ネパール内戦時の女性に対しての人権侵害についての正義を求めるーDevi Khadkaさん

Yoko Marta
28.08.24 10:23 AM Comment(s)

私の娘は、レイプ加害者を守る社会からは安全ではありません

Devi Khadka(デヴィ・カトゥカ)さんは、ネパールの女性政治家で、Nepal Communist Party(ネパール・コミュニスト・パーティー/ネパール共産党)のメンバーです。
ネパールの内戦は1996年から2006年まで続き、その間に1万7千人が殺され、多くの人々が失踪しました。

デヴィさんは、この戦争が始まったときは17歳で、普段通りマーケットに買い物に行ったとき、兄がネパール共産党の地方リーダーだったことから、政府軍の警察に暴力で連れ去られ、兄の居場所を告白するよう拷問を受けます。
兄を告発する文書に署名するようにいわれますが、「私はどんな文書にも署名しません。私を殺すしかないですね。」と言うと、複数の警察官から何度もレイプにあったそうです。
彼女の経験は、稀なものではなく、内戦時代に多くの女性に起こりました。

警察から解放された後、デヴィさんは、ネパール共産党に加入し、小部隊のリーダーに昇り詰めたあと、兄が政府軍に殺されたことにより、兄のポジション、共産党の政治部門のリーダーとなります。2006年に、和平協定が結ばれた後は、民主主義的な選挙で国会議員として選出されます。

新しい政府に変わってからは、ネパール王室は廃止され、連邦民主共和国になります。
王政廃止とは、日本のように戦争決定に深く関った皇室が現在も続いている地域では考えられない選択に思えるかもしれませんが、イタリアやポルトガルなど多くのヨーロッパの国々は、第二次世界大戦の後ぐらいに、国民投票で王室・皇室廃止を行っています。
王室や皇室がもっていた広大な土地や宮廷、宝物等は、国民たちに戻されました。
ただ、一部の宝物については、政府がまだ売らずに管理しているものもあり、ここ5年くらいの間でも、元イタリア王室の一員が、イタリア政府が保管している宝冠は自分たちに権利があると訴訟を起こしたケースもあります。一般の人々にとっては、旧王室が所有していた土地や宮廷、宝物はもともと国民から盗んだものや、国民を搾取したことにより得たもので、こんな欲深い人たちから成る王室を廃止しておいてよかった、ぐらいかなと思います。

このネパール内戦が終わった後、内戦中の人権侵害の罪を裁くために、2014年に、「Truth and reconciliation commission (トゥルース・アンド・リコンシリエィション コミッション/真実和解委員会)」が設立されました。
多くのネパールの人々は、内戦時代の殺人や失踪、拷問等が裁かれ、正義が行われる(賠償金等の被害者を助ける方策も含めて)ことを期待していましたが、実際には、10年近くたっても、加害者が責任を取ることはほぼなく、現在(2024年時点)でも、誰一人起訴されていないそうです。
この真実和解委員会のプロセスは、深刻な人権侵害に対して恩赦を許したり、内戦時代の罪で責任を取らされるべき人が新しい政府の重要な地位についたために、法律的な非常口として使われている(=実際に罪があっても政府の重要な地位についた人々を罰せられないような仕組にデザインしている)という批判を受けています。

デヴィさんは、政府にいる間に性的加害を受けた女性被害者たちについて、十分なことをしなかったと批判され、正直に「私は後悔しています。私は(内戦中のレイプ被害者について)声を上げるべきでした。私は、私自身から逃げていました。」と言っています。

デヴィさん自身も後遺症に苦しんでいますが、数千人に及ぶとみられている多くの女性たちが、身体的・心理的な後遺症に加えて、それらによる経済的なインパクトにも直面しつづけ、苦しんでいます。
日本のように性加害の被害者が一方的に責められる社会にいれば想像しやすいかもしれませんが、ネパールでも「女性はPure(ピュア/性的に純潔)でなければならない」という神話がまかりとおっていて、レイプを告発することは、被害者が社会から疎外されることにつながることが多く、とても難しいことだそうです。

数千人の女性が被害者だったとみられる、内戦中のレイプが歴史から消されていくことに気づいたデヴィさんは、自らの体験を語り始め、ほかの被害者たちと協力し、現在は2つの性暴力サヴァイヴァー機関をリードし、内戦時のレイプについて記録を行い、医療と経済的なサポートを陳情し、真実和解委員会のプロセスを通して、性暴力サヴァイヴァーの仲間たちとともに正義を求める運動を組織しています。

デヴィさんの努力は、一部、実りつつあるようにも見えます。
2023年には、政府はトランジショナル(過渡期の)公正法への修正の一つとして、内戦時代の戦士でない人に対するレイプは、「深刻な人権侵害」として恩赦にしない、ということを含めた法案を議会に提出しました。
この他にも、レイプ・サヴァイヴァーに対しての賠償を保障する修正法案も出ているものの、人権団体は、これらの修正案は十分ではなく、impunity(インピュニティー/処罰を受けないこと)が永続する危険性がある、と指摘しています。

ただ、法律が変るだけでは十分ではありません。(※)
もし、社会が性加害者を守り、性被害者を責める風潮や土壌を持ち続けていれば、被害者は沈黙させられ、加害者が大手をふって何事もなかったかのように生きていき、再び加害をすることを励まし、加害をしても何の責任もとらなくていい、ということがまかり通っていれば、それを見たほかの人々も同じことをするでしょう。

デヴィさんは、明確に述べています。
社会は、レイプ被害者への見方を変えなくてはなりません。現在、加害者が自由で、自分の力や権力を満喫している間、被害者は逃げて隠れざるを得ません。これは、そうあるべき社会の姿とは全く反対のものです。

デヴィさんは、ドキュメンタリー映画にも出演しています。
広く公開はまだされていないようですが、トレイラーがここからみれます。

このトレイラーの中で印象的だったのは、サヴァイヴァーの一人の女性が、自分の娘について、以下を言っていたことです。
私の娘は、私たちの敵からは今は安全です。でも、レイプ加害者を守る社会からは、安全ではありません。

デヴィさんは、「やっと傷がなおってきたときに、あなたは傷をひっかきます。そうすると、また傷は痛み始めます。なぜ(いまさらレイプのことを)話すの?」という問いに、デヴィさんは「もし私が話さないなら、誰も話さないでしょう」と答えます。

デヴィさんは、「女性に対する犯罪は無視されてきました。私たちは、私たちの社会に挑戦する準備ができています。」としています。
デヴィさんは、顔の見えない女性たち(=顔を見せることが社会的にできない女性たち)の顔となることを決意しました。
これは、性加害を公にすることをタブーとするような社会では、とても勇気のいる決断です。
強盗や窃盗であれば、被害者が正義を求めることはなんの疑問もなく受け止められるのに、性加害となると、被害者に恥や責任を押し付け、加害者にはなんの責任も問わない社会は、誰にとっても危険です。
女性への暴力の加害者が責任を取り、被害者が普通に声をあげて正義を求め、正義が行われることが可能な社会は、ちかづいてきています。
それは、男性や子供たちにとっても安全な社会です。
私たちは、誰もが安全な場所で生きる権利があります。

(※)ガーディアン紙の記事には、夫に離婚をつきつけた女性が親族から殺されそうになったものの、なんとか命を取り留めた例があります。パキスタンには、こういった犯罪を取締る法律はあるものの、政治的にこの法律をきちんと施行する強い意志が欠けているそうです。政治家は、法律を通せばそれで終わりと思っていますが、実際に法律が施行され、加害者が公平な裁判にかけられ、きちんと罪を裁かれ責任を取ることがなければ、いつまでもこういった犯罪が続くことになります。これは、法律だけでなく、社会全体の問題でもあります。たとえ法律があっても、社会が変わらず、法律違反者をかばい、被害者を沈黙させれば、犯罪が永続的に起こることを防げないでしょう。被害者は圧倒的に立場が弱い人々の場合が多いので、被害者だけに裁判を起こしたりアクションを求めるのではなく、社会全体が変わる必要があります。それには家庭や学校、メディア、仕事等さまざまな場所で、女性と男性が対等である必要があります。
また、被害者の声を聞くこと、加害者が責任を取ることは、とても重要です。
女性に対する加害について、加害者や、加害者の味方をすることで加害者や社会からの優遇を期待したり、社会の風潮を内在化させているひとびとが、「大したことはない/触ってもへらない/盗撮は誰も傷つかない」等を被害者に押し付けるのは間違った対応であることには、誰もが気づいて適切なアクションをとる必要があります。

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イギリス独立系新聞ガーディアン紙の記事

Yoko Marta