2018年にJRA京都競馬場で行われたJBC
日本の競馬は、芝の中央競馬、ダートの地方競馬、という2本立てで発展してきた。かつての中央競馬では、ダートは芝の補完的な位置づけとして行われていたためダート重賞はほとんど行われておらず、ダートが得意な馬にとっては不遇の時代だった。しかし中央・地方の交流がすすんだ今、ダート馬にも活躍の舞台が広がり、ダート馬の能力が芝と同様に評価される時代になった。
日本の競馬は歴史的な経緯から、中央競馬と地方競馬が長い間、別々のものとして行われ、ごく限られたレースを除き、馬のみならず、騎手や調教師も中央と地方でほとんど交わることがなかった。しかし走っているのは同じサラブレッド。牧場で生を受けた段階では中央も地方もない。
その中央・地方の間にあった“カベ”に風穴が開けられたのが、“交流元年”と言われた1995年。さまざまに交流が進み、そのひとつにダート交流重賞があった。地方競馬で行われていた主要重賞競走に中央馬が出走できるようになり、また中央のダート重賞に地方馬が出走できるようになった。
そして97年度、中央と地方のダート交流重賞に共通の格付けが行われ、“ダートグレード競走”となった。ダート馬に活躍の場が広がったことによって日本のダート競馬のレベルは格段にアップすることになった。
ダートの本場と言われるアメリカでは、ほとんどの競馬場で芝コースが内側にあり、スタンドに近い外側がダートコースというレイアウトになっている。それゆえダートコースはメイントラックとも言われる。
ダート競馬は、そのアメリカを中心に発展してきたが、大きな転機となったのが1996年、UAEのドバイで行われた第1回ドバイワールドカップ。
世界最高賞金(当時)に加え、招待レースとしたことで、アメリカをはじめ世界各地からダート最強クラスの馬が集結。俄然ダート競馬の注目度が高まった。日本においても、ダートグレード競走の充実によってダート競馬のレベルアップが図られた時期と重なり、日本からも毎年のようにチャンピオン級のダート馬が参戦している。
そして20年、サウジアラビアに総賞金2000万ドル(1着1000万ドル)という破格の高額賞金で争われるサウジカップが創設されるに至り、ダート競馬は世界的にさらなる盛り上がりを見せている。
ダート競馬不遇の時代には、ダート最強と言われる活躍馬がいても、種牡馬になることはまれ、仮に種牡馬になったとしても成功することはほとんどなかった。しかしダートグレード競走の充実によって、ダート競馬が格段にレベルアップした今、日本のダート血統は確実に発展を見せている。
東京大賞典やフェブラリーステークスなどダートGI・4勝を挙げて種牡馬となったゴールドアリュールは、総合(中央+地方)ダートの種牡馬ランキングで、2009年から20年までの12年間でトップに立つこと5回に、2位が7回。代表産駒のエスポワールシチー、スマートファルコン、コパノリッキーらは、種牡馬となって重賞勝ち馬を送り出している。
ゴールドアリュール(2002年/東京大賞典)
03年のJBCスプリントでGI初制覇を果たして種牡馬となったサウスヴィグラスは、12年および15~21年に、地方種牡馬ランキングでトップに立つことじつに8回。20年にはゴールドアリュールをしりぞけ総合ダートのランキングでも1位となった。
芝GI馬を多数輩出するキングカメハメハの産駒はダートでの活躍馬も多い。ダートGI/JpnI・10勝の活躍で種牡馬となったホッコータルマエは、初年度産駒がデビューした20年、総合ダートの新種牡馬ランキングで1位となった。
“交流元年”と言われた1995年に破竹の連勝を見せたのがライブリマウント。前年終盤にダートの準オープンからウインターステークスを連勝した勢いそのまま、1月の平安ステークス、フェブラリーステークス(当時GII)も連勝し、さらに帝王賞、ブリーダーズゴールドカップ、マイルチャンピオンシップ南部杯と地方に遠征して圧倒的な強さを見せた。
ライブリマウント(1995年/マイルチャンピオンシップ南部杯)
入れ替わるように連戦連勝の快進撃を見せたのが、芝でもエリザベス女王杯や札幌記念を制した牝馬のホクトベガだった。95年6月、初めてJRAとの交流となったエンプレス杯では2着に3秒6(推定18馬身)という大差をつける圧勝。その後は芝の重賞を使われたが、96年の年明けからは、川崎記念、フェブラリーステークス(当時GII)、ダイオライト記念、群馬記念、帝王賞、エンプレス杯、マイルチャンピオンシップ南部杯、浦和記念、97年川崎記念と、途中芝のレースを挟みながらダートの交流重賞10連勝を達成。97年には第2回ドバイワールドカップに遠征したが、4コーナー手前で競走中止。ドバイで星になった。
ホクトベガ(1995年/エンプレス杯)
01年に始まったJBCでは、その時々の最強馬が勝ち馬として名を連ねた。特にJBCクラシックでは、アドマイヤドン(02〜04年)、タイムパラドックス(05、06年)、ヴァーミリアン(07〜09年)、スマートファルコン(10、11年)、コパノリッキー(14、15年)と、2連覇、3連覇が続いた。特筆すべきは、20年までの20回で武豊騎手がJBCクラシックで8勝(スプリント、レディスクラシックも各1勝)を挙げていることだろう。
ヴァーミリアン(2009年/JBCクラシック)
マイル以上の古馬ダートGI/JpnIが中央・地方合わせて年間8レース(牝馬限定戦は除く)行われるようになった状況で、ダートの舞台で国内のGI/JpnI最多勝記録が更新されてきた。ヴァーミリアンが10年川崎記念を制して9勝、エスポワールシチーも13年JBCスプリント(金沢)を制して9勝で並んだ。ホッコータルマエは16年川崎記念を制して10勝。コパノリッキーは17年東京大賞典を制して11勝。現在、これが芝も合わせて国内のGI/JpnI最多勝記録となっている。
またスマートファルコンはGI/JpnIこそ6勝だが、グレード重賞19勝で、これも国内の最多勝記録となっている。
コパノリッキー(2017年/東京大賞典)
クリソベリルは19年ジャパンダートダービーをデビューから4戦目、同チャンピオンズカップをデビューから6戦目と、ともに最少キャリアで制覇。さらに20年には帝王賞、JBCクラシック(大井)を制し、GI/JpnI競走4勝を挙げた。オメガパフュームは18~21年に東京大賞典4連覇。芝も含め日本の平地同一GI/JpnI競走4連覇は史上初のこととなった。
牝馬の活躍馬では、14年のJBCレディスクラシック(盛岡)を含め地方のダートグレードで5勝を挙げたサンビスタが、15年のチャンピオンズカップを勝利。JRAのダートGIを制した唯一の牝馬となっている(22年3月現在)。21年のブリーダーズゴールドカップを制して地方の牝馬ダートグレード4勝としたマルシュロレーヌは、秋にはアメリカに遠征。ブリーダーズカップ・ディスタフ制し、日本調教馬として北米ダートGI初制覇という快挙を、ブリーダーズカップという最高峰の舞台で成し遂げた。
オメガパフューム(2020年/東京大賞典)
中央・地方の交流が盛んになった初期に活躍した地方馬が、船橋のアブクマポーロ。1998年には、川崎記念、帝王賞、東京大賞典のGI・3勝を含め、この年の交流重賞では7戦6勝。中央馬相手にも無敵の活躍を見せた。
アブクマポーロ(1999年/ダイオライト記念)
その98年、アブクマポーロが唯一の敗戦となったマイルチャンピオンシップ南部杯を制したのが岩手のメイセイオペラで、翌99年にはフェブラリーステークスを制覇。現在に至るまで地方馬として唯一の中央GI勝ち馬となっている。その年には帝王賞も制した。
メイセイオペラ(1999年/フェブラリーステークス)
04年、3歳で中央馬相手に東京大賞典を制した船橋のアジュディミツオーは、翌05年には地方馬として史上初の海外遠征となったドバイワールドカップに出走(6着)。その年末には、東京大賞典連覇も果たした。また06年、5歳時の帝王賞ではカネヒキリとの一騎打ちをコースレコード(当時)で制するなどGI・5勝を挙げた。
船橋のフリオーソは、2歳上のヴァーミリアン、カネヒキリ、1歳下のエスポワールシチー、スマートファルコン、2歳下のトランセンドら、ダート最強世代と言われた中央馬たちとしのぎを削りながら8歳まで現役を続け、帝王賞(2回)などGI/JpnIを6勝。07年の3歳時から、08、10、11年と4度、NARグランプリ年度代表馬に輝いた。
フリオーソ(2010年/帝王賞)
01年に第1回が行われたJBC競走では中央馬が圧倒的に強く、16年までの16年間で地方馬の勝利は、07年にJBCスプリントを制したフジノウェーブ(大井)わずか1頭。しかし近年では風向きが変わり、17年にJBCレディスクラシックをララベル(大井)が制すると、JBCスプリントでは19年ブルドッグボス(浦和)、20年サブノジュニア(大井)と地方馬が連覇。そして21年の金沢開催では、ミューチャリー(船橋)がJBCクラシックを勝利。JBC・21回の歴史で、地方馬に初めてJBCクラシックのタイトルをもたらした。
サブノジュニア(2020年/JBCスプリント)
また21年にはカジノフォンテン(船橋)が川崎記念、かしわ記念を勝利。地方馬が同一年にGI/JpnIで2勝したのは、11年のフリオーソ以来10年ぶりの快挙となった。
カジノフォンテン(2021年/川崎記念)
(斎藤 修)