2024年 09月 30日
ラブレター |
母になったことは最大の喜びでも、同時に身動きできなくなったような気がした日々、ブログを始めたら、いつもの場所にいながらいくつもの扉が開いたようであった。
どちらかというと内向的な自分の投稿を読んでくれるひとがいて、楽しみに拝読するブログが多くあった。
遠くに住む両親に、わたしの日常と孫の成長を報告する手段でもあった。
書き留めなければ翌朝には忘れてしまうようなこと
こどもたちの好きな食べ物のレシピ
あきらに泣かされた日
みあのほうがわたしの母になった日
うつろう季節の美しさ
迷いながらも前進したり後退する自分の記録
葛藤ばかりで更新できなかった空白の月日
正直にあるがままに綴ってきた。
みあとあきらへのラブレターのつもりで書いている。
ここに託したもののほとんどはすべて彼らとともにあった。
そういうものを咀嚼してここまでたどり着いた。
書けなかった月日は数度に渡って長かったが、拙ブログは消滅されないでそのままここで待っていてくれた。
戻ってくるたびに投稿形式や形態が進化していて、ここに留まっているひとも、去ったひともあった。
みあもあきらも成人して巣立ったが、ブログはわたしとともにある。
時間は思うがままにあり、誰に拘束されることもないが、ブログというドアは前にもましてわたしには大きい。
ドアの向こうで会えるひとがいる。
喘息持ちのわたしは、呼吸困難になるとき、対の肺が酸素を求めてもがく様子を想像するが、もはやブログはわたしには第三の肺ほどである。
2006年に書き始めてから、着るものも好きなものも変わっていないけれど、もちろんわたしは変わったのだ。
日々変わりつつある。
18年間ここに書き連ねたすべてのことがいまの自分になっている。
過去の投稿を読み返せば忘れていたこともある。
そのときの投稿にコメントを寄せてくださった方との会話もある。
あのころのわたしに共感くださったり、一緒に笑ってくださったり、アドヴァイスくださった。
なにをしても長続きしないわたしが投稿を継続しているのは珍しい。
滞った時期が何度かあったにしても。
そのギャップの間、わたしの存在を忘れないでくださった方もいらした。
そんな方々が、更新されない最後の投稿に機嫌伺のメッセージを我慢強く残してくださることがあった。
わが子に充てたラブレターのつもりでいても、そんなメッセージをいただけば白湯を飲むように心が温かくなったものだ。
だからまたこうして書いている。
書けなくなる日がまた来るかもしれないが、いま、こうして書いている。
若かった自分がすでに体験したことを、いまの自分だからこそ書けることもある。
はるか昔のことを、やっといまそれらを表現できるということもある。
わたしの視線で見る、いまという混沌の時代も記録しておきたい。
むつかしいことは書けない。
ありのままの自分の言葉で書くしかない。
いつかこどもたちがわたしのブログを、晩年の父がわたしに話してくれた昔話のように読んでくれたらうれしい。
by ymomen
| 2024-09-30 02:30
| アメリカの季節 春
|
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Comments(4)
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Ziggyus at 2024-09-30 08:15
momenさん、こんにちは!
お子様達がまだ小さい頃に始まったブログ、すごく長く続いているんだな~!と感心しつつ、さて私が始めたのはいつだろう。。。?って見てみたら、Exblogに引っ越す前からのブログを始めたのが2005年。。。なんと20年近くも前でした。。。ブログが残っていなければきっとわからずじまいだったはず。 インスタやフェイスブックのユーザーが増えると同時にブロガーがガタっと減った気がしますね。
私も長くほったらかしたり、コメントをやり取りする人達も時と共に変わったりの状態ですが、それでもこの土地での英語にまみれた生活で 日本語を書いたり読んだりできるのがこのプラットフォームでした。 アルバムと一緒で昔の記事を読み返すだけでその時の出来事や、考えていた事が鮮やかに思い出されるのは 特に記憶力がどんどん乏しくなる一方の今では 続けてよかったと思える事です。 そして こうやって今まで会ったことも話したこともなかった人との縁に出会える事。。。やっぱり続けてよかったと思えます。
お子様達がまだ小さい頃に始まったブログ、すごく長く続いているんだな~!と感心しつつ、さて私が始めたのはいつだろう。。。?って見てみたら、Exblogに引っ越す前からのブログを始めたのが2005年。。。なんと20年近くも前でした。。。ブログが残っていなければきっとわからずじまいだったはず。 インスタやフェイスブックのユーザーが増えると同時にブロガーがガタっと減った気がしますね。
私も長くほったらかしたり、コメントをやり取りする人達も時と共に変わったりの状態ですが、それでもこの土地での英語にまみれた生活で 日本語を書いたり読んだりできるのがこのプラットフォームでした。 アルバムと一緒で昔の記事を読み返すだけでその時の出来事や、考えていた事が鮮やかに思い出されるのは 特に記憶力がどんどん乏しくなる一方の今では 続けてよかったと思える事です。 そして こうやって今まで会ったことも話したこともなかった人との縁に出会える事。。。やっぱり続けてよかったと思えます。
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tanatali3 at 2024-09-30 16:09
12時を回り、もう眼が閉じてしまいそうです。^^
私は等身大の文章が描けませんでした。他人の目を気にしたり、自分を良く見せようとしたり、初期の文章は、読めたもんじゃありません。
ブログを始めたのはもめんさんやZiggyusさんと同じぐらい、途中止めた期間が長かった。(笑)
もめさんのブログはウソ偽りのない素直な気持ちが一番。
私は等身大の文章が描けませんでした。他人の目を気にしたり、自分を良く見せようとしたり、初期の文章は、読めたもんじゃありません。
ブログを始めたのはもめんさんやZiggyusさんと同じぐらい、途中止めた期間が長かった。(笑)
もめさんのブログはウソ偽りのない素直な気持ちが一番。
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ymomen at 2024-10-01 01:43
ziggyさんも永く書いておられるのですね。
でも20年なんて、あっという間ではありませんでしたか?
わたしにはそうです。
みあとあきらを抱いたときの重み、小さな手がわたしの指を掴む感触やら、そんなにむかしのことと思えません。
Ziggyさんとは20年前には接点がなかったのに、いまご縁に恵まれているという不思議。
ありがたいことです。
そうなんですよね。
わたしも日本語練習、作文のつもりで書いています。
でも20年なんて、あっという間ではありませんでしたか?
わたしにはそうです。
みあとあきらを抱いたときの重み、小さな手がわたしの指を掴む感触やら、そんなにむかしのことと思えません。
Ziggyさんとは20年前には接点がなかったのに、いまご縁に恵まれているという不思議。
ありがたいことです。
そうなんですよね。
わたしも日本語練習、作文のつもりで書いています。
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ymomen at 2024-10-01 01:53
オイカワさんも永く書いておられましたか。
引退なさるまでご多忙だったのに。
オイカワさんもZiggyさんも近年になってご縁をいただきましたが、そのときの自分に相性のあう方というのはあるんですね。
オイカワさんにはお目にかかったこともありませんが、勝手ながら”兄さん”のような想いがあります。
遠くで見守ってくれているような。
ブログを始めた当初、読んでもらう対象は、まず両親でしたから、あるがままに書いたのでしょうか。
嘘をつくと、必ずあとでそれをつくろうことになって、また嘘でごまかす、というややこしいことになるのが手に負えません 笑
引退なさるまでご多忙だったのに。
オイカワさんもZiggyさんも近年になってご縁をいただきましたが、そのときの自分に相性のあう方というのはあるんですね。
オイカワさんにはお目にかかったこともありませんが、勝手ながら”兄さん”のような想いがあります。
遠くで見守ってくれているような。
ブログを始めた当初、読んでもらう対象は、まず両親でしたから、あるがままに書いたのでしょうか。
嘘をつくと、必ずあとでそれをつくろうことになって、また嘘でごまかす、というややこしいことになるのが手に負えません 笑