今回は、2022年8月26日金 チコちゃんに叱られる! ▽ビーチサンダルの謎▽嫌なことの記憶▽天井の模様 初回放送日: 2022年8月26日の番組内容を紹介。
ビーチサンダルってなんで生まれたの?
ビーチサンダルってなんで生まれたの?
本日の最初の話題。
まずは、本日のゲスト紹介。
本日のゲストは、那須川天心さんと丸山礼さん。
早速問題へ。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、夏のビーチが似合うステキな大人ってだーれ?」
夏のビーチということで、格闘家でもある那須川さんが回答者に。
チコちゃん「ビーチサンダルって、知ってるわよね。日本語ではゴム草履。」
チコちゃん「なぜビーチサンダルは生まれた?」
那須川さん「日本の草履は、縫ったり織ったりしなくてはならないので手間がかかるけど、ビーチサンダルは貼るだけでつくりやすいから。」といった趣旨の回答。
正解に至らずられちゃいました。
チコちゃんの答えは、「レイと庄太郎が出会ったから。」
レイと庄太郎が出会ったから
解説してくれたのは、サンダル製造会社のOB会会長の相川征四郎さん。
ビーチサンダルは日本の草履を気に入ったレイ・パスティン氏とアメリカのゴムを研究していた技術者・生田庄太郎氏が出会って生まれたもの。
ここからは、チコジェクトXが始まります。
「アメリカ人が履ける草履を作れ ~ビーチサンダル誕生物語~」
ナレーションは、いつもの田口トモロヲさん。
現在では、日本だけでなく、世界中で使用されているビーチサンダル。
始まりは、昭和23年。
終戦後に日本の復興を支援する目的で多くの外国人技術者が来日する時代。
その中の一人で工業デザイナーのレイ・パスティンが日本にやって来ました。
興味をもったのが、日本人が履いていた草履。
これまで西洋で用いられていたかかとにベルトが着いているタイプの履物の履きにくい。
そして、スリッパは脱げやすいという難点を常々感じていました。
彼は、鼻緒が着いた草履が履きやすく脱げにくい点に気づきます。
アメリカ西海岸カリフォルニア出身だったレイ。
海辺で履ける草履のような履物を作ったらアメリカでも売れるのでは?と考えます。
しかし、問題となるのが草履の形。
左右の区別が無く、鼻緒が真ん中にあるので指を入れる位置とズレています。
そして海辺で履きやすいように竹や藁ではなく水に強い素材を使いたい。
一度アメリカに帰国したレイ。
昭和26年に再来日して本格的に新しい履物の開発に取り組みます。
レイが最初に向かったのは日本のゴムメーカー。
思い描いたのは靴のように左右の足形で弾力性のあるゴム製の草履。
しかし、アメリカ人のゴム草履を作って欲しいというリクエストに耳を貸す日本のメーカーはほとんどありませんでした。
また、理想的な素材もなかなか見つからず、計画は進まず。
そんな中でレイは神戸にゴムの新素材があるらしいという噂を聞きつけて神戸へ。
神戸は明治後期からゴム産業が盛んで日本におけるゴム産業中心地の一つ。
彼が訪問したのは、大正2年創業で人力車用のゴムタイヤ開発で成長を遂げた会社。
そこで原楽技術者の生田庄太郎。
戦時中に生田さんらのゴム技術者は軍から要請を受け、日本軍が撃墜した爆撃機B29の燃料タンクの残骸(ゴム素材のカバー)を研究していました。
燃料タンクをゴム素材で保護する事で弾に被弾してもゴムがクッションの役割をしてタンクが傷つかないようにする技術。
これを見た生田は同じ素材を日本でも作れるように日々研究。
目指したのは軽くて衝撃吸収性に優れた弾力性のあるゴム。
しかし、完成を待たずに昭和20年には終戦。
ところが終戦後も研究を続けた生田。
昭和26年に遂に新素材開発に成功。
それが独立気泡スポンジゴム。
ゴムの中に発泡剤という薬品を入れ、熱と圧力を加えます。
すると、ゴムの中に小さな気泡が生まれてクッションの役割に。
新素材は軽くて弾力性に富んでおり、まさに目指していた材料。
苦節6年の末にたどり着いた画期的なゴムの誕生に喜ぶ生田。
既に終戦を迎えており使い道はありませんでした。
そこに声を掛けて来たのがゴム草履用の素材を探していたレイ。
二人が出会った事でゴム草履の開発がいよいよスタート。
鼻緒も全てゴム素材のゴム草履は完成します。
しかし、鼻緒に慣れておらず、日本人とは足の形そのものがやや異なる欧米人。
レイは試作品で、足の指の痛みを訴えます。
さらにゴムに加えられる発泡剤のせいでアンモニアっぽい独特の異臭が。
ここでレイはいったん帰国。
またしてもゴム草履の製品化に至らず。
翌年、生田はレイに手紙を書きゴムのニオイを抑えた新素材を開発した事を伝えます。
レイは再々来日。
この時レイは欧米人の基準となる足型を作って、持参。
本国に戻った際に子どもから大人まで幅広くサンプリングした成果を生田にお土産として手渡します。
また、鼻緒を細くする事で鼻緒になれていない欧米人でも履きやすいように改良。
こうして昭和28年、苦難の末に生まれたゴム草履はアメリカに上陸。
そこからアメリカ本土でヒット商品となりました。
さらにハワイではバカ売れ。
ひと月で10万足販売記録。
ビーチサンダルは既にある履物の形の派生版という事もあって特許の対象になりませんでした。
そのため、安価で作れるゴム製のビーチサンダルは世界中で量産されて爆発的に広まりました。
ビーチサンダルは和製英語。
呼び名は各国様々。
アメリカでは、フリッププロップ、マレーシアでは、スリッパジャポン、
トルコでは、トーキョー、ペルーでは、さよならと日本由来を示すような言葉が残っています。
当初は安いことから庶民の履物と揶揄されていましたが、アカデミー賞ノミネート者に贈られたビーチサンダルなどもあり、ビーチサンダルは、セレブの皆様にも愛されています。
そして、世界初のビーチサンダルを作成した神戸のメーカー(ブルーダイヤ)では、一つ一つ、丁寧に現在でも作られています。
結論
というわけで、
「ビーチサンダルってなんで生まれたの?」は、
「レイと庄太郎が出会ったから」
でした。
解説してくれたのは
サンダル製造会社のOB会会長の相川征四郎さん。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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