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ジャイキリ本の著者が明かす①「当時の楽天はまだ20人しかいなくて、日々新しいことが起こる状態でした」

2016.08.29

インタビュー・文=菅野浩二 写真=兼子愼一郎

 一部上場企業を躊躇なく辞め、生まれて間もないスタートアップ企業へ。一見無謀にも思える決意だが、当人は涼しげな表情で振り返る。時に笑いを交えながら、自身の選択を肯定する。

 仲山進也さんは現在、インターネットのショッピングモール「楽天市場」に出店する方に向けた学習機関「楽天大学」の学長を務める。中小企業の経営者や大企業のマネージャーなどに向け成果を出せるチーム作りのプログラムを展開しているが、その活動には一流企業を去り、新興企業に活路を求めた経験が生きている。社員がまだ20人ほどにすぎなかった楽天株式会社に入社した当時を振り返りながら、チームの在り方を語ってもらった。

――まずは仲山さん自身のキャリアについてお聞きします。ターニングポイントとなったのが1999年だと思います。入社3年目で大手企業のシャープ株式会社を辞めて、創立間もない楽天株式会社に転職したのはなぜですか?

仲山進也 今振り返ると、大きすぎる組織だと居心地がよくない体質だからかなと思います。全体像を把握しきれないのがモヤモヤして。それは自分でチームづくりを学んだことで気づけました。たくさんの部署に分かれていると、他の人が何をしているかがわからない。私が配属されたのは、コピー機やプリンタをつくる事業本部の本部長室というところでした。会社のなかでは小さい事業本部でしたが、それでも全体で1,500人くらい。経営計画を共有するための資料作りをするので、他の人よりは全体像が見えやすい立場ではあったのですが、現場のこともよくわからないし、なかなか全体が理解しきれない。今は、全体が見えている上で、こう工夫したらいいんじゃないかとアイデアを出すような仕事の仕方を好んでやっているので、当時はモヤモヤしっぱなしでした。

――歯車の一つのような感じだった?
仲山進也 歯車でも構わないんですけど、やっぱり全体がわかった上で歯車にならないと、と思います。当時は回っているというよりは、ただ回されている感じで、もっと思いっきり働きたいのに働けていない感覚がありました。

 よく「一流のサッカー選手は、グラウンドを俯瞰したイメージを持てている」というじゃないですか。ジーコさんとか中田英寿さんとか。そのジーコさんと一緒に鹿島アントラーズで長くプレーしていた吉田康弘さん(現・東京武蔵野シティFC監督)に教えてもらったのですが、「ジーコは誰よりも首を振っていた」と。まわりの状況を把握して、それを俯瞰したイメージに変換していたそうなのです。

 それを聞いて、「自分が現場を知らずに経営計画の資料を見てもしっくりこなかった理由」がめちゃめちゃ腑に落ちました。

――全体像が見えないのはやはり組織の規模が大きいからでしょうか。
仲山進也 大きければ大きいほど難しくなりますが、必ずしも「大きいから見えない」というわけでもないと思います。今、チームビルディング、効果的な組織作りに携わっていると、5人くらいの少人数でもお互いのやっていることが何も見えないままやっている組織に出会うこともあります。ですから、人が少ないから全体像が見えるかと言われるとそうでもないです。

「楽天入社初日、全社ミーティングで交わされている言葉の意味が8割以上わからなかった」

――物足りなさを感じてシャープを辞めて、1999年に設立3年目の楽天に新天地を求めています。一部上場企業からスタートアップ企業へ、という感じだったと思いますが、特に大きな迷いもなかったのでしょうか。
仲山進也 シャープで同じ奈良に配属になった同期がいて、よく“くすぶりトーク”をしていたんです。その同期が入社2年目の夏に会社を辞めて楽天で働き始めました。3年目に入ったばかりの4月に電話がかかってきて、「どう、そろそろ? 人足りないんだけど」と言われました(笑)。「最近どう?」と聞いてみると、「楽しい」と言うので、「なんかズルい!」と思って、興味を持ちました。その同期とは働き方の価値観みたいなものが似ていたので、「あいつが楽しいなら自分も楽しめる可能性が高そう」と思えたから、あまり不安はなかったです。むしろ、このままモヤモヤしながら会社に居続けるほうがリスクだなと。

――三木谷浩史社長との面接は10分程度で終わったそうですね。
仲山進也 「休みの日は何してるの?」「サッカーしてます!」みたいな雑談を10分くらいして、「じゃあ、よろしく」と握手を求められて入社が決まりました。自分は25歳で、三木谷は確か34歳のときです。

――その頃の楽天は20名くらいの社員数ですよね。
仲山進也 そうです。「楽天市場」というインターネットショッピングモールの出店数は、今40,000店舗ですが当時は500店舗。いわゆる成長カーブでいうと「導入期」の後半でした。ほどなく、伸びる角度がグッと上がる「成長期」に突入して、4ヵ月後には1,000店舗を超え、激しい忙しさになりました。日々新しいことが起こって、みんなで「どうする?」「こうしよう」とその場その場で決めていかなければいけない状況でした。

――スタートアップ企業はスピード感が重要だと思いますが、すぐに会社の動きにもついていけたのでしょうか。
仲山進也 正直に言うと、入社初日の全社ミーティングで交わされている言葉の意味が、8割以上わかりませんでした。日本語で話しているのに聴き取りすら危うい状態で(笑)。当時の私はインターネットにまったく疎くて、前の会社でメールが使えるようになったものの、社内向けのウェブサイトを見るくらいで、ヤフーで検索することもほとんどないレベルでした。私を誘った同期に「大丈夫かな?」と相談したんですけど、「うん、そのうち慣れる」という一言で突き放されました(笑)。右往左往する毎日でしたが、深夜も土日もみんな会社にいるので、「なんか部活みたいで楽しい」と思いました。3ヵ月ほど踏ん張っていると、少しずつ全体像も見えてきて、「仕事が楽しい」と思えるようになってきました。ただ、成長スピードが早すぎて、毎日が成長痛のような状態なんです。

ジャイキリ本の著者が明かす②「これまでの会社が30年くらいかけて経験する4つのステージの成長痛を、楽天では5年で経験できた」
ジャイキリ本の著者が明かす③「意見の対立を超えるプロセスを経ないと、チームにはなれない」
ジャイキリ本の著者が明かす④「言われたことしかやらずに自分で仕事をつくっていかない人は「やる気がない」のだと誤解していました」

楽天株式会社 楽天大学 学長
仲山考材株式会社 代表取締役
仲山 進也(なかやま しんや)

北海道生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
シャープ株式会社を経て、1999年に社員約20名の楽天株式会社へ移籍。初代ECコンサルタントであり、楽天市場の最古参スタッフ。
2000年に「楽天大学」を設立、楽天市場出店者42,000社の成長パートナーとして活動中。
2004年、Jリーグ「ヴィッセル神戸」の経営に参画。
2007年に楽天で唯一のフェロー風正社員となり、2008年には仲山考材株式会社を設立、Eコマースの実践コミュニティ「次世代ECアイデアジャングル」を主宰している。
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By サッカーキング編集部

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