どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

国際協力キャリアと専門性-大学院に行っても専門性は身につかない-

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ぼくは来月からイギリスの業界では著名な大学院に留学することになっている。開発学というカテゴリーではQSのランキングで何年か連続で1位である。さあ、それではランキングでトップなのだから卒業後はさぞかし輝かしいキャリアが待っているかというとそんなことはない (悲しいかな、何人かの先輩がそう言っていた)。

 

そもそも開発学というのが幅広くてジェネラリスト的な学問だ。だって、「国や地域が発展するためにはどんなことが必要だろうか」を探求する学問だから、とりあえずお金いっぱいつっこめば発展するんじゃね?な話ではない。民族的に…歴史的に…地政学的にとかいろんな要因が複雑に絡まりあって現在の状況をつくっている。

だから、大学院で開発学を学びましたといっても、専門性がないと思われる。抽象的過ぎて。なので、今どきのイギリスの大学院は「開発と○○」を学ぶコースを提供している。開発とジェンダー、開発と環境、開発と栄養…など。

ぼくは民間セクター開発/支援に興味があって、開発とビジネスを学ぶわけだけど、じゃあネームバリューもあるしビジネスという専門性もあるので引く手あまたなのか?というとそんなことはない。別に優遇はされない。

例えば、あなたが人事担当だとして、開発学ランキング1位の人からと、ハーバードやコロンビア大学で国際関係論を学んだ人たちから履歴書が届いたとする。どっちの方が優秀かなんてわかるだろうか?もちろん募集ポストによるところもあるけれど、普通わからない。東京大学卒の人と、インド最高学府出身の人どっちが優秀かなんてわからない。

国連を始めとする国際機関で働こうとする人たちが競争するのはそういう人たち、そういう世界だ。それに、日本の会社と違い人材育成という概念がないので基本的に即戦力が求められている。故に、単純に学歴だけで就職がしやすくなるようなことはない。

大事になってくるのは、応募しようとするポストとの自身のこれまでの経歴、職歴ということになる。大学院卒業というのはあくまで、そのポストに応募できるチケットを得たに過ぎない。「開発と○○」という文脈だと○○が専門性にあたるのだけど、少なくともイギリスの1年で修士を取得するカリキュラムの場合、専門性が身につくようなことはない。これはみんな言ってるからそうなんだろうと思う。悲しいけれど、それが現実。1年で修士を取れるのはぼくのような金のないアラサーには良いけれど。

 

それで、激しい競争をくぐり抜けて国際機関に職を得た先輩に話を聞く機会がそれなりにあるのだけど、自分の専門性についてはずっと悩んでいるのだそうだ。ニッチになればなるほど特定分野での自分の有用性を示せるけれど、その特定分野の需要がなくなれば自分の食い扶持もなくなって詰んでしまうとか、どうやって専門性を磨いていくか最適解がないという話だった。契約期間が終わる2~3年ごとに綱渡りのような心地なのだそう。

これに関しては正直、運の占める割合が多い(自分が就活を始めたときに希望のポストが都合よく募集かかってるかとか)から、自分でコントロールできないことなんじゃないかとも思う。ただ、とっかかりを掴んで国際機関のポストを取れたら、後はわりとなんとでもなるんじゃないかとぼくは楽観的に考えている。

というのも、ぼくのこれまでのキャリアも一貫性なんてなかったから。か細い糸を手繰り寄せてここまで来たという自負があるから。

ぼくは大学卒業してから、司法書士になろうとして就職せず受験浪人を3年ほどやった。結局、司法書士試験には受かることはなく、就職をしようとしたんだけれど、その時に活きたのは、その受験勉強中に生活費を稼いでいたWebライターの経験だった。あと英語力。それが、たまたま英語力かインターネットに明るい人材を探していた中小のメーカーの目にとまって営業職として採用された。

営業としての経験を積みつつ、実は行政書士の資格を持っている程度には法律に明るかったので知財担当も兼ねるようになり、専門の研修を受けさせてもらい、そうこうしているうちに、ブランディングの提案を社内でするうち、マーケティングが少しずつだけれどできるようになった。で、主に担当していた海外案件が縮小、新規開拓もできずで、ぼくがいる意味がなくなってしまったなというタイミングで、そういえば昔は、国際協力やりたいと思ってたなと転職、マーケティング担当として中米で活動するNGOに転がり込み、コロナで身動きとれなくなり帰国、現在にいたる…という流れ。

要するにぼくはその時々で、投資みたいにポートフォリオを組むようにいろんなことを小さく始めて自分に向いているかどうかできそうかどうかを試してきて、行けそうなら少しずつなんとかして実際の経験を積むようなことをして自分のキャリアを作ってきたわけで、同じことを今後もやればいいだけでは?と思ってしまったのだ。

もちろん、これは職務範囲の不明瞭な日本企業だからできたことだから、責任範囲が明確な外資や国際機関で通用するかどうかはわからない。けれど、ぼくのスキルや関心範囲的にポータブル(どこの組織でも需要がある)なものなのではないかと思っていたりするし、現状、みんななんとかやっているんだから、ぼくだって最初のとっかかりさえ掴むことができればなんとかやっていけるのでは?と思っている。

 

 

 

 

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