2016年 11月 05日
箸とシルバーウエア |
ここに住むようになって収集したテーブルウエアは、日本で骨董というほどの歴史はなくて、ヴィンテージという程度のもの。
箸の国で生まれ育ったわたしには、重厚なシルバーウエアもあるときは魅力があり、ふだんはステンレスで手入れ勝手のいいものを使っていても、ほんとうの銀器を買うこともあった。
”ほんとうの銀器”の光沢は、ステンレスのように澄んだものではなく、ざらついた鈍い性質があるように見える。
磨くことを怠ればたちまち酸化して黒ずんでしまう。
銀の純度が高ければ高いほど軟らかいから、使ううちに曲がったり、食器との摩擦で摩滅していびつな形になる。
ミネソタ州に住んでいた、ジムの父方の農夫だった両親が使っていた、銀の硬貨を溶かして作ったというスプーンもそうで、それは、晩餐会にまとまった人数を招く際に出す種類の銀器とは異なる。家族の人数分しかなかったのではないかと想像するつつましい銀器だ。
あるクリスマスに、義母がハンドルのない、重く黒いブリーケースをくれた。
それには12人用のディナーフォーク、デザートフォーク、ナイフ、大小のスプーン、サーヴィングの数種類がそろっていた。
その滞在中、食事のたびに義母らしくどんどん招く客が増えるものだから、シルバーウエアが足りなくなって、あげたフォークをいくつか使わせてちょうだいというので洗って出したら、義弟がそのひとつで皿の肉片を突き刺したところで、ポキンと折れた。
使い捨てのプラスチックのフォークのように、折れてしまって、義弟も、見ていたわたしもしばらく声もでなくて、一息ついて、はじけたように笑った。
義母は怪しげなところで買い物したり、買うというよりも値切る行為を喜ぶひとで、そればかりか、こどもたちみんなが集まったクリスマスには、義母がおとなになったこどもたちやその妻に包むクリスマスのプレゼントはどれも同じものだったり、それから数年前に誰からかもらったものを包装してだれかにあげたりということがしょっちゅうで、それがばれれば義母も一緒に笑うから、それはそれでエンターテインメントだった。
だから、この銀器のセットもどこで入手したものだか怪しい。
見た目豪華で大げさなのが、あっけなくこどものおもちゃみたいに折れてしまった。
どんなに丹念に漆を塗り重ねて仕上げる箸も、硬木を選りすぐって造る箸も、いつかは折れるだろう。
それが折れたときには、潔く諦める気持ちになれるのはなぜだろう。
それなりの家に生まれた西洋の人は、代々伝わる銀器を大切に受けつぐそうで、そんな風習がまぶしく憧れに似たものに見えたこともあったが、いまのわたしは、もうそうは思わない。
シリアからの移民の両親を持つ義母は10人のきょうだいの長女として育った。
ゆくゆくは父親が始めたペルシャ絨毯の商売も軌道に乗ったが、経済的にのんびりできた生活ではなかった。
ほんものの銀器を家財といえる暮らしに憧れていたのだろうか。
結婚する前、テーブルウエアに限らず、自分の持ち物はごく少なくて、それが不自由に思ったことはなかった。
結婚して、日本の食事でひとをもてなしたいと和食器もそろえたし、いただいたものもあれば、一時は夢中になったヴィンテージものも増えた。
こどもたちが独り立ちをするときに、欲しがって、持参してくれればいいけれど、好みに合わないと言って欲しがらなければ、押し付けるわけにいかない。
50歳を過ぎて、人数の揃った銀器を持つよりも、ひとりぶんの箸があればいいと思う。
箸の国で生まれ育ったわたしには、重厚なシルバーウエアもあるときは魅力があり、ふだんはステンレスで手入れ勝手のいいものを使っていても、ほんとうの銀器を買うこともあった。
”ほんとうの銀器”の光沢は、ステンレスのように澄んだものではなく、ざらついた鈍い性質があるように見える。
磨くことを怠ればたちまち酸化して黒ずんでしまう。
銀の純度が高ければ高いほど軟らかいから、使ううちに曲がったり、食器との摩擦で摩滅していびつな形になる。
ミネソタ州に住んでいた、ジムの父方の農夫だった両親が使っていた、銀の硬貨を溶かして作ったというスプーンもそうで、それは、晩餐会にまとまった人数を招く際に出す種類の銀器とは異なる。家族の人数分しかなかったのではないかと想像するつつましい銀器だ。
あるクリスマスに、義母がハンドルのない、重く黒いブリーケースをくれた。
それには12人用のディナーフォーク、デザートフォーク、ナイフ、大小のスプーン、サーヴィングの数種類がそろっていた。
その滞在中、食事のたびに義母らしくどんどん招く客が増えるものだから、シルバーウエアが足りなくなって、あげたフォークをいくつか使わせてちょうだいというので洗って出したら、義弟がそのひとつで皿の肉片を突き刺したところで、ポキンと折れた。
使い捨てのプラスチックのフォークのように、折れてしまって、義弟も、見ていたわたしもしばらく声もでなくて、一息ついて、はじけたように笑った。
義母は怪しげなところで買い物したり、買うというよりも値切る行為を喜ぶひとで、そればかりか、こどもたちみんなが集まったクリスマスには、義母がおとなになったこどもたちやその妻に包むクリスマスのプレゼントはどれも同じものだったり、それから数年前に誰からかもらったものを包装してだれかにあげたりということがしょっちゅうで、それがばれれば義母も一緒に笑うから、それはそれでエンターテインメントだった。
だから、この銀器のセットもどこで入手したものだか怪しい。
見た目豪華で大げさなのが、あっけなくこどものおもちゃみたいに折れてしまった。
どんなに丹念に漆を塗り重ねて仕上げる箸も、硬木を選りすぐって造る箸も、いつかは折れるだろう。
それが折れたときには、潔く諦める気持ちになれるのはなぜだろう。
それなりの家に生まれた西洋の人は、代々伝わる銀器を大切に受けつぐそうで、そんな風習がまぶしく憧れに似たものに見えたこともあったが、いまのわたしは、もうそうは思わない。
シリアからの移民の両親を持つ義母は10人のきょうだいの長女として育った。
ゆくゆくは父親が始めたペルシャ絨毯の商売も軌道に乗ったが、経済的にのんびりできた生活ではなかった。
ほんものの銀器を家財といえる暮らしに憧れていたのだろうか。
結婚する前、テーブルウエアに限らず、自分の持ち物はごく少なくて、それが不自由に思ったことはなかった。
結婚して、日本の食事でひとをもてなしたいと和食器もそろえたし、いただいたものもあれば、一時は夢中になったヴィンテージものも増えた。
こどもたちが独り立ちをするときに、欲しがって、持参してくれればいいけれど、好みに合わないと言って欲しがらなければ、押し付けるわけにいかない。
50歳を過ぎて、人数の揃った銀器を持つよりも、ひとりぶんの箸があればいいと思う。
by ymomen
| 2016-11-05 01:02
| 収集
|
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Comments(8)
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love-t_k at 2016-11-05 13:08
年を重ねると色々変化してきますね
物欲はまず無くなります!
もめんさんの言う事よ~~く解ります🎵
物欲はまず無くなります!
もめんさんの言う事よ~~く解ります🎵
0
もめんさん、こんにちは。
本当ですね、年を取るにつれて多くの物が必要なくなるっていう気持ち、段々理解できるようになってきました。
とは言え、まだまだ我が家は物だらけで、、、
子供たちが欲しい、って言ってくれるといいのですが、そうじゃないものは手放すしかないですね。
お義母さまのお話、とても面白いな、って思いました。
みんなが笑ってエンターテインメントに出来たのも、お義母さまのお人柄が現れていたからなのでしょうね。
私も銀器に憧れたことがありましたけれど、シルバーのアクセサリーですらきちんと管理できないのに、無理だわーと思い諦めました(;´д`)
本当ですね、年を取るにつれて多くの物が必要なくなるっていう気持ち、段々理解できるようになってきました。
とは言え、まだまだ我が家は物だらけで、、、
子供たちが欲しい、って言ってくれるといいのですが、そうじゃないものは手放すしかないですね。
お義母さまのお話、とても面白いな、って思いました。
みんなが笑ってエンターテインメントに出来たのも、お義母さまのお人柄が現れていたからなのでしょうね。
私も銀器に憧れたことがありましたけれど、シルバーのアクセサリーですらきちんと管理できないのに、無理だわーと思い諦めました(;´д`)
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ymomen at 2016-11-19 09:07
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ymomen at 2016-11-19 09:20
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こんた
at 2016-11-30 20:13
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趣味趣向、考え方まで人は変わる物ですからね。だから面白いと今は思えます。
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ymomen at 2016-12-02 06:06
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こんた
at 2016-12-02 17:27
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変身物語の中に出てくるギリシャ神話の神のように花に変わる、いや私は日本人だから違うな 笑
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ymomen at 2016-12-05 07:38