知床 観光船沈没事故
データと証言からたどる

 観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈没した海は、北海道・知床半島沖だった。朝は穏やかだった海が急変。事故が起きた時刻には、3メートル前後の高波が記録されていた。北の海で、何が起きていたのか。なぜKAZUⅠは出航したのか。データと証言からたどる。

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危険伴う「秘境」の海

  • いっぺんに経験豊富なスタッフを切ると、安全な運航ができなくなる。考え直して欲しい
    事故が起こる以前に「知床遊覧船」で船長を務めていた男性

 北限の地で起きた沈没事故。事故が起きた知床半島沖は、「秘境」を売りにしてきた。ただ、手つかずだからこそ保たれた「秘境」は危険地帯でもある。その自然が牙をむいたのが、今回の事故だった。機動救難士が1時間以内で到着できる「1時間出動圏」の外であることも問題視されている。

 宗谷暖流の流速は春季~秋季は約1.5ノット、夏季には3ノットに及ぶところもある。地元の観光業関係者によると、事故当日は潮の流れが速かったため、波が想像以上に高まったという。関係者は「その結果、遺体が短期間に遠方の知床岬付近まで流された」との見立てを語る。

 事故当時、カズワンの衛星電話は故障し、事務所の無線もアンテナが折れた状態だった。このため、カズワンからの通信は船長のauの携帯電話を使う予定だったが、現地は携帯電話がつながりにくい地域だった。

急変する春先の波

  • これから波も出てくるから行かない方がいい。やめた方がいい
    カズワンの船長に忠告した地元漁師

 カズワンが出航したのは、北海道斜里町のウトロ漁港だった。周辺の波の高さをたどっていくと、短時間で急激に海の状態が悪化するリスクが見てとれる。4月下旬の知床沖は海水温が低く、水につかってしまう救命胴衣や浮器では命を救うのが難しい。

斜里町ウトロ港の波の高さ(有義波高)

北海道開発局のデータから。観測データは速報値のため、エラー値を含む可能性がある

有義波高は、一定時間に観測した波のうち、高い順に1/3までを平均したもの

 知床半島南東側の羅臼町沖で1959年、80人超の犠牲者を出した「4・6(ヨンロク)突風」が発生した。天候の急変時に逃げ込める知床岬付近の避難港の必要性が痛感され、69年、半島先端部の文吉湾にウトロ漁港(斜里町)の分港として着工。当時、ウトロ漁港から知床岬を挟んで羅臼町の羅臼漁港までの約100キロの区間には、避難できるような港がなかった。

1959年4月7日付夕刊5面

 4月23日午前8時時点で、ウトロ漁港周辺の波の高さは32センチと比較的穏やかだった。だが、地元漁師の間では、春先の海は仮に午前中は安定していたとしても、午後になると荒れる可能性があることがよく知られていた。

 知床遊覧船の関係者が4月23日午後1時半ごろ、ウトロ漁港の防波堤にあがって海を見ると、波が大きくうねりながら消波ブロックに当たり、白波が立っていた。カズワンの救助に向かおうとしていた関係者らは、「これはもう無理だ」と断念した。

 地元の観光業関係者によると、4月末~5月の知床沖は、しけが出て海の状況が安定していないという。比較的安定するのは、6月中旬。南からの風を知床連山が遮り、斜里町側の天候が良くなるという。

斜里町ウトロ港の波の高さ

凍(い)てつく北限の水温

  • (2年前の瀬戸内海での事故は)
    風がなく暖かい日だったことが幸いした
    2020年11月、沈没事故で小学生らを救助した瀬戸内海の漁師

 一般社団法人「水難学会」会長の斎藤秀俊・長岡技術科学大大学院教授は「海に落ちたとしても、水温17度程度で救命胴衣を着けていれば24時間は浮き続けられる可能性がある」。ただし、生存率は水温と大きく関わる。事故があった日の現場海域の最低水温は1度。「救命胴衣を着ていても、低体温症で15分も浮いていられないだろう」と斎藤教授は指摘する。

事故当日(4/23)の日本近海の海面水温
気象庁のデータから
地域別の海面水温の平年値・水温と意識不明、生存時間との関係

 救助の手が及びにくい秘境、急に荒れ出した海、分単位で命を脅かす低水温……。26人の死者・行方不明者を出した観光船沈没事故は、こうした厳しい自然環境のなかで起きた。

 しかし、取材で見えてきたのは、自然環境の厳しさだけに収まらない事故の様相だ。あの日、カズワンはなぜ出航したのか。出航に至るまでに、運航会社で何が起きていたのか。事故に心を痛め、「防げたのではないか」と悔いる関係者らの証言からたどる。

ルポ知床事故 証言からたどる

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