■涙で語られた最後の挨拶
松本山雅FCへ移籍する三島康平は、涙を流しながら水戸ホーリーホックのサポーターに言葉を紡ぎだす。
「今日の試合を最後に移籍することになりました。シーズン途中で、このような形でこのチームを去ることを申し訳なく思っていますし、みなさんを裏切ってしまったという気持ちがいっぱいで、本当に申し訳なく思っています」
三島にとって、水戸での最後のプレーとなった試合は、7月24日に行われた第25節のFC町田ゼルビア戦である。試合は、3点のビハインドをものともせず、後半に怒涛の攻撃で同点に追いついた水戸ホーリーホックの勝ちに等しい引き分けとなった。
彼の松本山雅への電撃的な移籍発表は、町田戦の3日前、7月22日に水戸の公式サイトで伝えられる。試合が終わって、三島が、スタンドにいる水戸のサポーターに「別れ」の挨拶に赴く。そのときの三島は、涙しながらサポーターに言葉を投げかけた。それが冒頭で記されたものだ。
「裏切ってしまった」という三島の言葉に対して、何人かのサポーターが「そんなことないよ」と声をかぶせてくる。
プロフェッショナルという立場である選手は、自分の価値を高く評価してくれる場所に移っていくことは当然の行為だ。逆に、プロフェッショナルであるにもかかわらず、「情」とか「義理」を重んじてその場に留まることも、プロフェッショナルのある種の姿だと言える。ただ、大事なことは、自分が置かれている現状をきちんと正確に把握して選択できているかどうかである。
人生は選択の繰り返しだと言える。「あれは間違った選択だった」とか、「あれは正しい選択だった」と、自分がいま立っている場所からうしろを振り返れば、当時の選択がどうだったのかを知ることができる。いずれにせよ、選択が「間違い」なのか「正しい」ものなのかの決定は、結果でしか判断ができない。
2016年シーズンがはじまるまえ、三島に移籍の話が舞い込んできた。選択を迫られた当時の彼の気持ちは、新天地へと大きく傾いていた。
■FC岐阜からの誘いを断る
三島は、岐阜からの誘いについて話してくれる。
「シーズンが終わってすぐに、岐阜さんから話をいただきました。『行こうかな』という時期もあったし……正直に言えば……『ほぼ、ほぼ行くことにしました』という時期もありました」
「そのとき、水戸に留まろうと決心させたものは何?」と、三島に尋ねる。
「小原(光城)強化部長(現湘南ベルマーレ強化部長)や水戸のスタッフの人とかが、予想した以上に引き止めてくれたんです」
「水戸に留まったのは、スタッフや選手に引き留められたことが一番の理由?」。質問は続いた。
「スタッフと選手の食事会がありました。そのときに、森(直樹)コーチが『水戸に決めました』と僕のフリをして、みんなのまえで宣言したりしたんです。まあ、そんな風に、繰り返し引き留められましたね。それが、水戸に留まった大きな理由のひとつです」
「岐阜に行かなかったのには他の理由もあったの?」。そう尋ねると、三島は少し言葉を選びながら話す。
「サッカーですよね。どんなサッカーをやるのか。僕が岐阜に行ってどんな使われ方をするのか。それを考えると、自分は西ケ谷(隆之)監督やスタッフの下で成長できることがある、と思ったんです」
三島が、岐阜からの誘いを断ったのには、2つの理由があった。
一つ目は、スタッフや選手からの引き留め。三島が考えていた以上に、自分を評価してくれている、必要とされていることを知った。
二つ目は、サッカーについての可能性。岐阜に行くよりも、西ケ谷監督の下でプレーした方が成長できると考えた。
岐阜からの誘いに関して、三島は何人かに相談している。
「移籍に関して、誰かに相談した?」
「いろんな人に相談しました」
そして、再び、三島が悩み考え抜いて、誰かに相談せずにはならない機会が訪れる。岐阜からの誘いと比較すると、松本山雅の置かれた状況も提示された条件も違っていた。
■松本山雅への移籍の意味と水戸でのプレーの役割
シーズン前にあった岐阜への移籍を引き留めた経緯があったことから、今回の松本山雅からの誘いに対して、水戸は三島を引き留める手段をもはや持っていなかった。
今シーズン9得点を挙げている三島に、いずれはどこかのクラブが手を差し伸べていただろう。それは、シーズン終了してからなのか、シーズン途中であったかの違いだけだ。現実的に、29歳の三島にとって、松本山雅からのオファーは、J1の舞台に立てる最後のチャンスであると言える。三島自身も語るように、29歳という彼の年齢は、J1でプレーできるラストチャンスである。したがって、水戸よりも順位が上位のクラブからシーズン途中で移籍の話があったならば、引き留めることは難しい。松本山雅は、J1リーグへ復帰する可能性がある順位(7月27日現在勝ち点50の2位につける)にいる。
もうひとつ移籍を決めた理由は、松本山雅のサッカースタイルにある。三島のプレーの特徴を生かせる可能性を秘めているのだ。松本山雅は、ゴールライン深く切り込んでサイドから中央へのクロスや、サイドの選手が早い段階でペナルティエリア中央へ放り込むアーリクロスなど、フォワード(以下FW)の高崎寛之をターゲットとした攻撃を多用してくる。また高崎自身も、サイドに流れて起点を作ったり、クロスを入れたりしてくる。もう1枚ヘディングが強いFWがいれば攻撃に厚みが増す。そのもう1枚のカードに該当するのが、三島のプレースタイルであるのだろう。
三島自身もヘディングには自信をもっていて、頭での得点不足を悔やんでいた。
「クロスに対してもなかなか合わない場面がある。『ここで、こういうボールがくれば』と思うことは何度かありましたけど……そううまくはいかない。ぼく自身、場合によって右サイドに開いてボールをもって、というプレーを監督に要求されていることもあって、(ペナルティエリアの)中に自分がいれないときがある。急いで中に戻ってフィニッシュまでいけるようにならないといけない。敵よりもいかに前に入れる状況を作れるのか。そして、もっとヘディングで得点を決めたい。飛び込むような形で」
水戸にとっても、松本山雅と状況は似ていて、もう1枚起点を作れるFWがいれば、展開が変わっていた試合がいくつもあった。水戸での三島の仕事は、攻撃において次のようになっていた。
「基本的にぼくが中にいた方がいい、というのはある。まあ、いろんな形ができればいいと思うんですけど。監督には、もっとサイドに流れていい、と試合のハーフタイムで言われることがある。それで何度かサイドに流れてというのはあります。試合によっては、もっとそうした場面を作って、ぼくが高い位置でボールをキープして、味方が上がってくるのを待つという形を作れたらと思うこともあります」
守備に関して、三島の仕事の負担は大きい。
一度、こんな質問をしたことがあった。
「あれだけボールを追いかけたら、後半になって、攻撃への体力が割かれて難しくない?」
三島は次のように答える。
「後半は確かにシンドイ。前からの激しいプレスが求められるので、守備で体力を使った分、いざ攻めるとき体力がない、と感じることはあります。水戸のサッカーは(FWが)プレスバックして相手のボランチについていく、という動きが重要視されている。(味方の)ボランチとの受け渡しがうまくできなかった場合は、自分が下がって守備をしないといけない。そういう面で、本当に、キツイところはある。ただ、それだけ走ってやってきているし、求められていることだから、それをやり通さないとならない」
■孤独なストライカーの新たな挑戦に幸あれ
三島康平に対して、「孤独なストライカー」という印象をもったのは、彼が相手のゴールキーパー(以下GK)までプレスに行って、ボールがGKにキャッチングされたあと、体を反転して自陣に戻る姿を見たときだった。背番号11番の背中は、絵画から抜け出したような美しさに包まれていた。
J2リーグの中でも、あれほど献身的にボールを追いかけて守備に貢献したストライカーはいない。一切、手を抜かないプレースタイルに好感をもっていた人は多いはずだ。おそらく、松本山雅に行っても、監督から要求されたことに対して最善を尽くすのだろう。それが、ストライカーの三島康平の真骨頂であるからだ。
「もっと自分でも強引に行けたらと思っているので、貪欲にシュートを打っていきたい」と語った三島の姿を水戸のピッチで見ることはもうできない。しかし、どこに行こうと、どこでプレーしようと、背番号が変わっても、必死にボールを追いかけあとに、それが何もなかったように自陣に戻る、あの孤独な美しい後ろ姿は変わらないはずだ。
三島康平の新たな挑戦に幸があるように、と心から願っている。
〈了〉
文=川本梅花