チコちゃんファンの皆様!
「チコちゃんに叱られる!」は、8月13日金曜日、NHK総合 午後7時30分~
72分拡大版で、再放送なし。
忘れずに視聴、見れない人は番組録画予約をお忘れなく!
NHKの番組告知です!
番組告知
「真夏のエキゾチッコ・ジャパ〜ン スペシャル」「真夏のエキゾチッコ・ジャパ〜ン スペシャル」
72分拡大版スペシャル!ゲストは郷ひろみさん、石原さとみさん、奥田民生さん。なぜネクタイをつけるの?ブドウについている白い粉ってなに?消せるボールペンが消えるのはなぜ?なぜ人は怒るの?次々と繰り出されるチコちゃんの素朴な疑問に3人はどこまで答えられるのか?スペシャル恒例の「チコの部屋」では郷ひろみさんの驚きのスター伝説や石原さとみさんの意外な素顔も語られます。そしてついに江戸川慕情が完成披露!
(NHK番組ホームページより)
今回のゲスト
郷ひろみさん、石原さとみさん、奥田民生さん。
郷ひろみさん
郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年〈昭和30年〉10月18日[1] – )は、日本の男性歌手、俳優、タレント。新御三家の1人。本名は原武 裕美(はらたけ ひろみ)[1]。血液型はA型[1]、身長176cm[2]。
福岡県出身[1]。バーニングプロダクション所属。日本の男性ソロアーティストとして歴代4位の1300万枚のセールスを記録している。2021年現在既婚。
学歴
1962年3月、東京都大田区の仲六郷幼稚園卒園。
1968年3月、品川区立山中小学校卒業。
1971年3月、品川区立伊藤中学校卒業。
1971年4月、日本大学櫻丘高等学校に入学するが、芸能活動を優先するため2学期から堀越高等学校芸能コースに転校。高校を約5年かけて卒業すると、大学進学をめざす事を公表する。
1977年3月、一浪後、日本大学法学部に合格するが、芸能活動多忙につき卒業しなかった。[要出典]
デビュー〜アイドル全盛期
高校一年のとき家族で日比谷に映画を観に行った帰り[6]、フォーリーブスのマネージャーにスカウトされ[6]、彼らの合宿所に出入りするうちジャニーズ事務所所属となった[6]。――とされていたが、実際は、落選した映画オーディションの会場で出会ったジャニーズ事務所社長、ジャニー喜多川に惚れ込まれてスカウトを受け、超VIP待遇でジャニーズ事務所に所属となったことが2020年の本人談で明かされている。
フォーリーブスのバックダンサーとして出演して多くのファンを獲得する。芸名は、事実上の初デビューとなった北海道旭川市のフォーリーブスファンからの声援「レッツゴーひろみ」から借名して「郷ひろみ」になり大阪でファンクラブが発足する。
フォーリーブスの弟分として活躍し発展するよう4より多い5(ゴー)から「郷ひろみ」と芸名が付けられた[7]。
1972年1月2日、NHK大河ドラマ『新・平家物語』に平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー(現在までNHK大河ドラマ合計4作品に出演) する。
4月3日 – 9月25日、フジテレビ系の森田健作主演・青春ドラマ『青春をつっ走れ』と『あしたに駈けろ!』に連続して出演する。
8月1日、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)所属の歌手としてデビューする。
9月25日、デビュー曲「男の子女の子」がオリコン週間チャートのベストテン入りを果たし、11月には第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞する。
1973年、ブロマイド年間売上実績No.1となり、西城秀樹、野口五郎と共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
11月20日、「裸のビーナス」で第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、12月2日には「小さな体験」で第6回日本有線大賞・大衆賞を受賞する。
12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に初出場し、前年のデビュー曲「男の子女の子」を歌う(以後1985年まで13年連続出場する)。
1974年10月28日、初主演テレビドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌「よろしく哀愁」で、自身初のオリコン週間チャートの第1位を獲得する。
1975年4月1日、ジャニー喜多川からの過度な寵愛に反発し、ジャニーズ事務所を退所。大手など選択肢があった中、設立4年目のバーニングプロダクションを選択して移籍。
6月6日 – 9月26日、主演TBSテレビドラマ『あこがれ共同隊』で、同年ブロマイド年間売上実績No.1の西城秀樹、桜田淳子と共演する。
1976年、『さらば夏の光よ』で映画初主演する。
11月、「あなたがいたから僕がいた」で第18回日本レコード大賞・大衆賞を受賞する。
1977年、TBSテレビドラマ『ムー』出演でコミカルな一面が注目され、再びブロマイド年間売上実績が男性部門でNo.1となる。
1978年8月10日、TBSテレビドラマ『ムー一族』の挿入歌「林檎殺人事件」が『ザ・ベストテン』で自身初の第1位を獲得する。
1979年4月 – 1980年4月、日本テレビ系のバラエティー番組『カックラキン大放送!!』に野口五郎と(以降は1年)交替でレギュラー出演する。
8月、『明星』「アイドル人気投票」で7年連続で1位獲得し、日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞を受賞する。
11月15日 – 12月13日、TBSテレビドラマ『家路』の挿入歌「マイレディー」が『ザ・ベストテン』で5週連続1位を獲得する。
1980年7月21日、新御三家で初のCMソングとなる「How many いい顔」が発売される。
1981年12月6日、「お嫁サンバ」で第14回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞する。
1982年7月17日、外国曲のカバーで、自身初のスロー・バラード「哀愁のカサブランカ」が発売され、「よろしく哀愁」以来2度目の売り上げ50万枚超(オリコン週間チャート第2位)のヒット。ベストテン番組、賞レースへの出演を辞退する。
1984年2月25日、日本国有鉄道キャンペーン・ソング「2億4千万の瞳」が発売され、20万枚超のヒット。サブタイトルは「エキゾチック・ジャパン」歌詞にある「ジャパ〜ン」という表現が郷を形容するのに使われるようになった。
1985年1月、交際していた松田聖子が破局会見を行う。9月には二谷友里恵と出会う。
(Wikipediaより)
石原さとみさん
石原 さとみ(いしはら さとみ、1986年〈昭和61年〉12月24日[1] – )は、日本の女優。東京都出身[1]。ホリプロ所属[4]。
2002年、第27回ホリプロタレントスカウトキャラバン『ピュアガール2002』グランプリ受賞を経て[5]本格的に女優活動を始めた[6]。同オーディション参加以前にも、現在の所属芸能事務所であるホリプロ系列の俳優養成所であるホリプロ・インプルーブメント・アカデミーに所属(5期生)し、石神 国子(いしがみ くにこ)名義で映画『ホ・ギ・ラ・ラ』『船を降りたら彼女の島』へ出演しており、芸能活動の経験がある[7](公式には”石原さとみ名義”で初出演した『わたしのグランパ』をもってデビュー作品としている[8])。
2003年、『きみはペット』(TBS系)の澁澤ルミ役[9]で連続ドラマ初出演[10]。同年、NHKの連続テレビ小説『てるてる家族』のヒロイン・岩田冬子役に抜擢された[11]。以後『WATER BOYS2』(フジテレビ系)などの多数のドラマ、映画に出演し、知名度を上げていく。
2005年、NHK大河ドラマ『義経』にヒロイン・静御前役として出演[12]。
2006年、『Ns’あおい』(フジテレビ系)で民放連続ドラマ初主演[13]。同年秋には、『奇跡の人』のヘレン・ケラー役で舞台に初挑戦する[14]。
2008年、つかこうへい作・演出の舞台『幕末純情伝』の沖田総司役で2度目の舞台出演[15]。
2009年、『ヴォイス〜命なき者の声〜』(フジテレビ系)で月9ドラマ初出演[16]、ヒロイン・久保秋佳奈子役を演じる[17]。同年秋、井上ひさし新作書き下ろしの舞台『組曲 虐殺』にヒロイン・田口瀧子役で出演[18][19]。
2010年、スペシャルドラマ『坂の上の雲』(NHK)に秋山季子(秋山真之の妻)役で出演[20]。
毎年3月4日の「雑誌の日」を記念として雑誌の表紙を飾った回数の多かった女性を選ぶ「カバーガール大賞」で2014年(計36誌)[21]、2015年(約26誌)[22] の2年連続で総合大賞に選ばれる。
2015年、『5→9〜私に恋したお坊さん〜』(フジテレビ系)で月9ドラマ初主演[23]。
2021年2月4日、新型コロナウイルスへの感染を公表[24]。
(Wikipediaより)
奥田民生さん
奥田 民生(おくだ たみお、1965年5月12日 – )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー。ロックバンド・ユニコーンのメンバー。身長171cm。広島県広島市東区尾長出身。血液型はB型。
1987年、ロックバンド「ユニコーン」のボーカリストとしてデビュー。「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など、数々のヒット曲を世に送り出し、バンドブームの寵児ともいわれた。バンドは1993年に解散(2009年に再結成)。その後、約1年間の充電期間を経て、1994年からソロ活動を開始。
以降、ソロ活動の傍ら、女性デュオ「PUFFY」のプロデュースや、井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、バンド、ソロ、プロデュースあらゆる音楽活動において大きな成功を収めている。 ソロ活動においての代表曲は、『愛のために』、『イージュー★ライダー』、『さすらい』など。
広島市立尾長小学校、広島市立二葉中学校、広島皆実高校卒業。 中学生の頃に、初めてバンドを結成。
「当初は端でベースを弾いていたが、女の子がキャーキャー言い始めたため、引っぱり出されてフロントマンになった」とされる『INLIFE 男の履歴書』[3]の記述は誤りで、「最初からギターです」と宝島社『smart』2018年8月号にて語っている。
高校時代には、アーチェリー部に所属、県の新人戦で優勝した経験がある。広島電子専門学校に進学後も、音楽活動を継続(後に専門学校は中退)。『夕やけニャンニャン』の息っ子クラブメンバーオーディションに参加するも、落選。
ユニコーン時代
1986年、ユニコーンにボーカルとして加入。同年7月にソニーミュージックのオーディションに合格。1987年、ユニコーンは広島から上京、アルバム『BOOM』でデビュー。
1989年に発表したファーストシングル『大迷惑』の大ヒットをきっかけにブレイク。以降、「働く男」「ヒゲとボイン」「雪が降る町」「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出す。
1990年、期間限定で「THE BAND HAS NO NAME」を結成、同じ事務所のBe-Modernを解散した直後の3人(現SPARKS GO GO)とともにアルバム『BAND HAS NO NAME』をリリース。
1992年、同じ広島県出身であるJUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人とのユニット「寺田」を結成してツアーを行う。リリースはない。2004年、後述の「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」の後夜祭にて、同郷のCHEMISTRYの堂珍嘉邦を交えて3人で「寺田堂」を結成。その後もイベント等でしばしば寺田として登場し、さまざまな曲のカバーを中心に演奏している。
『夢で逢えたら』のテーマ曲にユニコーンが起用され、同番組にも何度か出演。その後『ダウンタウンのごっつええ感じ』にて、阿部義晴と共に準レギュラーとして「民生くんとアベくん」のコーナーを担当。
1993年9月21日、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)内で、ユニコーンは解散を発表、7年間の活動に終止符を打つ。
ソロ・プロデュース活動
およそ半年間の充電期間の後、1994年にシングル「愛のために」でソロ活動を開始。同曲は、ソロデビューシングルにして、自身初のミリオンセラーを達成。
1996年、音楽プロデューサーとして、女性デュオ「PUFFY」をデビューさせる。彼女たちの特異な脱力感、無気力感、気だるそうな立ち居振る舞いが話題になり、大ヒット。プロデューサーとしても注目を集める。
1997年、井上陽水とのコラボレーションユニット「井上陽水奥田民生」を結成。アルバム『ショッピング』を発表し、年末まで活動。浜田雅功のソロシングル「春はまだか」のプロデュースも行い、浜田の番組『人気者でいこう!』にも出演した。
1998年、ギター一本の弾き語りライブ「ひとり股旅」ツアーを行う。
(Wikipediaより)
放送内容は?
世の中には身近で素朴な疑問がいっぱい。
そこにはよくよく調べてみると興味深い世界が広がっています。
チコちゃんが繰り出すそんな素朴な疑問を家族で一緒に考えてみませんか?
今回のチコちゃんの疑問は、
なぜネクタイをつけるの?
言われてみれば不思議ですね。
何が由来?
ブドウについている白い粉ってなに?
確かに白い粉がついてますね。
いったいなに?
消せるボールペンが消えるのはなぜ?
これは知っている気がします。
なぜ人は怒るの?
自分を守るため?
次々と繰り出されるチコちゃんの素朴な疑問に3人はどこまで答えられるのか?
スペシャル恒例の「チコの部屋」では郷ひろみさんの驚きのスター伝説や石原さとみさんの意外な素顔も語られます。
そしてついに江戸川慕情が完成披露!