2023年 10月 03日
レニエ湖畔の家 |
長寿を全うした義父の骨壺が、先に昇天した義姉の隣に寄り添った。
精神を病んでいた義姉は、中学生になったばかりの双子を残して他界した。
その双子がわたしたちと、やがて義兄夫婦のもとでも暮らし、いま42歳になる。
義姉が亡くなったとき、ひとりでは寂しいだろうと四体の棺がおさめられることを確認して、義父は美しい墓地のなかほどにある池のほとりの墓地を購入した。
当時はまだ火葬が通例ではなかった。
義父の骨壺がそこに埋葬されたが、棺ではないから、棺ひとつあたり、骨壺が四つ入るということで、あと11人の骨壺が入る余地がある。
わたしが骨になったら、風の舞う荒地に散らしてくれればいいというのは本音でも、遺族に抵抗があれば、わたしもまたアトランタの親族の眠る墓地に埋葬されてもいい。
日本の先祖の納骨堂に帰ってもいいが、そのために遺族を煩わせるのもどうだろう。
9月初めに息を引き取った義父の葬儀に、国内のあちこちに住む4人の息子とそれぞれの家族が、アトランタに帰った。
義姉の遺児である双子、義父の妹、離婚した妻もやって来た。
20人が集まったから、皆が宿泊できる家を借りた。
アトランタ郊外にあるレニエ湖を臨む館。
訃報であっても、こういう機会でなければ、皆がそろうことは珍しい。
こどもたちはみな二十歳をすぎても、在学中だから、講義を休んで来ている。
数年に及ぶ深刻なわだかまりが続き、それ以来沈黙し続けた数名は今回それ以来初めて言葉を交わした。
そもそも義父の壮年期の仕事が家族をアトランタに住まわせたが、現在ここに留まるのは義弟家族だけで、ほかは、フロリダ、テキサス、ネヴァダ、ミネソタ、ニューヨーク、コロラド、イリノイ州に散在している。
義父母の離婚後、やがて義父は夫を頼ってコロラドに移転し再婚、新しいともだちもできたが、倒れてからの二度目の離婚後には友人はいなかった。
アトランタに戻っても、昔のともだちを見つけることもできず、家族だけがよりどころであったから、信仰深い義弟夫婦の属する荘厳な教会での告別式には、わたしたちと義弟の親友家族だけが参列した。
義父にはそれでじゅうぶんだったろう。
妹、こども、孫、全員がそこにいた。
ミネソタからやってきた義父の妹にあたるロレイン叔母は、義娘のローラに付き添われてやってきた。
2年前のコロナ禍明け、コロラドにすでに病床にいた義父とわたしたちを訪れ、義父の葬儀には行けないだろうからと言っていたが、この度再会できた。
叔母の記憶も薄れつつあり、前日と同じ話をしても、もう誰も驚かない。
みなに会うのはこれが最後なのかもしれない。
いっときは穏やかでなかった義母と叔母との関係も、双方の老いと月日がその緊張を緩ませたのか、数日同じ屋根の下で過ごして衝突が起きずにすんだ。
こんどまたみんなが集まるのはいつだろうと話しながら、わたしたちの世代は叔父や叔母たちの誰かの訃報の予感を感じている。
結婚式というめでたいこともありえるだろうが、こどもたちはまだ二十歳をすぎたばかりで、いまはこどもではなくなった自由を楽しんでいて、そんなことはまだ念頭にないらしい。
それぞれの顔を確認しながら、世代が交代していくのに気がついている。
涙もあったし、義父とその先祖を偲んでその歴史を再認識もした。
湖にボートを乗り出して遊び、ソファに折り重なるように座って夜更けまでゲームに興じたりもした。
たった数日ではあったが、良い弔いであった。
土曜日に叔母を送り出し、日曜日には皆が帰って行った。
デンバーに着陸する前の十数分、揺れが激しく蒼くなった。
コロラドの空気にあたって人心地とりもどし、大学に戻るあきらと別れて逆方向に走りだしたとき、フロリダの義弟から無事帰宅したというグループテキストを受信。
わたしたちもコロラドに戻ったと送信。
それから次々にそれぞれの家に帰りついたという報告が夜中すぎまで続いた。
旅の前に数か所ほどけそうになっていたロープの輪が、いまはちゃんと繋がったように見えた。
by ymomen
| 2023-10-03 03:01
| アメリカの季節
|
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Comments(4)
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hanamomo60 at 2023-10-03 12:11
亡くなった人を弔うことって大きなことですよね。
コロナになって日本でも大きなお葬式は姿を消し、田舎でも身内で規模を縮小して行うことが多くなりました。
私たち夫婦は葬儀も戒名も不要と思っていますが、弔い方は遺族の気持ちもあるということもあるのでどうなるのでしょう。
お義父様、本当にいい弔い方だな~と思いました。
母たちの世代と違って私たちがなくなる頃は親族という人も少なくなっているでしょうね。
レニエ湖、きれいなところですね。
コロナになって日本でも大きなお葬式は姿を消し、田舎でも身内で規模を縮小して行うことが多くなりました。
私たち夫婦は葬儀も戒名も不要と思っていますが、弔い方は遺族の気持ちもあるということもあるのでどうなるのでしょう。
お義父様、本当にいい弔い方だな~と思いました。
母たちの世代と違って私たちがなくなる頃は親族という人も少なくなっているでしょうね。
レニエ湖、きれいなところですね。
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ymomen at 2023-10-03 22:50
hanamomoさん
父が亡くなったときには、こんなふうには弔えなかったので、父をかわいそうにも思うと同時に、義父はさぞ満足しているだろうと安らかな気持ちでもいます。
義父が倒れてから、いろいろたいへんでしたが、息子たちは常に相談しながら看取りました。よくやっていました。
hanamomoさんもご自分たちについてはそう思っておられますか。遺族のために遺言を残しておかねばなりません。
きれいなところでした。
南部はわたしたちが住んでいるところとは違い、緑豊かなところです。
父が亡くなったときには、こんなふうには弔えなかったので、父をかわいそうにも思うと同時に、義父はさぞ満足しているだろうと安らかな気持ちでもいます。
義父が倒れてから、いろいろたいへんでしたが、息子たちは常に相談しながら看取りました。よくやっていました。
hanamomoさんもご自分たちについてはそう思っておられますか。遺族のために遺言を残しておかねばなりません。
きれいなところでした。
南部はわたしたちが住んでいるところとは違い、緑豊かなところです。
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tanatali3 at 2023-10-04 07:31
最後は親類縁者に見送られてよかったですね。
レニエ湖畔に皆が宿泊できる家を借りたのは素晴らしいアイデアだったと思います。
レニエ湖畔に皆が宿泊できる家を借りたのは素晴らしいアイデアだったと思います。
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ymomen at 2023-10-04 23:39