2023年 10月 12日
閉じ込められる |
"Inside"という奇怪な映画を観た。
アートコレクターのペントハウスに忍び込んで画を数点盗むのに、計画がうまくいかなくて、ウイリアム・ダフォー演じる盗人は、そこに幽閉されてしまう。
住人は海外にいて、いつ帰宅するのかわからず、生きていく物資に乏しい、無機質で贅沢なロフトの囚人となる。
もうひとつは、"Nowhere"
身重の女性がひとり、船荷のコンテナーに閉じ込められたまま海上を漂流する物語。
そういう作品を選んで観たのではない。
だが、こういう設定に惹かれるのは、常に自分だったらどうしただろうかと常に考えながら観ているからかもしれない。
たとえば映画”Titanic”を観ていて、限られた船客が救命ボートに乗り込むところで、ああ、ここでわたしは船とともに沈むほうだ、と心のなかで諦めていた。
たいていは、自分だったらとっくに諦めているな、という気もするけれど、ほかに争う相手や襲われる存在がいなければ、案外生き残れるかもしれないとも思う。
ふだんの生活にあるものがない。
外界への交信や移動の自由がない。
観ているだけで、圧迫感が募るばかりであった。
それに似た作品に、”Casy Away”もある。
ひとに脅かされるのでなく、ただひとりでいる恐怖。
あって当たり前のものがない恐怖。
ウイリアム・ダフォーという俳優が好きだ。
この映画はことさら彼には適役だと思う。
切羽詰まった心理が、こちらが呼吸困難になりそうなくらい迫って来る。
時には自分を茶化して張り詰めた糸を緩めてみたりもする場面では、笑わせられるけれど、苦しみは終わらない。
こういう作品では、いっさいの飾りを捨てたひとの姿があらわになる。
現実ならば、もっと生々しいこともあるだろう。
布を選ぶとき、モチーフとしてのデザインに、鳥籠を見ると、気持ちが落ち着かないのは、自由であるべきの生き物を囚われの身にしているという罪悪感があるからだ。
動物のいるサーカスのデザインも、動物園も、いまはもう選べなくなった。
by ymomen
| 2023-10-12 03:11
| 映画・テレビ
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