インバウンドコラム
2016年4月に発生し、熊本県、大分県に甚大な被害をもたらした平成28年熊本地震により、熊本城も被災した。城の完全修復は2052年と言われているなか、それまでの期間を利用して文化財修復の現場・過程を高付加価値な体験につなげ、収益の一部を還元する「Re-Construction Tourism」を一般に向けて販売した。今回は1月16日に熊本城で実施された「石垣復興ガイドツアー」と、城を眺めながら当時を再現した夕食を楽しむ「ボードウォークダイニング」の様子を紹介する。
熊本城修復の過程を「観光コンテンツ」へ
熊本城は1607年に当時の藩主・加藤清正によって築城され、周囲5.3km、面積は98万m2、東京ドーム21個分にあたる広大な城郭を誇る。「武者返し」と呼ばれる精巧に積み上げられた石垣が大きな特徴のひとつである。市の中心部にあり、高台にそびえる熊本城は、熊本のシンボルであり、私もその高潔な美しさにいつも感動を覚えていた。
しかし、平成28年熊本地震により、重要文化財建造物13棟、復元建造物20棟が被災、石垣の崩落など悲惨な光景が広がった。
▲熊本地震から約3年半たった2019年10月(筆者撮影)
すぐに修復計画に着手したが、もっとも被害の大きかったのが石垣で、全体の1割が崩落、危険箇所は全体の3割となり、約10万個もの石を積み直さなければならない。被災から5年後の2021年には天守閣が復旧したが、熊本城の完全な修復は2052年とされており、莫大な費用もかかる。広く寄附を募る「復興城主」や熊本城災害復旧支援金などで、約52億円(2022年7月現在)が集まったが、これからまだ30年にわたる作業となる。
行政、民間とも一体となって復旧・復興を考え、進んできた中で、令和4年度の文化庁「観光再開・拡大に向けた文化観光コンテンツの充実事業」に、株式会社くまもとDMCからの提案が採択され、調査実証を進行していく中で、今回の「Re-Construction Tourism」というコンセプトにたどり着いた。
熊本城に見られる建築、食、工芸品、芸能など日本の伝統技術や文化財は、長い歴史の中で育まれ、多くの職人たちの手で伝統技術や文化財の「修復/復興」が行われている。「修復/復興」に携わる人々を通じて、修復中の文化財や、歴史を紐解き、現代にアレンジした伝統技術が体験できる「Re-Construction Tourism」として提供していこうという試みだ。
Re-Construction Tourismのポイントは下記の4点だという。
1.イマだけ・ココだけの文化財修復の現場・過程を豊かな旅行体験につなげる。
2.我が国の伝統文化(建築、食、工芸品、芸能など)を現代の技や表現と融合させ、新しい魅力を生み出す。
3.観光収益を文化に還元する。
4.歴史と文化を高付加価値化し、上質な「特別感」を提供する。
「文化財の保存と活用をどう両立させていくか、どちらにプライオリティーを置くかではなく『文化財を修復していく過程そのものを観光コンテンツ化し、共感してもらう』という発想です。現在、熊本城の現状を含め、ボランティアが案内するガイドツアーが人気ですが、高付加価値なツアーとして提供し、その売上から収益の一部を修復費用に還元することもできると考えています」と、今回の事業を受託している株式会社くまもとDMC執行役員の外山由恵さんは話す。
彼女は筆者の前職のリクルートに長く在籍し、20年ほど前に一緒に働いた時期もある。2016年に地元熊本・九州の活性化を目指す「株式会社くまもとDMC」の設立から参画しており、熊本を盛り上げるキーコンテンツとしての熊本城にかける熱い想いをひしひしと感じる。
修復のプロセス、石積み技術やその難しさを職人から直接聞くガイドツアー
「Re-Construction Tourism」に基づいて造成された「新熊本劇城ツアー」は、1月16日の夕方から夜にかけて「熊本城石垣復興ガイドツアー」と「熊本城Boardwalk Dining」を組合せたツアーが開催された。1万9500円で販売され、限定8名の募集枠はすぐに埋まった。
まずは、16時から熊本城・城彩苑にある「熊本城ミュージアム わくわく座」でオリエンテーションがスタート。熊本城の歴史や魅力、「武者返し」や「忍び返し」など難攻不落と称された石垣の構造、被災直後の様子を熊本城VR(バーチャルリアリティ)や動画、スタッフのライブ解説で体感していった。
▲わくわく座では、石垣がいかに精巧に作られているかを模型を使って実感
熊本城は400年以上前に、7年間の歳月と約100万人が建設にかかわり築城されたというが、石積みの技術とその精巧な構造にまず驚かされた。そして、国特別史跡の熊本城の修復作業には、文化財としての価値を守るため、崩れた石垣を元通りの位置に戻す必要があり、地震前に撮影された写真と照合して修復をすすめなければならず、そのため完全修復には2052年までかかるという現状を知った。
オリエンテーションに続く石垣を実際に見て回るガイドツアーでは、修復に携わる熊本市文化市民局 熊本城総合事務所 熊本城調査研究センターの嘉村哲也さんが修復の流れを解説してくれた。
▲修復を主管する熊本城調査研究センターの嘉村哲也さんが修復のプロセスを写真を用いて説明
まず、崩れた石に番号をつけ、回収後に調査票を作成。その後、石材の元位置を特定し、石垣の図面を作る。その図面をもとに、石工が現場で確認しながら、元にあった場所に石を積み上げていく。ただし、割れているなどの理由で元の石が使用できない場合は、別の石を割って新補材を作り、それらを組み合わせながら修復していく。通常、石を割る作業は機械化されているが、今回は、築城当時のように大型のかなづちでくさびを打って石を割っているという。
▲番号がつけられた石が無数に並べられている
「調整をしながらすすめていくんですが、積み上げていくと高さが違ってくるなど、なかなかうまくいかないことも多く、時間もかかります」と石工の河本さん。
新たに石を切り出して新しく作るほうがよほど早くできるのはたやすく想像できる。517面あるという石垣の修復は、先人たちの知恵と、現在の技術が融合して地道にすすめられている。
▲石積みの苦労を語る石工の河本さん。熊本弁で話してくれるのも心地よい。それにしても気が遠くなる作業である
この時点で、私は知識だけでの理解だけでなく、先人の技術の先進性と、現在繰り返される気の遠くなるような作業に、打ちのめされるような衝撃を覚えた。
江戸時代に建てられ、築城当時の姿そのままの「宇土櫓」は、2023年秋頃には、全体の修復のため、素屋根で覆われることになり、その姿を再び見ることができるのは約10年後とのことだ。
旅で出会う風景はいつでも「一期一会」のはずなのだが、通常は忘れていることが多い。壮大な修復プロセスのポイントをきくことで、その価値に気づき、日々変わっていく姿をできるだけ多く見たい、数多く見届けたいという気持ちにかられるほど感動した。「石垣ガイドツアー」は、熊本城のファンを増やし、リピーターを育てていくだろう。
▲今秋頃には全体が覆われて姿が見えなくなる宇土櫓
熊本城を眺めながら、江戸時代の食事を再現した「御膳」を味わう
ツアー開始から2時間が経った18時頃、17時に閉館した後の熊本城は、参加者だけの特別な空間になり、他に誰もいない天守閣に誘われ、特別ガイドツアーが始まった。ここでは各階で展開されている熊本城の歴史について、通常はやっていないガイド案内を行い、最後は天守閣からの夜景を満喫する。このツアーは、熊本城のみならず、城を中心とした熊本のまちづくりの歴史と魅力をおさらいする役割も果たしていると思う。
▲天守閣の最上階から熊本市街を眺める。もちろんこのツアー参加者だけの贅沢な空間
最後にクライマックスのボードウォークでのダイニングへ。このボードウォーク(特別見学通路)は、修復期間中のみ、より多くの一般の方に、安全でより近い場所から復旧の様子を見てもらうように設置された。特別史跡内として制限されるなか、厳しい設計条件を満たし、景観への配慮を行ったうえで設定された350mの見学ルートとなっている。被災前の見学ルートとは視点の高さも違い、復旧の状況がよく見えるようになっている。今回のダイニングの場所は、天守閣と『二様』の石垣をのぞむ絶好のロケーションに設定された。
ここでいただくのは、熊本市内の郷土料理の名店「青柳」で提供されている、江戸時代の料理指南書から紐解かれた「本丸御膳」をアレンジした「殿様御膳」で、当日は「青柳」店主が自ら料理の説明を行った。辛子れんこんや馬刺しなど現在の熊本名物をはじめ、肥後いんげんなど地元の食材をふんだんに使っている。熊本の日本酒やワインを楽しみ、参加者同士も会話が弾んだ。
▲熊本の名物と歴史を語る料理がつまった「殿様御膳」を楽しむ参加者
「熊本城の素晴らしさ、熊本のまちづくりや魅力がよく理解できた。また、修復の過程を見に来たいし、ツアーに参加したい」とは、1年前に熊本市勤務になった参加者の言葉だ。寒い時季でなければ、テントを払って、星空のもと天守閣を仰ぎ見るダイニングは、さらに楽しいだろうと思う。ナイトタイムに「天守閣」「ダイニング」と昔の殿様になったような特別感を存分に味わうことができるツアーだ。
文化財の「活用」で得た収益を「保全」に還元、課題解決の糸口に
「今回の取り組みは初めの一歩ではあったものの、参加者からのアンケートでは、『目から鱗のお話が聞けた』『特別感がよかった』『また参加したい』など好評を得た。今後は日本人のお客様に限らず、外国人の旅行者の方々にも楽しんでもらえるよう、そして収益の一部を修復に還元できる商品づくりを熊本市や熊本国際コンベンション協会と進めていければと思っています。そのために商品のブラッシュアップや体制作りが必要だと考えています」とくまもとDMCの外山さん。
また、今回紹介した熊本城の「Re-Construction Tourism」以外のラインナップも準備している。「泰勝寺 殿様ランチ&ガイドツアー」では、熊本市内の熊本藩主であった細川家ゆかりの地などをめぐり、現代風にアレンジした殿様ランチを堪能し、当主の案内で文化芸能を体験できるプログラムだ。今後、くまもとDMCなどのwebページで販売していく予定だ。
熊本城の「Re-Construction Tourism」は、文化財の「保存」と「活用」を両輪でまわし、収益の一部を保全に還元していく仕組みを示していく。多くの文化財は保存活用計画を策定して耐震構造や防火対策、利活用の手法をなどを現状にあわせて考えていいかなければいけない。先人の暮らしぶりや伝統、知恵など歴史をそのまま物語る文化財の今までの価値と現在進行している修復や保全、活用(苦心している場合も含めて)をガイド案内やツアーにしてみせていくことで、参加者はより深く触れることができる。
▲大天守と小天守が並び建つ熊本城
ストーリーを知り、関心のある方々が支払うツアーの参加費が、文化財の保全に還元されることも意義あるものに感じ、ファンになり、リピーターになっていくだろう。
地域住民にも、旅行者にもこのようなイマの取り組みを知ってもらうことが重要であるといえる。先人が守ってきたものを、これからの子孫へ、100年先へ。長いタームでの視点をもって、考えていきたい。
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