今回は、2021年9月24日金 チコちゃんに叱られる!「▽コンセントの謎▽お刺身になぜ菊▽かっぱの由来」の番組内容を紹介。
なんでレインコートをカッパっていうの?
確かにカッパとも言いますね。
いったいなぜ?
なんでレインコートをカッパっていうの?
本日の4つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、台風が来ても動じないステキな大人ってだーれ?」
最後の問題なので、岡村さんが立候補して回答者に。
台風から雨具、そしてレインコートの話題に。
チコちゃん「なんでレインコートをカッパっていうの?」
岡村さん「雨から自分の体をカバーするので雨カバー → 雨ガッパに変化した。」といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「戦国武将がポルトガル語をマネしたから」
戦国武将がポルトガル語をマネしたから
解説してくれたのは、熊本県立大学の馬場良二名誉教授。
ポルトガル語の辞書を調べてみると「capa」の見出しにマント、ケープ、レインコートという意味が。
この言葉が日本に入って来たのは、16世紀半ばに始まった南蛮貿易の頃。
16~17世紀にかけて南蛮船に乗ってやってきたスペイン人やポルトガル人を相手に行われた貿易。
鉄砲や生糸、絹織物などが取引されました。
カッパが日本に入ってくる前に庶民が雨具として使っていたのは藁を編んだだけの蓑(みの)や
武士や僧侶などが使っていた柿渋を和紙に塗った紙子(かみこ)。
そんな時代に日本にはそれまでなかった新たな雨具としてカッパが伝来。
ポルトガル人は防寒具や雨具(レインコート)を兼ねて着用していました。
これを日本で流行らせたと言われるのが織田信長。
NHKの大河ドラマなどで織田信長役を演じた各役者さんも、カッパをきています。
この当時のカッパは高級品だったので戦国武将などしか入手できない希少価値。
織田信長への贈答品として緋色の合羽が贈られたと記録に残っています。
織田信長といえばマントを羽織っているイメージがあるかもしれませんが、実はカッパ。
そんな織田信長の影響もあってか様々な戦国武将が合羽を愛用していたそう。
上杉謙信や豊臣秀吉が着用していたとされるカッパは現存しています。
カッパは襟付き。
当時の日本では首回りを覆うような衣服はあまり無かったので機能性が高かった。
また、カッパに使われた素材のビロード(絹の織物を起毛させた素材)。
これまで使用されたいた麻や絹の紡ぎよりも保温性が高い。
さらに日本にはそれまで見られなかった新素材である羅紗(羊毛の織物でウール=暖かく、油分があるので雨を弾く)という革新性の高さも愛用された理由とのこと。
このようにして、レインコートとしてひろがります。
このように日本には全く概念のない新しい衣類だったのでポルトガル語のcapaをそのまま使用。
さらに戦国武将たちは新素材のウールを使ってカッパを真似た陣羽織を製作。
豪華さや見映えを競うように。
その後の江戸時代に移るとポルトガル語のカッパに合羽の漢字があてられて庶民の間に広まります。
ところで、現在でもポルトガルの人たちはカッパという言葉を普通に使っているのか?
日本在住のポルトガルの方に聞いてみると、
ポルトガル人「カッパありますよ?これです。」
と示したのはクッションカバー。
ちなみに本のカバーなどもカッパと言うそう。
つまり「物を覆うもの=カバーする=カッパ」という広い認識との事。
本当の気持ちを笑顔で覆い隠すという意味で「作り笑い=カッパ」とも言うとのこと。
結論
というわけで、
「なんでレインコートをカッパっていうの?」は、
「戦国武将がポルトガル語をマネしたから」
でした。
塚原アナから補足
カッパは漢字で合羽と書きますが、これは鳥が羽を合わせたように見えるからという説もあるとのこと。
解説してくれたのは
熊本県立大学の馬場良二名誉教授
2020年度: 熊本保健科学大学, 保健科学部, 研究員
2002年度 – 2019年度: 熊本県立大学, 文学部, 教授
1999年度 – 2000年度: 熊本県立大学, 文学部, 教授
1998年度: 熊本県立大学, 文学部, 助教授
1995年度: 熊本県立大学, 文学部, 助教授
(HPより)
熊本県立大学(くまもとけんりつだいがく、英語: Prefectural University of Kumamoto、公用語表記: 熊本県立大学)は、熊本県熊本市東区月出3丁目1番100号に本部を置く日本の公立大学である。1949年に設置された。大学の略称は県大。 2006年4月1日より公立大学法人熊本県立大学が発足、同法人による設置運営に移行した。
略歴
1947年、熊本県立女子専門学校が設立される。校舎は熊本城内の第6師団司令部の建物を受け継ぐ[1]。1949年、同校を母体に、熊本女子大学が創設された[1]。1950年、熊本市大江町に校舎を移転[1]。1980年、校舎を現在の熊本市東区月出に新築移転[1]。1994年、熊本県立大学に名称を変更し男女共学に移行する。2006年、法人化。
(Wikipediaより)
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