つかりました。禁止された裸足、帯を締めない着物、南国ならではの建築スタイル……。「琉球王国」から日本の「沖縄県」へと変容し、のちに戦争で失われることになる沖縄のありし日の姿が、沖縄タイムスとの取材でよみがえりました。
すべての写真を見る1925(大正14)年ごろに撮影されたとみられる青果市。着物姿の髪を結った女性たちが野菜を売り買いしている。大きな傘で日差しをさえぎるのは当時の市場に特徴的な風景
フォトギャラリーへ裏に「那覇市独特の張出し小間物屋 左方の建物は肉市場(市設)」とある。当時、那覇市東町の旭橋付近に市場があった。左奥に路面電車があり、「沖縄電気軌道」が走った大正3~昭和8年ごろとみられる
フォトギャラリーへ1925(大正14)年、秩父宮の沖縄訪問時に披露されたと思われる組踊。撮影場所は、台覧された尚伯爵邸だとみられる。同年6月1日付大阪朝刊に関連する写真が掲載=沖縄県首里市(現・那覇市)
フォトギャラリーへ大正末から昭和初めごろに撮影された那覇市役所。現在の市医師会の辺りにあった。赤瓦屋根の建築に、鉄筋コンクリート造で5階建ての塔を併設。「スパニッシュ・ミッション」という建築様式を採用した
フォトギャラリーへ糸満の女性たちは、夫や父親から買った魚を頭に載せ、沖縄本島中部あたりまではだしで売り歩いたという。家族でも財布は別々で、女性たちは男性並みに働いていた
フォトギャラリーへ石垣島、名蔵御嶽の結願祭。1941年ごろに撮影されたとみられる=沖縄県石垣町(現・石垣市)
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「裸足の女性」たちが支えた大正→昭和:沖縄古写真
「沖縄のありし日」が写真でよみがえる。新たに見つかった写真165枚に写っていた「女性の生活様式」、そして新たな「発見」とは――
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- 公開
- 2021/05/24
- 写真編集清水隆
- 取材・写真説明真野啓太、島崎周、城間有(沖縄タイムス)
- デザイン・ウェブ制作朝日新聞メディアプロダクション(山市彩、原有希、佐藤義晴)