今回は、2022年10月7日金 チコちゃんに叱られる! ▽みそ汁の不思議▽オセロの謎▽カタカナと外国語 初回放送日: 2022年10月7日の番組内容を紹介。
なんでオセロは白と黒なの?
なんでオセロは白と黒なの?
本日の2つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、白黒がはっきりしているステキな大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、藤田さんが回答者に。
チコちゃん「なんでオセロは白と黒なの?」
藤田さん「見やすい。白黒は見やすくてみんな好きだから。パンダも白と黒。みんな大好きじゃん!」
正解に至らず、叱られちゃいました。
岡村さん「白っぽい石と黒っぽい石、塗るという技術がなかった。」と惜しい回答。
チコちゃんの答えは、「元々碁石だったから」
元々碁石だったから
解説してくれたのは、オセロ開発者・長谷川五郎氏の息子さんである長谷川武さん。
チコジェクトX「白と黒 大逆転の人生 ~オセロ誕生物語~」
ナレーションは、いつもの田口さん
時は太平洋戦争が終結した昭和20年9月。
焼け野原となった茨城の水戸で過ごす長谷川五郎少年(当時中学1年生)。
終戦直後という事もあって学校は青空教室。
休み時間の遊びといえば囲碁ぐらいしかやる事がありませんでした。
記憶力が良くて囲碁が強かった長谷川さん。
囲碁は友達同士で遊ぶにはルールが難解でなかなか広く遊べる遊べませんでした。
そこでもっと簡単なルールのゲームは無いかと思考。
思い付いたのが今のオセロの基礎となる「挟んだら色が変わって自分の石になる」というシンプルなゲーム。
10分の休み時間でも決着がつく単純明快なこの碁石を使ったゲーム。
問題点はいちいち碁石を取り換えるのが面倒という点。
そこで思い付いたのがボール紙を丸く切り抜いて表だけに黒い紙を貼るという手作りアイデア。
このアイデアのおかげで長谷川さんが考案したゲームはたちまち学校中の評判に。
ところがちょうどそんな時、長谷川さんは栄養失調で倒れて大病を患い休学しなければならない事態に。
その後、6年にもわたる療養生活に。
考案者の長谷川さんがいないため、ゲームも忘れ去られてしまいました。
その後、長谷川さんは体調が戻って社会復帰を果たし茨城大学に入学。
大学を首席で卒業した長谷川さんは大手製薬会社に入社。
その間に仕事をしながら司法試験を受けて弁護士を目指します。
順風満帆に見えた長谷川さんに交通事故というアクシデントが。
車の運転中に横から激しく追突される大事故の影響で長谷川は後遺症を抱えてしまいました。
頭を使うと頭痛が。
その影響で司法試験の勉強を諦めざるを得なくなりました。
頭脳明晰でならした長谷川さんはすっかり意気消沈。
その後、職場復帰を果たした長谷川さんは製薬会社の営業中に、とある病院を訪問。
患者の一人から「暇つぶしになるものはない?」というリクエストを受けることに。
そこで長谷川が思い出したのが中学時代に自分自身が考案したあのゲーム。
栄養失調の苦い経験の末に日頃から牛乳を飲むのが習慣になっていた長谷川さん。
牛乳瓶のフタを再利用して黒い紙を貼り付けて石作り。
そして病院に持ち込んだ所、患者たちのみならず病院中で大ウケ。
「このゲームが欲しい」と引く手あまたの状態に。
この評判を受けて長谷川は100台以上のセットを作って配りました。
病院関係者の「これは売り出すべき」という声に応じておもちゃメーカーに売り込み。
応対した大手おもちゃメーカー・ツクダの佃光雄社長。
「売れる確証は?」という問いに「売れますよ。大会を開きましょう。」と答えた長谷川さん。
すぐに行動した長谷川は帝国ホテルを自腹で押さえて第1回全日本オセロ選手権を開催する運びに。
昭和48年4月7日に開催されたこの大会。
噂が噂を呼んで100人以上が詰め駆ける盛況ぶり。
新聞にも取り上げられて話題に。
この大会を弾みとしてツクダではオセロの本格販売をスタート。
現在に至っています。
結論
というわけで、
「なんでオセロは白と黒なの?」は、
「元々碁石だったから」
でした。
補足
オセロの名称はシェイクスピアの四大悲劇のひとつ「オセロ」から。
その名付け親は長谷川五郎の父親でイギリス文学者の長谷川四郎さん。
また、オセロの石の直径は今も34.5mmが基本。
これは当時の牛乳瓶のフタと同じサイズを継承し続けているためとのこと。
解説してくれたのは
オセロ開発者・長谷川五郎氏の息子さんである長谷川武さん。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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