今回は、チコちゃんに叱られる! “○×△”の謎▽ブービー賞とは▽なぜ老化する 初回放送日:2024年5月10日の番組内容を紹介。
ゴルフの大会で優勝するとジャケットを着るのはなぜ?
ゴルフの大会で優勝するとジャケットを着るのはなぜ?
先ほどの問題に引き続き、次の問題へ。
チコちゃん「ゴルフの大会で優勝するとジャケットを着るのはなぜ?」
チコちゃんの答えは、「ジョーンズが赤いジャケットに憧れたから。」
ジョーンズが赤いジャケットに憧れたから
ゴルフの大会で優勝者にジャケットを贈るのは世界最高峰の大会、マスターズ・トーナメント。
このジャケットを贈るという習慣が出来たのは、伝説のゴルファー、ボビー・ジョーンズ選手が赤いジャケットに憧れたから。
ジョーンズ選手は、マスターズ・トーナメントの創始者でもあります。
その昔、ジョーンズが1930年の全英オープンに出場した際に大会前のパーティーでお揃いの赤いジャケットを着た人たちを見ました。
全英オープンの会場だったロイヤル・リバプール・ゴルフクラブの会員メンバー全員が着ていたのが会員の証である赤いジャケット。
興味を持ったジョーンズがジャケットについて尋ねます。
すると、「君が大会に優勝したらこの赤いジャケットを贈呈するよ」という提案が。
これに奮起したのか、ジョーンズは見事に優勝を果たします。
約束通りに赤いジャケットをゲット。
ただしこれはあくまで特例で行われた事。
優勝者にジャケットを贈るという習慣が定着するまでは至りませんでした。
この1930年にジョーンズは世界四大大会の全米オープン、全米アマ、全英オープン、全英アマのタイトルを総なめ。
その偉業からグランドスラムという言葉が誕生しました。
この年にジョーンズは、競技を引退。
そこからジョーンズは1932年にオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを設立します。
1934年にこのゴルフクラブでマスターズ・トーナメントを開催。
そこでジョーンズは赤いジャケットから、でマスターズでは緑のジャケットを会員の証として作りました。
そして、1949年から緑のジャケットをマスターズの優勝者に贈るという習慣が生まれます。
これがマスターズ優勝者の証として徐々に定着しました。
このグリーンジャケットを贈るという行為は、超名門オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの名誉会員の資格を与えるという意味。
大変な栄誉なこと。
世界最高峰のマスターズでこういった慣例が生まれた事で、これにあやかって他のゴルフ大会でも優勝者にジャケットを贈るセレモニーが定番化しました。
補足
マスターズ・トーナメントの緑のジャケットは、
・自由に着られるのは、次の優勝者が決まるまでの一年間だけ。
・優勝した一年後にゴルフクラブのロッカーに変換、その後はコースに着た時だけ着られるとのこと。
結論
というわけで、
「ゴルフの大会で優勝するとジャケットを着るのはなぜ?」は、
「ジョーンズが赤いジャケットに憧れたから」
でした。
解説してくれたのは
武蔵野美術大学の北徹朗教授。
北徹朗(きた・てつろう)
KITA Tetsuro
専門
健康科学、ヘルスプロモーション論、スポーツ産業論
Health Science, Health Promotion, Sports Industry
所属
身体運動文化
Health, Sports and Physical Arts
職位
教授
Professor
略歴
2012年4月着任
1977年岡山県生まれ
東京農工大学大学院工学府 電子情報工学専攻博士後期課程
博士(医学)昭和大学
(大学HPより)
武蔵野美術大学(Musashino Art University)(むさしのびじゅつだいがく、英語: Musashino Art University)は、東京都小平市に本部を置く日本の私立大学。1929年創立、1962年大学設置。大学の略称は武蔵美(むさび)、MAU。
東京五美大(多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京造形大学、女子美術大学、日本大学藝術学部)の一つである。
沿革
1929年(昭和4年) – 東京都武蔵野市吉祥寺に金原省吾らにより帝国美術学校が創立される[1]。
1935年(昭和10年) – 同盟休校事件が発生し、帝国美術学校より多摩帝国美術学校(現:多摩美術大学の前身)が分離独立。
1947年(昭和22年) – 造型美術学園と改称。
1948年(昭和23年) – 武蔵野美術学校と改称。
1957年(昭和32年) – 学校法人武蔵野美術学校認可。武蔵野美術短期大学を設置。
1962年(昭和37年) – 学校法人武蔵野美術学校を学校法人武蔵野美術大学に改称。武蔵野美術大学設立。
1969年(昭和44年) – 現在の鷹の台キャンパスに大学、短期大学を全学統合(移転)。武蔵野市の校地(吉祥寺校)に武蔵野美術学園を開設。
1973年(昭和48年) – 大学院造形研究科(修士課程)を開設。
1977年(昭和52年) – 武蔵野美術大学美術資料図書館が竣工(設計:芦原建築設計研究所・保坂陽一郎建築研究所[2])。
1988年(昭和63年) – 武蔵野美術短期大学を武蔵野美術大学短期大学部に校名変更。
1999年(平成11年) – 短期大学部の学生募集停止。造形学部に芸術文化学科、デザイン情報学科を開設。
2001年(平成13年) – TAC(多摩アカデミックコンソーシアム)として、多摩地区の4大学(国立音楽大学、国際基督教大学、東京経済大学、津田塾大学)と単位互換制度を実施。また早稲田大学とも単位互換制度を締結。
2002年(平成14年) – 造形学部通信教育課程を開設。
2003年(平成15年) – 短期大学部を廃止。
2004年(平成16年) – 大学院造形研究科に造形芸術専攻(博士後期課程)を開設。新宿サテライト(新宿教室、東京都新宿区)を開設。
2006年(平成18年) – 油絵学科を専攻分離(油絵専攻、版画専攻)。映像学科3年次以降に映像コース写真コースを開設。大学院デザイン専攻に写真コースを開設。
2008年(平成20年) – 本年度の入学試験から全学科で大学入試センター試験を導入。
2010年(平成22年) – 美術館・図書館が竣工(設計:藤本壮介建築設計事務所)。
2012年(平成24年) – 東京ミッドタウンのデザインハブに武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジを開設。
2016年(平成28年) – 鷹の台キャンパスが都市計画道路で南北に分割[3]。竣工した14号館[4]の地下通路の正式名称を「ガレリア」と決定[5]。
2017年(平成29年) – 3月をもって新宿サテライト(新宿教室)を閉鎖。4月に三鷹ルーム(通信教育課程三鷹教室)を開室。
2018年(平成30年) – 武蔵野美術学園閉校(平成29年度末、3月31日)。通信教育課程の工芸工業デザイン学科を募集停止。
2019年(平成31年) – 市ヶ谷キャンパス(東京都新宿区)を開設。市ヶ谷キャンパスに造形構想学部、大学院
2022年(令和4年) – 武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所と日本総合研究所が11月1日、市ヶ谷キャンパスに「自律協生スタジオ(Convivial Design Studi、通称:コンヴィヴィ)」を開設[6]。
(Wikipediaより)
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