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「どうしても早稲田へ」岡田監督は3年間家庭教師つけ勉強、「話が違う」マラソン瀬古利彦は浪人経験…夏期講習真っ盛り、受験生への応援歌

2023年8月15日 10時17分

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◇記者コラム・人生流し打ち
 大学受験の夏期講習が真っ盛りである。同僚の息子さんも健闘及ばず甲子園の道が断たれてから、連日猛勉強に明け暮れているらしい。
 セ・リーグの首位を走る阪神監督の岡田彰布さんが評論家だった時、受験の話になった。「おん。野球だけやないで。勉強もやったよ。そら、そうよ。どうしても早稲田に入りたかったからな」。3年間家庭教師がついたという。

早大時代の岡田彰布


 筆者と同学年だった彼は北陽高出身で神宮球場のスター。野球部のセレクション(練習参加による選別)だけで、何の苦労もなく入学したと思いこんでいたが当時の早大にスポーツ推薦制度はなく、浪人も覚悟していたそうだ。
 岡田さんが卒業したのは早大教育学部教育学科体育学専修。1976年の入試データを見ると、男子のみの募集で志願者1477(受験者1362)に対し合格者160(入学者155)。特筆すべきは入学辞退がわずかに5人だったこと。野球部だけでなく、ラグビー部、競走部、柔道部など名だたるエリート選手が第一希望としていた。
 受験科目は外国語、国語、社会の3教科(配点は各40点)と体育実技(80点)。実技は必修種目の50メートル走、立ち幅跳び、ハンドボール投げ。これに選択種目の徒手体操、支持腕屈伸、懸垂腕屈伸、ジグザグ走から2つ選ぶ仕組み。セレクションの評価も加点材料にはなっただろうが一般科目の成績が悪ければ何ともならなかった。
 岡田さんと野球部の同期で中日に在籍した有賀佳弘さんは早稲田実業からの内部進学。楽勝だと思っていたら、「なに言ってんだよ。おれ、野球部の練習が終わってから夜は塾通いだったからね」。当時、早大にそのまま進学できたのは5割ほど。涙ぐましい努力を積んでいた。

箱根駅伝で力走する瀬古


 マラソンランナーだった瀬古利彦さんは、四日市工業出身で浪人したため大学では岡田さんたちと同学年でも1歳上になる。「早稲田OBがうちの大学に来てくれ、と言ったんだよ。よそからも話はいっぱいあった。で、早稲田だけは試験を受けろという。それで受けたら落とされちゃってさあ。何だそれ、話が違うって(笑い)。そこから必死に勉強したよ」。
 今回紹介した3人はそれぞれ覚悟だけでなく、家族への感謝を口にした。家庭教師、塾、浪人…。周囲の支えがなければ夢の実現はならなかった。今は自分の戦いしか見えなくても仕方がない。。現役も浪人も、スポーツ選手も一般生も。あと半年、がんばれ受験生。(増田護)
※3人が卒業した教育学科体育学専修はスポーツ科学部となり男女の区別なくさまざまな入学選抜が実施されている。早稲田実業はほぼ全員が推薦で早大に進学できるようになった。

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