今回は、2019年11月15日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「時代劇の『時代』とは?・なぜインフルは冬にはやる?」のお話。
なんで食べ過ぎると太ると知りながらついごはんが食べたくなっちゃうの?
たしかに、ご飯は止まらないですね。
でも、なぜ?
なんで食べ過ぎると太ると知りながらついごはんが食べたくなっちゃうの?
本日の1問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番ごはんをもりもり食べるステキな大人ってだーれ?」
若村さんが立候補。
国分さんも「負けてませんよ?」と立候補。
岡村さん「私は控えてますよ。炭水化物。」
結局、国分さんが押し切って回答者に。
チコちゃん「なんで食べ過ぎると太ると知りながらついごはんが食べたくなっちゃうの?」
国分さん「それはあれじゃないですか?」
口元に正解マークとピヨピヨ音。
チコちゃん「あなた?つまんねーヤツね。」
国分さん「これ常識でしょ?」
チコちゃん「アカン。つまらん。」
岡村さん「最もつまんねーやつだな。」
若村さん「私が答えればよかった。」
街頭インタビューでも正解なし。
チコちゃんの答えは、「人類が火と出会ったから。」
岡村さん「完璧な答えやん。」
国分さん「ですよね。」
岡村さん「違う意味で叱られろ!お前は。」
人類が火と出会ったから
ご飯をつい食べ過ぎる原因は、ご飯を食べる事で「甘みを感じているから。」
お米はその成分のほとんどがでんぷん。
温かいご飯のでんぷんは口の中で唾液に含まれる酵素によって糖に分解。
糖は人間のエネルギーを作る基本の物質。
人間はなるべくたくさんの糖をとる必要があります。
そのため、脳は糖に関する味覚(=甘み)に最も快感を感じるように。
舌で感じた甘みの刺激で、脳ではβ-エンドルフィンという神経伝達物質が分泌。
ご飯を食べる事で幸福感や陶酔感を引き起こし幸せを感じます。
また、β-エンドルフィンは好きになったものを「病みつき」に。
ある種の中毒作用。
β-エンドルフィンが出るとドーパミンも同時に分泌。
このドーパミンには食欲増進効果。
人間は、「甘み」に病みつき。
どんどん食べ過ぎてしまうとのこと。
伊藤教授「このプログラムは人類が初めて甘いものを知ってしまったその時に刻み込まれたもの。」
伊藤教授「ここからは近々私も出演する番組で詳しくやりますので、その映像を使いながらご説明しましょう。」
チコちゃん「どういうこと?どういうこと?」
NHKスペシャル シリーズ「食の起源」~人類進化が教える理想の食~
(NHK総合で11月24日午後9時から9時49分、放送予定)
その始まりは700万年前。
人類の祖先は元々、木の上で果実などを食べて暮らしていました。
やがて地球全体が寒い時代に。
果実が減ってしまったので祖先は仕方なく食べ物を求めて地上に。
こうして人類が誕生。
その頃はまだ二足歩行を始めたばかり。
食べ物を見つけても、他の動物たちに先に獲られてしまいます。
そこで、取りやすい木の実をたべていました。
殻が硬いので他の動物たちは食べません。
殻を割ってみると中から出て来たのはでんぷんの塊。
かじってみると、味は今一つ。
しかしながら、ほかに食べ物がなので、木の実を食べて生活します。
国分「へぇ~!」
VTRに国分太一さんやTOKIOのメンバーが。
チコちゃん「なに?今の?誰?」「ちょっと太一くん!」
この番組のナビゲーターはTOKIOという事実。
岡村さん「お前知ってたんちゃうやろな!」
200万年前、旧石器時代に突入
ここで食の大革命が。
人類は二足歩行をする事で手で道具が使えるように進化。
そして火が使えるように。
そのおかげで食べ物に火を通して調理が可能に。
国分さん「そう!火が使えるようになったのよ!」
チコちゃん「これ、見ちゃってんじゃん!」
事前に全て知っていた国分さん。
火が使えるようになった人類。
硬くて苦いけど生きる為に食べていた木の実を焼いてみると、、甘い!美味しい!
でんぷんは加熱すると隙間のある状態になります。
そこに唾液の消化酵素が入り込みます。
するとでんぷんが口の中で効率的に糖に分解。
甘みとして舌で感じる事が出来るように。
人類が初めて知った食の喜び。
結論
というわけで、
「なんで食べ過ぎると太ると知りながらついごはんが食べたくなっちゃうの?」は、
「人類が火と出会ったから」
でした。
解説してくれたのは
慶應義塾大学医学部の伊藤裕教授
伊藤 裕1983年卒
教授
1983年 京都大学医学部卒業
1989年 京都大学大学院医学研究科博士課程修了
1989年 米国ハーバード大学医学部 Brigham and Women’s Hospital Molecular and Cellular Research Laboratory 博士研究員
1990年 米国スタンフォード大学医学部循環器内科Falk Cardiovascular Research Center 博士研究員
2002年 京都大学大学院医学研究科臨床病態医科学講座 助教授
2006年 慶應義塾大学医学部 腎臓内分泌代謝内科 教授
2009年 慶應義塾大学医学部総合医科学研究センター副センター長(兼任)
2014年 第18回日本心血管内分泌代謝学会 高峰譲吉賞
2015年 日本学術振興会 学術システム研究センター 主任研究員
2015年 日本内分泌学会 代表理事
2015年 慶應義塾大学医学部百寿総合研究センター 副センター長(兼任)
2016年 平成28年度日本糖尿病合併症学会 Expert Investigator Award
2017年 平成29年度井村臨床研究賞
(大学HPより)
慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく、英語: Keio University)は、東京都港区三田二丁目15番45号に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は慶應(けいおう)、慶大(けいだい)。
慶應義塾大学は、中津藩士の福澤諭吉が藩命により江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)の中津藩中屋敷内に安政5年(1858年)冬に開校した蘭学塾を起源に持つ大学である[1][2][注釈 1]。慶應4年/明治元年(1868年)に木村摂津守の世話により、芝新銭座(現在の港区浜松町)の有馬家控屋敷跡に移転し、年号をとって「慶應義塾」と塾名を定めた[5][注釈 2]。
明治4年(1871年)、三田(港区三田)の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年払い下げを受ける)、現本部所在地に移った。1873年(明治6年)に「慶應義塾医学所」を開設[6]。1873年(明治6年)に修業年限を定めて正則・変則両科を新設、1875年(明治8年)に本科・予備科となる。1879年(明治12年)に専門教育課程として夜間法律科(専修学校 (旧制)へ改組:後の専修大学)、理学科、支那語科、簿記講習所を設置。1890年(明治23年)に大学部(文学・理財・法律の三科)を開設[注釈 3]。明治31年に政治科を開設。1917年(大正6年)大学部に医学科を開設して付属大学病院を開院、北里柴三郎が開設に尽力[7]。1920年(大正9年)には大学令による日本最初の私立大学(旧制大学)の一つとして新発足し[8]、文学・経済学・法学・医学の4学部からなる総合大学となり、予科・大学院を付設した。このとき、学事に関する最高意思決定機関として慶應義塾評議員会が設けられた。1942年(昭和17年)に中国大陸および南方の農業開発を目指して農学部を増設しようとしたことがあり(獣医畜産専門学校)、1947年(昭和22年)には獣医師法により指定認可されていた。1944年(昭和19年)に「藤原工業大学」が寄附され工学部を開設。1957年(昭和32年)に商学部を開設。1990年(平成2年)、湘南藤沢キャンパスに総合政策学部・環境情報学部を開設。2008年(平成20年)4月に「共立薬科大学」が合併したことにより、新たに薬学部と薬学研究科を設置。
明治以後、官公私立問わず、近代日本の教育制度、大学制度の立ち上げモデルになり、また後に私立大学となる学校の中で最初に授業料を徴収した[9][10]。日本の私立大学では早稲田大学(「早慶」の早)と共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。現在の大学は10学部、大学院は14研究科となっている。
(Wikipediaより)
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