メルトダウン「市民への警告が後回し」米ソでも日本でも...不信感招いた原発事故の歴史

2023年3月9日 06時00分
<原発回帰 スリーマイル島事故から見えるもの>①
 1979年3月30日。日本の秋田県ほどの緯度に位置する米東部ペンシルベニア州は、まだ春先だというのに季節外れの暖かさだった。金曜日だったが小学校が授業途中で閉鎖され、当時7歳だったエリック・ファシック(51)は昼前から、Tシャツ姿で自宅前を遊び回っていた。すると突如「家の中に入れ! 外に出てはいけない!」と叫ぶ声を聞いた。向かいに住む年上の友人が、家のドアを少しだけ開け、必死の形相で訴えていた。何のことか分からず、遊び続けた。

米東部ペンシルベニア州で2月下旬、スリーマイル島原発と事故を伝える記念碑

 幼いファシックは知らなかった。15キロほど南のスリーマイル島原発2号機は2日前の28日早朝から、冷却機能を一時的に失う異常事態に陥り、微量ながら放射性物質を含む蒸気が外部に放出されていた。当初、運営会社は「深刻な事故ではない」と強調。しかし放射線の測定値は下がらず、州政府は30日に、原発の周辺8キロほどに住む妊娠中の女性や未就学児童について避難を指示し、学校も閉鎖。15キロほどの住民については屋内にとどまり窓やドアを閉めるよう勧告した。ファシックの小学校のように、自主的に閉鎖した学校も多い。

◆「説明しなかったという事実に失望」

 運営会社や当局の定まらない情報発信と見えない放射線の脅威に、住民の不安は募る。後に2号機は核燃料の一部が溶け落ちる「メルトダウン(炉心溶融)」に陥っていたことが判明し、圧力容器に亀裂も見つかった。運営会社が事故前に冷却水の漏えい率のデータを改変していた不正も発覚。安全性を強調してきた事業者や当局への不信感を植え付けられた住民も多い。
 エリックは地元史の研究者となり、2018年に事故について書籍にまとめ、当時を知った。

スリーマイル原発事故時の体験などを語るエリック・ファシックさん=オンライン会議システムより

 自身は原発に対して賛成でも反対でもない。母とともに抱えた甲状腺の異常も、事故の影響とは証明できないため関連づけて考えないようにしている。しかし、運営会社や当局が周辺住民に対して「説明責任を果たしていない」という憤りは隠さない。「大きな爆発を起こす可能性もあったのに、当局が地元住民に説明しなかったという事実に失望している。特に、運営会社は住民に謝罪することもなかった」

◆研究者が指摘「保身を優先するからだ」

 原発事故には、情報を開示しない「隠ぺい」のイメージがつきまとう。1986年の旧ソ連時代のチェルノブイリ原発事故は、爆発から2日も事実自体が伏せられた。2011年の福島第一原発事故でも、東京電力は社内マニュアルに従えば3日後には炉心溶融と判断できたにもかかわらず2カ月にわたって隠ぺいしていたことが16年に発覚した。

原発の課題について語るストーニーブルック大のハイジ・ハトナー教授

 「メルトダウン事故ではすべて、市民への警告や情報開示が後回しになり、危険にさらされてきた」。スリーマイル島原発と福島第一原発に対する抗議行動について研究した米ストーニーブルック大教授のハイジ・ハトナー(環境人文科学)はそう指摘し「原子力業界は、市民の安全よりも、利益のための保身を優先するからだ」と語る。
 子どもや女性のほうが放射線被ばくの影響が大きいが、「心配する市民は米国では『ラジオフォビック』、日本では『放射脳』などと呼ばれてさげすまれ、懸念の声が封じ込まれる」と指摘。懸念の声を軽んじる以前に「そもそも、事実を語らない企業や政府に、広く危険を及ぼす可能性のある原子力を扱う資格がない」と語った。 (アメリカ総局・吉田通夫、文中敬称略)
   ◆  ◆
<連載>原発回帰 スリーマイル島事故から見えるもの
 東京電力福島第一原発事故から間もなく12年。米国はスリーマイル島原発でメルトダウン事故を経験しながら、気候変動対策として原発の活用を進める。関係者の証言を基に、やはり原発推進にかじを切る日本の針路を問う。

スリーマイル島原発事故 商用炉としては世界初のメルトダウン(炉心溶融)事故。1979年3月28日午前4時ごろ、営業運転を始めて3カ月だった2号機で不具合と誤操作により冷却水が減少。燃料の一部が溶融し、放射性物質を含む水蒸気が放出された。地元住民14万人が避難したが、米原子力規制委員会は周辺住民への影響は「無視できる」と結論づけた。2号機は閉鎖された一方、1号機は2019年まで稼働を続けた。


おすすめ情報

国際の新着

記事一覧
  翻译: