第102代内閣総理大臣となる新総裁を選ぶ自民党総裁選が告示され、過去最多の9人による論戦が始まった。これまでは所属議員の投票行動を縛ってきた派閥が表向きは解消され、これまではガッチリ固まっていた票が、ゆるーく分散してしまうケースも考えられ、どの候補にどのくらいの票が集まるか、まだ見通せない。各社調査をみると、5度目の挑戦となる今回で「最後の総裁選」と退路を断った石破茂元幹事長(67)と、最年少首相を目指す小泉進次郎元環境相(43)を軸に、初の女性総理を目指す高市早苗経済安保相(63)も加わる序盤の展開となっている。
告示当日、出馬する候補の陣営では出陣式を開く。9候補すべて取材することはできなかったが、支援する議員が決意を語り、支援議員とともに勝ちどきをあげる場だ。石破氏と進次郎氏の出陣式を取材したが、「最後の戦いとなる5度目の挑戦」と「初挑戦での最年少首相を目指す」と立場は対照的でも、勝利への執念は同じだった。
そんな総裁選告示前の9日、あの人が久しぶりにテレビに登場し、今回の総裁選をぶった切った。日本テレビ系情報番組「情報ライブ ミヤネ屋」に出演した田中真紀子元外相(80)だ。「私の今の立場で見ると、へなちょこばっかり。出たいから出てきている、出したい人じゃなくて。そんな感じ。ふざけてますよ」「この中のだれかが総裁になって、明日から日本の顔として世界のひのき舞台に出て行って通じる人がいます?」と、各候補の資質を疑問視。林芳正官房長官(63)への評価を示唆しながら「あとの方たちは、使い物にならない」とばっさり。久しぶりの真紀子節は、SNSでも話題になった。
その真紀子氏は自民党衆院議員時代、総裁選の「陰の主役」だった時期がある。1998年総裁選に出馬した3候補を「凡人(小渕恵三氏)、軍人(梶山静六氏)、変人(小泉純一郎氏)」と絶妙表現し、年末の流行語年間大賞の1つに選ばれた。次の2001年総裁選では、「変人」小泉氏を強力支援した。
真紀子氏の歯にもの着せぬ発言には支持も批判も同じくらいあったが、言葉の生み出し方は本当にうまい。真紀子氏は、小泉氏の出陣式で「変人の母」を名乗り「私は変人を生んだ母ですから、しっかり健康優良児に育てる。ある時は母となり、妻となり、妹となって全面的に協力します」と訴えた。昭和の日本政治では、福田赳夫元首相の秘書出身の小泉氏と、田中角栄元首相の長女の真紀子氏には「角福戦争」といわれる複雑な関係もあったが、真紀子氏は「角福の怨讐(おんしゅう)を越えて小泉さんを応援する」と、意に介さなかった。
総裁選の主役は小泉氏だったが、街頭演説では、小泉氏以上に人気があった真紀子氏が主役を食うような形で注目を集めた。JR渋谷駅前での演説には、水増しなしで1万人近い観衆が終結。歓声と小泉氏と真紀子氏の絶叫で、取材メモを取るのも大変だった。真紀子氏には他候補への失言もあったりして、陣営はヒヤヒヤものだったが、自民党員だけのイベントとしてではなく、政治に対して多くの国民の関心を向かせるような熱、勢いがあった。
総裁選後を圧勝した小泉氏が首相に就任。真紀子氏は希望どおり外相に就任したが、外務省との対立や混乱、トラブルが続き、1年もたたずに更迭。みんなが夢中になった「小泉&真紀子劇場」はあっけなく終わりを迎えたが、真紀子氏が総裁選に登場した当時のような政治に対する「熱」。それは、時代も政治状況も変わったことを差し引いても、今回の総裁選ではほとんど感じられない。総裁選の先の衆院選を見越してか、小泉進次郎元環境相らは「首相候補」としてお披露目の意味で街頭演説を開いているが、やっぱり真紀子氏が登場した総裁選のような熱は、感じなかった。当然、派閥裏金事件を抱えたまま「表紙替え」をしようとしている自民党への冷めた視線の方が、期待を大きく上回る面もあるからだろうが。
今回はぶった切り発言が話題になった真紀子氏だが、昨年末、政治改革への提言を求める会合のため、国会に現れた。すでに裏金事件が問題になっていた時期。真紀子氏は安倍派幹部を批判する一方、提言の中で「どうしてもやりたい」こととして、「選挙のたびに立会演説会をやる。うちの父は『あれでお父さんは鍛えられた』と言っていた」と、選挙期間中、その選挙区で候補者がそろって有権者から質問を受けるアイデアを提案した。「『分からない』と言う人はだめ。有権者が候補者を見極めるチャンスをつくれば、候補者も鍛えられる」と話した。
実現性は別として、有権者が政治家を見極める機会を増やす考えは、一理あるかもと感じた。そんな機会が増えれば、政治家も少なからず緊張感を持つはずだからだ。「国民は、そんなにばかじゃない」。かつては感じた熱をほとんど感じない総裁選を取材しながら、真紀子氏の言葉を思い出した。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)